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いにしえが、好きっ!-近世好古図録の文化誌-:2 /国立歴史民俗博物館
(承前)
灘の吉田家に所蔵され、図録『聆涛閣集古帖』にも記載された資料の多くは、その後散逸してしまった。
本展では、吉田家の旧蔵品を可能なかぎり集めることで、「聆涛閣コレクション」の再現が試みられていた。
関西大学博物館の《馬形埴輪》は、大坂の「知の巨人」木村蒹葭堂から吉田家に伝わったのち、兵庫県令(現在の知事)で好古家でもあった神田孝平(たかひら)、大阪毎日新聞社長の本山彦一を経て現在に至る。
いずれも好古趣味をめぐるテーマには頻出の人物で、華麗な伝世過程といえよう。公式ツイッターでは「何人もの好古家のリレー」と表現されている。
【#いにしえ展 のみどころ】「邂逅(かいこう、めぐり逢い)」
— 国立歴史民俗博物館(歴博) (@rekihaku) March 1, 2023
『聆涛閣集古帖』所収の馬形埴輪(古墳時代・関西大学博物館蔵)は、何人もの好古家のリレーによって現代に伝えられました。今回、同じ頁にある樽形𤭯(たるがたはそう、古墳時代・個人蔵)と、約150年ぶりの邂逅です。
3月7日(火)開幕! pic.twitter.com/mdosuqs8Y1
ただし、吉田家から神田孝平へはあくまで「貸した」状態だったらしく、俗に言う「借りパク」ということになる。同じ伝来をたどっている資料が他にもいくつか出ており、馬の埴輪と一緒に借りパクされたのかもしれない。
【5/7まで!#いにしえ展 のみどころ】
— 国立歴史民俗博物館(歴博) (@rekihaku) May 2, 2023
関西大学博物館蔵の鍬形石は、奇石蒐集家として知られる木内石亭(1724~1808)の『雲根志』に、大坂の木村蒹葭堂蔵と記されています。古墳の副葬品として埋められた祭祀用の腕輪ですが、正位置とは逆に描かれています。その後兵庫県令の神田孝平の手に移りました。 pic.twitter.com/oIIA9j3ti2
以上の《馬形埴輪》の伝世過程についてはこちらの報告に詳しいが、この事例のように、本展のベースとなった共同研究や調査、それに展覧会の準備をきっかけとして明らかとなった新事実が多々あり、本展にフィードバックされていた。
来歴が不詳だった国宝《線刻釈迦三尊等鏡像》(平安時代 泉屋博古館)は、『聆涛閣集古帖』掲載の拓本の原品と確認された。そして注記の「家蔵」「伯耆大山之山崩所取得」によって、吉田家の旧蔵であること、出土地までもが判明したのだった。
【#いにしえ展 のみどころ】
— 国立歴史民俗博物館(歴博) (@rekihaku) March 9, 2023
公益財団法人泉屋博古館が所蔵する国宝の線刻釈迦三尊等鏡像です。展示を構想する過程で、『聆涛閣集古帖』所収の鏡の拓本と同一であることが判明。注記から、聆涛閣の所蔵品だった事実や出土地がわかり、これまで不明だった鏡の来歴が明らかになりました。 pic.twitter.com/QIWYLw1Flg
昨年の10月、泉屋博古館東京のリニューアルオープン展で本作を拝見しており、鏡面に施された柔和な鏨(たがね)彫りにたいへん感銘を受けていたので、これには驚いた。
さらに今回は行灯ケースに陳列され、裏面も鑑賞可能とされていた。『聆涛閣集古帖』では表裏ともども採拓されているため、このような展示手法がとられているのだ。
鏡背には、唐鏡に倣って密度の高い文様が鋳出されている。鏡面の、やわらかな和様の線とは好対照である。
出土地と判明した山陰の霊峰・大山(だいせん)の、裾の広いおおらかな山容を思い浮かべながら、堪能。
この他にも、展覧会へ向けた調査の成果が存分に披露されていた。
【#いにしえ展 のみどころ】
— 国立歴史民俗博物館(歴博) (@rekihaku) March 3, 2023
三つ叉の鉾を連想させるこの青銅品は、三鈷杵(さんこしょ)と呼ばれる法具です。関西大学博物館での調査中、『聆涛閣集古帖』所収の絵と同一であることを発見しました。形の珍しさからか、江戸時代の好古家たちにはよく知られていたようです。
3月7日開幕! pic.twitter.com/gQDoEZrb2U
【#いにしえ展 これは何?】
— 国立歴史民俗博物館(歴博) (@rekihaku) March 27, 2023
古墳時代の金銅製の馬具です。いずれにも鈴が付いています。聆涛閣集古帖に河内国金剛輪寺出土とありますが、その所在は当初はわかりませんでした。展示の準備を進める過程で、白鶴美術館が所蔵していることが判明。見事に一致。現代の好古家の情報が功を奏した一例です。 pic.twitter.com/X3MqzYWdP7
考古遺物の紹介が続いてしまったが、『聆涛閣集古帖』に掲載されたモノ=吉田家の興味の対象は、非常に多岐にわたる。
古文書に絵画、扁額、武器・武具、楽器、さらには印章、尺(物差し)、巻子を巻きとる題箋軸など……
【#いにしえ展 これは何?】
— 国立歴史民俗博物館(歴博) (@rekihaku) March 13, 2023
古文書を巻いた軸の上端を少し広く加工して、そこに古文書の内容などの見出しを書いた題箋軸(本館蔵・水木コレクション)というものです。聆涛閣集古帖では文房に分類されています。古文書そのものだけでなく、その附属品もコレクションの対象になっていたとは驚きです。 pic.twitter.com/HVScXbLSAg
古文書のうち、貴重なものは手鑑の形式にまとめられていたが、売却時に解体。バラの状態で、諸家に分蔵されている。所在不明のものも多い。
【#いにしえ展 こぼれ話】
— 国立歴史民俗博物館(歴博) (@rekihaku) April 21, 2023
戦前から戦後にかけて数多くの古文書・古典籍を扱った反町茂雄は、手鑑『聆涛閣帖』を苦心して入手したものの、そのままでは高額で買い手がつかないため、解体して諸方面へ売却した経緯を回想録『一古書肆の思い出』に記しており、現在では貴重な情報となっています。
【#いにしえ展 のみどころ】
— 国立歴史民俗博物館(歴博) (@rekihaku) April 20, 2023
手鑑『聆涛閣帖』は、一通ずつ解体して売却され、購入先でさまざまに表装されました。そのなかにあって、京都府京都文化博物館蔵の「某日次記断簡」は、古文書が台紙に貼られ、脇に題箋が付けられた状態で残り、手鑑『聆涛閣帖』の本来の姿をとどめる貴重な資料です。 pic.twitter.com/iIgc7RicAm
本展をきっかけにして、『聆涛閣集古帖』所載の資料や、手鑑に貼られていた古文書類の現在の行方は、さらに詳しく明らかになっていくことだろう。
「わかる」とはとても楽しいことだけれど、「わからない」ということもまた、その先に可能性を秘めているゆえに楽しいのだ——そんなことを、本展は改めて教えてくれた。
※本展では他にも、吉田家当主・吉田道可の商人や茶人としての側面、松平定信による『集古十種』編纂にあたっての吉田家の熱心な協力ぶり、松浦武四郎との交友などについても紹介されていた。
個人的に気になっているのは、吉田家が古器物の類を「見立て」て、茶事に取り入れるようなことがあったかどうか。近代の数寄者や大和の茶人のしたことを、近世の好古家もしていたとしたらおもしろい。