小津安二郎の審美眼-OZU ART-:2 /茅ヶ崎市美術館
(承前)
本展は、作家紹介のプロローグを除くと、4つの章からなっている。
本展の展示資料の性格も、章立てどおりにほぼそのまま、次の4つに分けられる。
①~③に該当しない小津の着物や手紙、資料類もあったが、これでおおむねカバーできる恰好。
③のポスターに関しては、ちょっと大げさで下世話な香りがする、当時のふつうの映画ポスターである。ポスターにまで、小津の美意識は徹底・浸透されていた……といったことでは、残念ながらない。
映画作品そのものに関連する展示資料はこのポスターや雑誌、写真などにとどまる。それに近いものとして、映画のワンシーンに映りこんでいる絵画・工芸や、制作時の直筆ノートの表紙に小津が描いた絵といったものがあって、こちらが展示の中心となっていた。
すなわち本展は、映画作品の内容はひとまず措き、少し離れたところから、小津の美意識を探る趣向になっている。
「豆腐屋」をみずから任じた小津から、豆腐たる「映画」を取り上げるようにもみえるが、たった一瞬一秒・1カットにも、小津の意図や美意識は込められている。小道具の選択に関してもそれは同様で、壺ひとつ、湯呑ひとつにも意義があるのだ。
美意識に適い、劇中の場面に適したものを、小津は自宅にある私物から選び出し、小道具としてスタジオにしばしば持ち込んだ。身近なものをモデルにして、映像や物語を構想していたともいえるのだろう。撮影中は自宅がガランとしていた……といった話も残っている。このような監督は、小津をおいて他にいないだろう。
美術の世界ではよく「コレクションとはコレクターにとっての作品、創作物である」といった言い方をする。たしかに、そうであろうと思う。
コレクションとまでいかずとも、好き好んで買い求め、日々普段使いしているものや、自宅や仕事場で身の回りを囲んでいるものもまた、その主(あるじ)の人となりや嗜好をよく物語るのであるし、広義の「創作物」といってもよいのだろう。
小津の場合は、日用品と小道具が、文字通りの地続きになっている。職と暮らしを分かたずに、美意識がつながっている。生涯独身であったことも、その徹底ぶりには関係しただろうか。
単なる「映画監督の旧蔵品」とは、いささか意味が異なっているのだ。そこに迫るのが、本展の主眼でもある。(つづく)