MOTコレクション「歩く、赴く、移動する 1923→2020」:3 藤牧義夫 /東京都現代美術館
(承前)
藤牧義夫《隅田川両岸画巻》は「移動する」ことの愉しみに満ちている。
そして、それは必ずしも「歩く」ことだけを意味してはいない。作者の視点は時に鳥に化け、ただ「歩く」のみでは起こりえない、豊かな変化を遂げていく。
絵巻は隅田川を中心に、浅草側と向島側を行ったり来たりしながら、間断なく連続していく。古画にみられる「すやり霞」のような場面転換の手法は、大木などによる数例を除いてほとんど使われていない。
たとえば、次の画像は右が浅草側、左が向島側。切り替えの場面である。
義夫はそのさまを、舳先(へさき)の向きを少しずつ変えていくことによって、巧みに表している。鑑賞者の視線は左岸の向島へと、ごく自然に導かれていく。
本作の画面は横方向のみならず、上下にも動くし、角度も変える。このあたりは、本作の描写が「映像的」に感じられる大きな理由になっていると思われる。
三囲神社の社殿を捉えた箇所。
絵巻の描写に近づけて撮影すると、以下のようになる。
見上げ気味に、魚眼レンズを通して見たような描き方となっている。
この位置でしゃがみこんだり、座ったりすれば、たしかにこれに近い見え方になるのだが……あまりに唐突に、この場面は現れるのだ。直前の場面(下図)にすら、予兆はまったくみられない。
社殿の場面の直後、作者の目の位置はなんと、上がっていく。狛犬の表現がわかりやすい。
煽り気味の角度を引き継ぎつつ、狛犬の身体が、完全に見切れてしまっている。
前提として、三囲神社の社殿から狛犬までのあいだには、段差などない。ごく平坦、かつ短い距離で、狛犬も常識的な高さの台座に据えられている。
現地に立ってみると、義夫の視点がいかに急激に変化を遂げているかがよく理解でき、驚きが増す。
義夫はこういった「不意をつく」ような手法を、絵巻のところどころに挟みこんでいる。
驚かせること。それ自体は、肩幅の範囲で少しずつ開閉して観ていく絵巻というメディアが、伝統的に得意としてきたことではある。《信貴山縁起絵巻》(鎌倉時代 朝護孫子寺 国宝)のよく知られた場面——描き込みのまばらな画面が続いたかと思いきや、向かい側(左)から護法童子がキュイーンとカットインしてくるところ(こちら)などが、真っ先に思い出される。
だが、義夫はさらに、視点の上下や角度を変化させるなど、ひと工夫もふた工夫も加えて、鑑賞者にゆさぶりをかける。その視覚効果に、最後まで翻弄されっぱなしだ。
——すっかり、絵巻に入れ込んでしまっているが、この部屋には他にも、藤牧義夫の版画作品4点、松本竣介のデッサン7点(上の写真右)、桂ゆきや朝倉摂の素描など数点(同左)が展示されていた。いずれも「歩く、赴く、移動する」のテーマに沿った、東京の風景を描く作である。
そろそろ隅田川の絵巻から「移動」して、これらの作品たちについて語りはじめることにしたい。(つづく)
※藤牧義夫についての記事まとめ。
※4月からのコレクション展。
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