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須田国太郎の芸術 三つのまなざし /世田谷美術館
7月13日から9月8日まで東京の世田谷美術館で開催されていた、洋画家・須田国太郎(1891〜1961)の回顧展である。
タイトルには「生誕130年 没後60年を越えて」という、奥歯にものが挟まったような文言が冠される。
本来の節目の年は、2021年。困難を乗り越えて、ようやく最後の巡回先にたどりついたのだ。東京での開催を待ちわびていたわたしも、感無量。
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国太郎は京都帝国大学の大学院で美学・美術史を修めたインテリの画家。41歳で初めて個展を開くまでは、外遊を経て大学で教鞭をとり、著作をものするといった研究者としての活動が表立っている。ティツィアーノ、ティントレットといったヴェネツィア派の画家、さらにエル・グレコ、ゴヤ、セザンヌなどに、研究・制作の両面から関心を持った。
理論・学識と実制作が噛み合った特異なハイブリッド性を、時系列に沿って示すのが第1章「画家の歩み」。つまり、オーソドックスな回顧展の内容はこの章に詰まっており、第2章からは各論=「三つのまなざし」へ移行していく。
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1つめのテーマは「旅でのまなざし」。
28歳のときにインドを経由してヨーロッパに入り、スペインを拠点に4年ほどかけて各国をまわった国太郎。旅のお供は、カメラであった。会場では旅の写真と、それをもとに描かれた油彩画を並べて展示。写真と絵のどこが同じで、なにを変えているのか、画家の意図を探るのが楽しかった。
帰国後の国太郎は京阪神を中心に、東西あちこちへ頻繁に足を運んでいる。ここではその成果、日本各地の風景画を並べる。
年代順ではないゆえに、展示作品のテイストは斑模様。西欧の残り香が徐々に消えて熟成されていく、画家自身の変貌ぶりをかえって感じさせるのであった。
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少々脱線するが、国太郎には古い寺や神社をモチーフとした作品が多くあって、上記のような特徴的な風景画とともに、わたしのたいへん好むところとなっている。
初期作の《法観寺塔婆》がすでにそうであったように、国太郎の描く古社寺の絵には、長年使いこまれてきた古材や根来の味わいにも似た趣がある。古拙の美を感覚的に解することのできる人だったのだろうなと思う。
経歴から関連しそうな事項をピックアップすると、母・フジは奈良の人であり、大正6年(1917)、26歳のときには奈良の浅茅ヶ原(奈良公園・飛火野のあたり)に下宿して古社寺をまわったという。また、外遊中に交友したという人物のなかに、文化財保護行政に寄与した建築家・関野貞が含まれていることも見過ごせない。
本展にも、古社寺モチーフの絵が数点出品。このあたりのことは今後、もう少し踏み込んで考えてみたいなと思っている。
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さて、2つめのテーマは「幽玄へのまなざし」。
国太郎の作風はしばしば「幽玄」と評されてきた。そのことに少なからず関係していそうなのが、能楽への深い造詣である。
大阪大学には、須田家から寄贈された能楽のデッサンが6000枚超も所蔵されている。これを中心として選びぬき、本展の第3章で一挙公開。
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演者の身体の動きが、きわめて簡潔な線でとらえられている。能楽に精通していればきっと、その線がいかに場面の機微を踏まえているか、勘所を押さえているかが如実に理解でき、息を呑むことだろう。わたしにそれが叶わないのは悔しいかぎりだが、そうであろうことは、容易に想像できてしまうのである。
3つめ、最後のテーマは「真理へのまなざし」。須田国太郎の芸術の到達点を示す「黒の絵画」を、最後のひと部屋を使って紹介している。《窪八幡》もこの部屋にあった。眼福。
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回顧展としては、やや変則的ともいえた構成だが、ここにいたるまでのさまざまな積み重ねが、ひとつの部屋にすべて収斂されていったような感触が得られた。
須田国太郎という作家を回顧するのみでなく、新たな観点から魅力を引き出そうとする、意欲的なメモリアル展であった。
※本展でもうひとつ、目を引いたのは「グリコのおまけ」。国太郎が細々と集めていたというもので、本展で初めて大々的に公開。写真撮影可の本展において、じつのところ最も「映(ば)える」のはこれであり、会場でも人だかりができていたのだが……「絵と、どう絡んでくるのか?」という肝心の点についてはなかなか解釈がむずかしく、解説を読んでも正直のところよくわからなかった。どうしても、作品とは結びつかなかったのだ(ミニチュア自体はわたしもすきなので、楽しめたのは確か)
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