東金・八鶴湖と日吉神社参道の杉並木 :1
美術館や博物館は、わたしたちにいつも「驚き」をくれる。
つまり、休みの来るたび美術館や博物館に通いつめるわたしなどは四六時中驚いてばかり、驚くのに忙しくてたまらないといったありさまである。
そんな筆者が、直近でいちばん驚いたのは……美術館で観たものでも、博物館で観たものでもなく、これからお送りする東金での出来事なのであった。
市内の城西国際大学水田美術館へ浮世絵の展示を観に行くことが、この日の東金行の第一目的だった。
第二目的地として向かったのが、東金駅から徒歩20分の日吉神社である。
再開発が進み、ロータリーやショッピングモールの設けられた東口に比べると、神社のある街道沿いの西口は人通りも少なく、取り残された感がある。ただ、街道沿いなので古い商家がところどころに残っており、にぎやかだった頃が偲ばれる。
大通りから山側に折れると、視界がひらけてきた。水面に反射する光がまぶしい。
池というには大きく、湖というには小さい規模。農業用の溜め池にもみえるが、「八鶴湖(はっかくこ)」という風雅な名前がついていた。
時は慶長18年(1613)、将軍・徳川家康が鷹狩りをしに東金へやってくることになった。その際の休憩・宿泊のため、翌年にかけて造営されたのが「東金御殿」である。
造営の一環として沼地が整備・拡張され、現在の八鶴湖がつくられた。この湖は御殿の庭の一部であると同時に、その広さゆえに借景の役割も果たしたのだ。
将軍の御成は秀忠が最後で、寛文11年(1671)に御殿は廃止となってしまう。
御殿の跡には現在、県立東金高校が立っている。明治41年、県下2番めの高等女学校として開かれた高校で、創立まもない頃に建てられた洋館が、いまも校門脇に健在だ。
明治の建造物を遺す高校が、全国にどれほどあるだろうか。ちょっと、驚いた。(つづく)