I♥スーパー スーパーマーケットのチラシにみる昭和:3/北区飛鳥山博物館
(承前)
昭和28年、東京・青山にオープンした紀ノ国屋の1号店が、セルフサービス方式による日本初のスーパーマーケットといわれている。青果店からの業態転換であった。
昭和32年には、ダイエーの1号店が大阪・千林にオープン。当時の店名は「主婦の店・大栄薬局」。いまでいうドラッグストアに近い品ぞろえであっただろうか。
このように、スーパーマーケットチェーン各社の沿革をひもといてみると、昭和30年代までの高度経済成長期に、それまでの業態から取り扱い商品を拡大させていった事例が多くみられる。イトーヨーカドー(伊藤羊華堂)は洋品店、いなげや(稲毛屋)やヤオコー(八百幸商店)は魚屋さんだった。
肉屋さんだった王子の「ほりぶん」(堀内文吾商店)がスーパーに変わったのは昭和37年で、まさに、この流れに掉さすもの。
都内を中心に出店しているスーパー「オリンピック」の1号店が、ちょうど同じ年にできている。2年後に東京オリンピックを控え、日本じゅうが沸きに沸いていた時代であった。
オリンピックの年に公開された、成瀬巳喜男監督の映画『乱れる』。
嫁ぎ先の酒屋・森田屋酒店を、ほとんど女手ひとつで守ってきた戦争未亡人の礼子(高峰秀子)と、新卒入社した会社を早々と辞めプータロー生活をしている義弟・幸司(加山雄三)の話で、背景となっているのは、商店街へのスーパーマーケットの進出である。
卵の「価格破壊」にはじまり、お得意さんが離れていき、思いつめた商店街の店主が命を断ち、一念発起した幸司が森田屋をスーパーマーケットに業態転換しようと画策……といった筋。これだけだと経済小説のストーリーのようにみえるけれど、メロドラマである。
斜陽の個人商店をなんとか切り盛りする礼子は、先立たれた夫、さらには「家(義実家)」にいつまでも縛りつけられた、前時代を引きずっている人物像といえる。
その陰影は、にぎやかなスーパーマーケット店頭のカットや、チンドン屋を載せた宣伝用のトラックが爆音で流す当時の流行歌「高校三年生」の調べによって、さらに引き立つ。
『乱れる』の舞台は静岡の清水であるが、ほりぶんが出店した王子の街でも、こういった人間模様や駆け引きが、大なり小なり繰り広げられたことだろう。
「黒船に抗う個人商店」という、現代でもみられる図式の淵源は、この時代にあるということだ。
ほりぶんは「黒船」の側だった。つまり勝ち組であったわけだが、それも今は昔……
博物館で展示を観たあと、ほりぶんの跡地に立ち寄ってみたところ、再開発の真っ只中であった。
11階建てのビルになるとか。竣工は、当初の計画よりだいぶ遅れて9月の予定。
大通りの一帯には王子銀座の範囲を示す雨よけの庇(ひさし)が続いていたはずであるが、上の写真左側の一部を残すのみ。ほりぶんの前にあった庇も、とうに撤去されている。
栄枯盛衰、諸行無常である。
——本展の会場では、王子に長くお住まいとおぼしき年配の方々が、ほりぶんのチラシや写真を観ながら昔語りをしている場面がしばしば見受けられた。
会場外のホールには「お客様カード」のような体裁で、スーパーに関するみなさんの思い出をボードに張りだしたコーナーが。
わたしも、実家の近くにあったふたつのスーパーのことを思い出しながら展示を観たり、コメントを読んだりしたのだった(ちなみにふたつとも、いまはもうない)。
一過性の量産品・消費物の象徴といえる「スーパーのチラシ」もまた、地域の歴史を物語る立派な資料なのだ。こうしてしっかり残されて、展示の形で活用されたことは、ほんとうに意味のあることであろう。
他の地域の事例も、気になってくる。
類似の企画があれば、また出かけてみるとしたい。
※会場にあった人物のパネル……たしかに、すごく存在感が強かった。