第76回 正倉院展:2 /奈良国立博物館
(承前)
今年の正倉院展では「ガラス」をテーマとした一角が設けられていた。
仏殿の荘厳具の素材として、さかんに用いられたガラス。光明皇后が母の一周忌に創建した興福寺西金堂でも、堂内を飾るためのガラスが大量に必要とされた。その製作背景がうかがえる文書を展示。
隣には、なにやら怪しげな赤い粉末が。鉛の酸化物「丹(たん)」で、ガラスの原料となるものだ。薬包紙として使われていたのは、不要になった行政文書や反故紙。こちらも貴重な資料である。
もちろん、ガラスの工芸品も出ていた。
《瑠璃小尺》は、指先ほどのサイズの小さな定規。碧瑠璃には金の線、黄瑠璃には銀の線で目盛りが入れられている。
実用品ではなく、中国・唐の習俗をもとにしたアクセサリーとみられているが、もし身近にあれば案外、便利な気もする。
同じく、腰帯から提げたとみられる装身具が《瑠璃魚形》。こちらも、エラや目といったディテールは金で表されている。
ぷっくりとした姿、魚以外に間違いようのないシンプルなかたちがカワイイ。わたしは、ヒレの曲線にグッときた。
水色バックの壁には、背景を切り抜いて大きく引き伸ばした4匹の写真を配置。水中を泳いでいるかのようである。
まさか、こんなところで笑かしてくるとは……とんだ奇襲戦法だ。
《瑠璃小尺》《瑠璃魚形》とも、型に流し込むのではなく、ガラスの塊から削り出すことで成形されている。表面に残る研磨痕がその根拠というが、肉眼では確かめがたいほど、なめらか。
再現模造ではこの製造工程に忠実に倣っており、文字通り寸分違わない再現模造品ができていた。
さすがに、古代ガラスがもつ色あいの深さ、気泡の入り混じる複雑な反射の美しさには及ばないけれど、再現模造により得られた知見は、文化財のさらなる研究や保護活動に生かされていくのだ。
ガラスとは少々異なるが、ガラス質の釉薬を用いる技法・七宝による作品も、ここで紹介されていた。
《黄金瑠璃鈿背十二稜鏡》は、本展のメインビジュアルとして、ポスターやリーフレットにでかでかと起用される目玉作品。
そのイメージが強すぎるゆえに、いざ拝見すると「思ったより小さいな」という感想が湧いたのだった。直径は18.5センチ。
しかし……である。小さいからこそ、より巧緻で高度な技術が求められるともいえよう。まじまじと細部まで見つめられるから、寸分の狂いも許されない。
それに、もしイメージどおりに巨大なものだったら、少しどぎつい。やはり小さいからこそ濃厚に、高密度に、文様と色彩を詰め込めるのだろう。
——正倉院展へやってくるきっかけは、人によっては「なにやら評判が高いから」「話の種に」といったカジュアルなものなのかもしれない。
ところが、会場を出る頃には誰しも、その美に、技に、あるいは千年以上の時を超えて遺っている奇蹟に、魅せられている。
正倉院展の会場には、七宝の鏡から古文書、紅色の怪しい粉末まで、じつに幅広い分野の「驚き」が並んでいる。そのなかのどれかが、誰に対しても必ず響き、刺さる。
正倉院宝物にはそういった力が確かにあるのであり、正倉院展が秋の恒例イベントとして長く愛され、何年経っても長蛇の列を築きつづけるゆえんともなっているのだろう。(つづく)