夢二の旅路 画家の夢・旅人のまなざし /竹久夢二美術館
竹久夢二デザイン・榛原製の千代紙に惹かれたことがきっかけで、本郷弥生町の竹久夢二美術館のページを覗いてみたら、このような企画が開催中とのこと。
興味をそそられ、行ってきた。
夢二は、旅を愛した。
そのことが、展示の冒頭に掲げられた日本地図、さらには欧米の地図によって、まずは視覚的に実感できたのだった。
北は青森から、南は長崎まで。中国・四国など手薄な地域こそあれど、その範囲内で満遍なく印がついている。温泉地が多く、東北や群馬には密集している。
昭和6年には渡米、そのまま渡欧。ドイツ、フランス、スイス、チェコ、オーストリア、イタリアを周遊し、現地で個展も開いている。
足かけ3年におよんだこの大旅行によって、夢二は体調を崩し、帰国の翌年にこの世を去っている。享年51歳。
夢二の故郷は、岡山の邑久(おく)。四国の霊場を目指すお遍路さんたちが、しばしば通りがかった地であった。
非常に興味深い話であるとともに、夢二がこの原体験によって、江戸絵=浮世絵版画との出合いを果たしている点も重要といえよう。画業のベースに、すでに旅が関わっていたのである。
以降の展示内容は、旅という行為へ向けた夢二の眼差しを紹介したのち、現地で、あるいは旅の思い出を振り返りながら描かれた作品を、場所ごとにまとめてみていくというもの。
加えて、鉄道や飛行機など旅に必須の乗り物を描いた作品、恋人や家族に宛てて旅先から投函された絵はがきに関して触れ、欧米周遊に多くを割き、終幕としている。
さて、夢二といえば「夢二式美人」。
その手の作品は一世を風靡し、現在も非常に人気があるのだが、夢二の仕事はそれに限らず、もっと幅広い。
なかにはミニマルなもの、素朴なものも含まれていて、そちらもたいへん魅力的だ。撮影自由の本展から、何点かご紹介したい。
『絵入歌集』(大正4年)は、古今の名歌を100首撰んで絵を付した本。下は漂泊の歌人・若山牧水の歌(右ページ)と、夢二による絵の見開きである。
色はなく、線が簡潔だからこそ、ひとり旅の孤独や寂寥、同時にある種の飄々とした強さを感じさせるではないか。
《SHINAGAWA》は『草画』(大正3年)に所載の1枚。海沿いの線路を往く汽車が、ぼってりとした墨で描かれている。
こちらはより単純な筆で、牧歌的な雰囲気を醸しだす「ヘタウマ」の作。なかなかに味わいが深い。
雑誌『日本少年』掲載の《阿蘇にて》。
紅葉の草千里であろうか。旅先の開放感、うかれた気分が漂う。暖色と寒色の2色刷という、珍しい配色。
京都で出された、夢二デザインの絵封筒。左から「松の屋根(知恩院)」「嵐山」「稲荷山」「加茂川の冬」「かも川」。いずれも京の名所である。
30代中盤の3年弱、夢二は京都に住んでいたから、旅というテーマにそぐうかといえば微妙かもしれないが、この絵封筒は京情緒たっぷり。旅情を感じさせるに充分といえよう。
昭和7年、ドイツのハンブルクで描いた鉛筆デッサン。
デッサンゆえの構えがない軽妙さが、なんとも好もしい。
——ここまで挙げてきた作品は、あらかじめ述べたように、いわゆる「夢二式」「夢二調」とはかけ離れている。作家名を伏せたら、当てるのは至難の業だろう。
本展には、典型的な作も、もちろんたくさん出ている。そのなかから、わたしのすきな奈良を舞台とした1点をご紹介して、〆としたい。
大正期の《寧楽椿市(ならつばいち)》という作品。
万葉古歌を主題とした作で、描かれる女性も天平風の装束をまとい、正倉院にあるような楽器を携えている。
天平文化を憧憬する傾向は、明治の末から大正期にかけての美術作品によくみられる。本作もそのひとつだろう。
奈良県桜井市の海柘榴市(つばいち)。市場には、人が集まる。ゆえに、古代には男女が交歓する場ともなっていた。現在は鄙びており、当時の面影はない。
夢二は京都在住時に、奈良に足を伸ばしている。海柘榴市にも立ち寄っただろうか。
もとより、この絵に関しては現地に取材してというよりは、歌から想像を膨らませて描いたものというのが正確に近いのだろうが……海柘榴市の現地を知る者にとっては、この絵もやはり、旅情をかきたててやまないのである。
※この絵の主題となっている万葉古歌。