江戸絵画と笑おう /千葉市美術館

 2本立てのもう1本は「コレクション展 江戸絵画と笑おう」。
 コレクション展といっても、ひとつの展示室では完結しない、120点もの大ボリューム。リーフレットやポスター、関連企画にも企画展クラスの気合いが入っている。なにより千葉市美の大本命・江戸絵画がメインの展示というわけで、会期終了間際にすべりこんだ。

 大味な千帆に目が慣れきっていただけに、歌麿の版本の繊細な描写には改めて瞠目させられた。大まじめに身をかがめて観ていると、吉原の客の落書きをされた顔に、しょっぱなから吹きだしてしまった。
 歌麿の隣には栄之の画巻が(鳥文斎栄之《三福神吉原通い図巻》)。恵比寿、大黒、寿老人の3名が吉原を訪れて大宴会……という、ほんとうにどうしようもない(褒めてる)画題。
 歌麿に劣らず繊細優美、すんとした品格を感じさせる栄之美人が居並ぶなかに、むさいおっさんが3人。少女漫画の中に劇画調が混じっているかのようなギャップ、神様が俗な行為に興じているおかしみに、くすっとさせられる。
 この2点で開幕した序章は、風刺、諧謔、取り合わせの妙などによる「にやり」がテーマ。鯉に乗った琴高仙人が漁師の網にかかって引き上げられていたり、コワモテの不動明王が逆立ちをして動物と遊んでいたり。あの手この手で、いろんな方向から笑かしにきていた。

 「江戸絵画」で「笑い」というと、これは外せないなというものがいくつか出てくる。『北斎漫画』がその筆頭であり、国芳 の《むだ書》であったり、豆本としてもおなじみの中村芳中 『光琳画譜』、鍬形蕙斎『略画式』といった画譜の類、それに仙厓や白隠の禅画も。
 いずれも人気の収蔵品だから、これらを抑えていくだけでも展示の背骨ができる。しかし今回は、その他のチョイスや見せ方も含めて愉しい展示であった。
 初見のものとしては昇斎一景《東京名所三十六戯撰》。組み物から11点が出品され、展示の一角をなしていた。
 そのうちの一点《鉄砲洲》は、2階で猫がケンカ(じゃれているだけ?)→植木鉢が落下→歩いていた棒手振りの頭に直撃→それを驚いて見ているご婦人の足下で、洗濯物に犬が小便……という「盛りまくり」の一枚。
 《小塚原》は、お膳を頭の上に載っけて出前に向かう飲食店の店員さんと、その背後から竹馬に乗って近づき、つまみ食いをするやんちゃな男の子。それを目撃して笑う道行く人々。このあと、男の子がとっ捕まってこっぴどく叱られたのか、それともばれずに、出前先で「あれ?少ねぇぞ!?」となったのか。想像を膨らませるのも楽しい。
 目にする機会がそこまで多くはない明治期の「おもちゃ絵」もまとめて紹介されており、口語訳の吹き出しとともに堪能した。

 後半では「笑い」のベクトルを変え、「笑みがこぼれる」ようなものとして、雛屏風のようなミニチュア絵画や「かわいい」絵画も紹介されていた。
 府中市美術館の展示で一躍知られるようになった“家光画伯(=徳川家光)”の絵には、相変わらず微妙な笑いがもれてしまう。ヘタウマ以前の「これでいいのか?」的な絵が、将軍直筆だからという理由で仰々しく表装されているあたりからもう、じわじわきてしまう。

 他にも魅力的な「笑い」の絵はいくつもあったのだが、そのテーマを忘れてうっとり魅入ってしまったのが英一蝶《四条河原納涼図》と勝川春章《達磨と美人図》。月をうちながめ、川の流れに憩うゆったりとした時間。今日も可憐な春章の美人……この2点は並んでいたのだが、この一角だけは別の時間が流れているようで、しばし立ち止まってしまった。

 最後になってしまったが、タイトルについても触れておきたい。
 「江戸絵画と笑おう」の「と」がよい。
 「江戸絵画で笑おう」ではなくして、「と」。

 描かれた江戸の人々の笑顔や、絵じたいが笑っているかのような江戸絵画と一緒になって、現代のわたしたちも笑おうじゃないかというのである。
 同じものを観て「笑う」ときに、人は心の共鳴を感じるものだ。ガラスケースの内側にある数百年も前のものが、急に身近に感じる。そんな出逢いを演出するような、いい展覧会だったと思う。


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