倉俣史朗のデザイン ―記憶のなかの小宇宙:1/世田谷美術館
先日、銀座4丁目の交差点を通りがかったところ、時計塔の向かいにある円筒形のビルが解体工事中だと気づいた。
三愛ドリームセンター。1963年、リコーのグループ企業であった婦人服店・三愛の旗艦ビルとして建てられた商業施設だ。
ドリームセンターの開業に先立って、そのプロジェクトに魅力を感じたひとりの若者が三愛に入社、宣伝部員として内装やディスプレイのデザインに関わっていた。桑沢デザイン研究所を出たての、倉俣史朗である。
ガラスやアクリルといった透明な素材を多用し、浮遊感のあるデザイン家具を生み出した倉俣。《ミス・ブランチ》(1988年)をはじめとする代表作を集めた回顧展が、世田谷美術館で開かれている。
三愛ドリームセンターの件は偶然だが、倉俣に関しては近年、さまざまな動きがみられる。
最も話題を呼んだのは、倉俣が内装を手がけた新橋の寿司店「きよ友」が、香港の新しい美術館「M+(エムプラス)」の収蔵品としてまるごと移設されたニュースだろう。
同館は2021年11月にオープン。NHK「日曜美術館」の特集で、ご覧になった方も多いかと思う。
2022年には、クラマタデザイン事務所で保管されてきた図面や写真、掲載記事などの資料・蔵書・作品が、アーティゾン美術館に一括収蔵。
そして今年、世田谷美術館で回顧展。年譜によると、クラマタデザイン事務所は世田谷区内というから、その縁なのだろう。
展示はおおむね、年代順。
プロローグを経た最初の部屋では、三愛、松屋銀座を経て独立、事務所を立ち上げた頃の初期の仕事を取り上げる。
自主的につくり、のちに製品化した「使うことを目的としない家具」の数々がおもしろかった。
「使うことを〜」とは、本人の言葉である。柳宗悦が聞いたらブチ切れそうな発言だが、そのように標榜する割にはふつうに使えそうな家具も多かった。
もっとも、使う側のセンスが大いに試されるというか、よほどハイセンスなお部屋でないと、むずかしそうではあるけれど。
「これはさすがに……」と若干引いてしまったのが《プラスチックの家具 洋服ダンス》(1968年 大阪中之島美術館)。
形状はいたってふつうの洋服ダンスでも、ハンガーをかける金属のバーや引き手、蝶番の金具を除いたすべての部材は、透明なアクリル板。スケスケのタンスだ。
日差しを遮ることも、目隠しになることもできない。遊び心や実験精神が極まり、用途を凌駕している。
ここまで思いきった発想が、さらにその実現までができてしまう点に驚かされるとともに、作者の若さや青さを感じるのであった。
見たまんま「オバQ」と呼ばれる間接照明がメインの小部屋を抜けた先には、ガラスや金属を主な素材とした作品が。
引力や重力から解き放たれた、浮遊感。そこに加わる、緊張感——倉俣が次に追い求めたこのような感覚は、部屋の中央に2つ置かれた《ガラスの椅子》(1976年 京都国立近代美術館・富山県美術館)によく表れている。
これはたしかに椅子、どう見ても椅子であるが、同時にガラスの板でしかないともいえる。
どちらにせよ、美しいかたちだ。会場では、2つの《ガラスの椅子》が床に直線の影を交差させており、そんな姿もまた美しかった。
「さぁ、どうぞ」と促されたとて、誰しも、腰をかけるに躊躇するだろう。ガラスにひびが入らないか、割れないか、接着がはずれて崩壊しないか、ガラス面を傷つけてしまわないか……などなど、心配の種は尽きない。ガラスの縁(へり)や角(かど)で、誤ってスッと切ってしまったりしやしないか……というあたりも気になる。
もはや座り心地などを気にする以前の話だとは思うのだが、それでも興味本位で、具合を確かめてみたい気持ちは消えない。
倉俣の掌の上で、踊らされている。
他の作品に関しても、「浮遊と緊張」という視点で観ていくとわかりやすい。
金属製なのに、重さ・硬さを感じさせないソファ。脚の接地面が極端に小さく、危なっかしいテーブル。
左の傘立ては、ステッキをかたどっている。傾いて、いまにも倒れそうなステッキ。その1点のみで支えられ、宙に浮いた輪っかの部分。まさに「浮遊と緊張」である。(つづく)
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