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魅惑の色彩 天才の描線 光琳×蕪村 金襴手×乾山:2 /東京黎明アートルーム

承前

 メイン展示室奥の特等席に、《峨眉露頂図》は展開されていた。

 天高く、険しく、ごつごつと。
 「峨峨たる山々」という形容そのままに奇岩が居並ぶさまは、仙人の棲む土地・仙境としてまことに似つかわしい。それを描かんとする蕪村の、泰然とした、融通無碍の筆さばきが光る。
 峨眉山は中国・四川省にある山で、蕪村はもちろん現地を見ていない。
 李白の詩が、構想のもとになったと考えられている。


 《峨眉露頂図》としばしば並び称される《夜色楼台図》《富嶽列松図》はどちらも大横物の掛幅であったが、同じ横位置の画面でも《峨眉露頂図》は巻子装。
 3点に共通するのは、横位置の画面の多くの面積を占める、どんよりとした闇空だ。水分をたっぷりと含ませたムラのある筆致で塗りこめ、描き表されている。
 《夜色楼台図》や《峨眉露頂図》はともかく、《富嶽列松図》に関しては、闇夜か曇天か断定しかねるところではある。けれどもやはり、これは夜の景ではなかろうか。暗闇のなかでこそ、富士の高嶺の雪の白さは際立つ――そんなところを描いたもののように思える。

 《峨眉露頂図》の月は、暗く冷たい夜空を切り裂くように、大きな弧を描いている。
 描き方としては「切り裂く」とはむしろ逆で、月の形に沿って筆を避けることで、月の輪郭を現出させている。
 先日、総武線に揺られながら「大雅と蕪村」展で頂戴した「『十便十宜図』鑑賞ガイド」をながめていたら、《宜晩図》の右端で遠景をなす月と岩山が、《峨眉露頂図》最奥部にあるそれに似ているかも……と思いいたることがあった。

 いざ見較べてみるとそうでもなかったけれども……別の考えが浮かんだ。

 いま部屋の窓を開け、澄みきった正月の寒空をながめてみてもそう感じるのだが、夜空の月とは煌々と、格別の輝きとインパクトをもってわれわれの網膜に刺さってくるものだろう。
 しかし蕪村のえがく月は、《宜晩図》ではなよなよと頼りないアメーバのような形をしているし、《峨眉露頂図》では闇に迫られ、いまにも呑まれてしまいそうだ。塗り残しや、やきものでいう「火間」(ひま。釉薬がちょうどかからなかった箇所)にも見える。

 月を描き込めば、夜の景ができあがるのか。真っ黒な墨ですき間なく塗りつぶせば、闇を描き得るのか。そういうわけではなかろう。
 月の存在によって安直に夜を表すことを、また暗闇を暗闇のとおりに真っ黒く絵画化することを、蕪村は忌避したかったのかもしれない。この目立たない月、闇に負ける月からは、そんなことが感じられた。
 《峨眉露頂図》で彼のとった手法は、「むらのある淡い墨で」塗りつぶすことだった。それは《夜色楼台図》《富嶽列松図》にも通じる。わたしは、これらを超える「闇」の表現を知らない。
 《峨眉露頂図》のおもしろさは、蛾蛾たる岩山ももちろんそうだが、わたしにとっては月であり、闇であろうかと思われる。(つづく




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