同潤会アパートと渋谷:2 /白根記念渋谷区郷土博物館・文学館
(承前)
「同潤会」とは、関東大震災の後、耐震性や耐火性の高い鉄筋コンクリート住宅を広く市民に供給するため設立された、内務省肝いりの法人組織。関東大震災から今年で100年めを迎えることが、本展開催の背景にはある。
同潤会の事業はアパート以外にも、宅地開発や住宅の分譲のほか、社員寮の造成を受託したり、スラム街に低所得者向けの共同住宅を提供したりと手広かった。同潤会の活動を落としこんだマップには、都心部から川崎・横浜あたりに点がびっしり。
同潤会のアパートメントハウスは、都内に13、神奈川に2か所あった。
そのなかでも、代名詞といえる表参道の青山アパート(2003年解体)、とくに大規模であった代官山アパート(1996年解体)はいずれも渋谷区内にあり、解体前の記録や解体後の部材が区によって保存されている。
渋谷区立の博物館で本展が開かれるのはそのためであり、展示資料は青山、代官山のものを中心に、唯一の女性単身者向けアパートだった文京区の大塚女子アパート(2003年解体)のものを加えるなどして構成されている。
青山アパートが同潤会アパートの代名詞となっているのは、単に立地がよく、目につきやすかったからというだけではない。
当時最新鋭の設備を有したのみならず、建築や内装の意匠が凝っており、デザイン面ですぐれていたためでもあった。本展には往時を偲ばせるタイル、階段の部材、ドアの扉やノブ、据え付けの木製家具といった “残欠” の数々が出品されていた。
パネルでは開発の経緯から消滅までの通史と、建築・設備に関しての掘り下げた解説がなされていた。そのなかには、豆知識としておもしろい情報も多々。
まず床は、コルク地に畳表張りという、昨今は見かけないもの。畳のような沈み込みがないため家具や椅子の跡が残りにくく、和洋どちらにも対応できるとのこと。衝撃が吸収でき、上下階の騒音トラブルが防げる利点もあるのだろう。いまでいう、クッションフロアみたいなものか。
屋上にある出っ張り、塔のような箇所は共同浴場だったことも、初めて知った。
入浴したいと思えば、銭湯に行くほうがふつうだった時代。共同とはいえひとつ屋根の下で完結できたのは、革命的なことだった。
明治の軍人・長岡外史(がいし)の名前が出てきたことには驚いた。
長岡といえば、オーストリアの軍人・レルヒ少佐から日本で初めてスキーを教わり、国内に広めた人物として知られる。
※お髭が長~~いことでも知られる。
この長岡、青山アパートの建設予定地の北側に屋敷があり、開発に難色を示したのだという。
住環境悪化への懸念のほかに、もっともな理由があった。長岡は明治天皇への崇敬の念が強く、明治神宮の表参道を見下ろすように庶民向けの高層住宅が立つことに不快感をいだいたのだ。
これに配慮すべく、道路とアパートのあいだに生け垣が設けられ、屋上は目隠しのため塀が高くされた。生け垣はいまでも表参道の沿道に広く展開されており、ある意味、長岡がこの周辺の景観をつくったともいえそうだ。
アパート内の日常生活に触れたコーナーもよかった。
代官山アパートで暮らした建築学者で「記録魔」の西山夘三による室内の解剖図解の紹介に、アパート併設の銭湯にあったノベルティグッズ、定食屋で使われていたレジスターの実物も。
展示室の壁面では、在りし日の同潤会アパートの写真を、館蔵のものから市民提供のものまで多数紹介。
公募で集めた写真はどんどん増えているようで、この前で昔語りをする人でひっきりなしであった。
ついでに2階の常設スペースにある、室内の再現展示も拝見。
図録は売り切れ。
いまはなきあの建物、大正や昭和の暮らしぶりへのあこがれとノスタルジーがよりいっそう強まるのを感じながら、館をあとにした。
※URの資料館で、代官山アパートの一室が再現されている。現在、移転準備中。