パナリ焼展:1 /箱根菜の花展示室
「作ったのではなく生れた」ようなやきものを観てきた。
その名を「パナリ焼」という。
パナリ焼は、沖縄本島から400キロも離れた西表島のさらに沖合にある小島・新城島(あらぐすくじま)で生み出されたという素焼きの土器。
ほとんどが最大径25~40センチ前後の壺で、椰子の実かジャガイモかといったようなおおらかな張りのある立ち姿や、風化してそのままさらさらと砂浜に消えてしまいそうな摩耗した風合いが見どころとなっている。文様は施されていない。
制作の背景、年代観についてはいまだ判然としないことが多く、幻のやきものといわれている。
パナリは「不均一」なやきものだ。
かたちも景色も、不均一。同じパナリでも、個体ごとに個性がずいぶん異なる。
そんなところが、人間みたいでとても好もしいのだ。
パナリの姿形には、胴の中央部が膨らんだきれいな丸壺形のものと、下膨れの洋梨形のものがあり、これらが現存作品の大半を占める。寸胴形や盥形のもの、香炉など例外的なものもあるにはあるが、少数。
つまり、かたちにおいては厳格に一定のパターンを墨守しており、そのバリエーションはけっして多くない。
ところが、そんなことを露も感じさせないほどに、おのおのの個体のもつ表情は豊かである。表面の起伏も、凹凸も、色合いも、土味も、摩耗の度合いも、ひとつとして同じものはない。
ある個体をとりあげてみても、少し角度を変えてやるだけで、まるで別の壺であるかのような顔をしだす。この在りようは、側面や背面も見える展示台や、手許での観察によってよく体感できた。
きっと、誰がどの壺を選び、またその壺のどの角度を好もしいと感じるのかは、人により……同じ人でも日や時間によって、違ってくるのではないか。そのように思わせるところも、パナリが愛好家を夢中にしてやまない理由だろうと思う。(つづく)