美術家たちの沿線物語 小田急線篇+京王線・井の頭線篇 /世田谷美術館
東京都世田谷区では、京王線、小田急線、東急線が東西を貫き、東急世田谷線が南北を結んでいる。
これら私鉄の開通と宅地開発が並行して進むにつれ、沿線を中心に賑わいが生まれていった。
いっぽうで、どの路線からも離れた地域には、現在でも農地や緑地が散見され、往時を偲ばせるとともに、世田谷らしい暮らしやすい雰囲気にもつながっている。
世田谷美術館では、区内で暮らし、制作に励んだ美術家の作品や資料を収蔵・公開してきた。
路線ごとに区内の近現代作家を取り上げる連続企画「美術家たちの沿線物語」は、2020年度の「田園都市線・世田谷線編」にはじまり、2022年度の「大井町線・目黒線・東横線編」、そして現在開催中の「京王線・井の頭線編」「小田急線編」でフィナーレを迎えている。
シリーズの完結を記念して、小冊子を無料で配布。
各回の4冊分に、シリーズ全体の解説+世田谷区の地図が載った紙をまとめ、特製の帙に収納。太っ腹であり、コレクター心が大いにくすぐられる。
もちろん、それだけが目的ではないのだが……欲しくなって、会期の序盤に観に行ってきた。
世田谷までやってきたのは、物欲を満たすため……のみならず。
世田谷区民でこそなかったものの、筆者は元・小田急線ユーザー。世田谷や狛江の先、多摩川を越えた川崎市内に、4年ほど居住していた。その間、世田谷区を毎日のように横断していたし、定期圏内ゆえ途中下車し、道草を食うことも多くあったのだ。
馴染みのある土地に関しては、やはり、見え方・感じ方の解像度が違う。また、視点・角度もやや異なり、作品との距離感はより近くもなるであろう。
それは「小田急線編」のあとに、同時開催の「京王線・井の頭線編」を拝見して実感した。第三者的な見方に、即座に切り替わったのである。
どちらの見方がいい、わるいというわけではないが、小田急線や京王線に馴染みや土地勘のある方であれば、ことさらに楽しめる内容ではあると思う。
路線・駅・作家ごとに作品をみていくなかで、本展特有の「驚き」にしばしば見舞われる。
たとえば「この人はあそこに住んでいたのか!」という驚き。こうなると、目の前の作品や作家その人が、一気に身近に感じられる。また、作品・作風と街のカラーとのあいだに共通性を見いだせるケースがあれば、その逆もあった。
「この人とあの人は、ご近所さんだったのか!」という発見も。瀧口修造と横尾忠則、さらに高山辰雄に絹谷幸二。みな、成城学園前に暮らした(ている)美術家だ。
小田急線沿線には、なぜか彫刻家が多い。経堂には柳原義達、舟越保武・桂・直木、豪徳寺には本郷新、梅ヶ丘のち代々木上原には佐藤忠良、下北沢には淀井敏夫。作曲家の古関裕而と武満徹が、同じ世田谷代田の駅前にいたというのもおもしろい(本展は「美術家たちの~」と題されているが、音楽や映画、文学など周辺分野も一部含んでいる)。
単に近隣住民であるにとどまらず、じっさいに行き来があった例、世田谷区内で独自の美術家グループを立ち上げた例もいくつかある。経堂・豪徳寺界隈に住んだ美術家たちは「白と黒の会」を結成し、ゆるやかにつながった。
企画の特性上、世田谷美術館がこれまでに特別展を組み、顕彰に努めてきた作家たちのオムニバス的な内容ともなっている。
バラエティに富んだ作品に触れることができるため、「こんな画家がいたんだ!」という驚きを得ることもできる。
わたしにとっては、梅ヶ丘に住んだ洋画家・小堀四郎(1902~98)がそうだった。美術団体には所属せず、作品を売りさえしなかった「孤高の画家」。近隣を描いた風景画を、本展では主に展示。下は小堀四郎《笹塚風景》(1922年 世田谷美術館)である。
本展は、土地の新たな魅力を知るきっかけともなりうる。
京王線の千歳烏山に関しては、恥ずかしながらオウム真理教の道場があったという、きわめて偏った古いイメージしかなかったのだが、寺町が広がり「世田谷の小京都」と呼ばれていることを、本展で初めて知った。
関東大震災後、都心の古刹が移転してきたためといい、喜多川歌麿や速水御舟の墓もここにあるとか。千歳烏山にお住まいの方、縁者のみなさん、すみませんでした……
——暮らした土地が、作風や作品にダイレクトに影響を及ぼすといえるほど単純なものでもないけれど、街のカラーや距離の近さというのは、存外にあなどりがたいものだ。
とくに世田谷の場合、早い時期であるほど、豊かな自然、のどかな田園風景、あるいは静かな生活・教育環境を求めて——いわば、制作にも関係しうる明確な意図・意思があって、世田谷へ引っ越してくるケースが多いと思われる。知己の同業者の近所に引っ越すこともよくあったようであるし、ただの転居とは、少しばかり事情が異なりそうだ。
私鉄沿線の街を散歩するように、ふらっと、さらっと観られる楽しい展示である。