自分をいじめる癖の正体
朝、目がさめる。
いつもだったら、憂鬱度合いを確かめていたんだけれど。。。
自分いじめをやめよう、と決めてから
とりあえず、自動思考をやめなければいけなくなった。
ただ、鬱はそれとは別に強烈に獰猛にやってくる時があるので
その時は仕方なくそのまま飲み込まれるしかないんだけれど。
「自動思考」「反芻思考」というのは
意識する前に、もう始まってしまう思考のことで
例えば、昔あった嫌なこととか、嫌な思い出とか
辛かったことや、言われて傷ついたこと
そんなものが、朝一番から私の頭の中では常に浮かんでいて
ぐるぐるとその思い出の周辺を歩きながら
着替えたり、朝食を摂ったり、していた気がする。
私は今は、朝寝坊するとまず罪悪感から始まってしまう、
それをやめようと思った。
友人の中に、専業主婦歴の長い人がいて
彼女も、朝は11時くらいまで寝てしまうことがあると
笑って言っていたことがあった。
そうすると1日があっという間なんだよねー、と。
そこに罪悪感はかけらもなくて
寝坊は、ただ、寝坊なだけだった。
私のように、こんなに寝てしまってだらしない、役立たず
などと自分を責めることはない。
健全な思考が羨ましかった。
あれ?
じゃあ、なぜ私は自分を責めるんだろう?
彼女の寝坊がOKで
私の寝坊はNOという理由はない。同じ寝坊だ。
そう。
私はいつだって、自分を責めていじめることを
無意識のうちにやっている。
それを、やめよう、と決めて
気づいたんだけれど
私は一日のほとんどを、マイナス感情の反芻思考と自動思考の中で
生きてきたのだ。おそらく365日、毎日やっている。
心のリストカットをしている。
同じ記憶の時もあるから、そうすると
リストカットは同じ場所にすることになり
傷は1回ごとに深くなる。
確かに、昔ついた傷は、誰かから受けたものかもしれない。
言われた言葉だったり、された嫌がらせだったり
被害妄想の時もあったり。
でも、2度目からは、自分がそこにカッターで傷をつけ続けたのだ。
思い出し、相手をに憎み直し、恨み直すと同時に
自分の存在を貶めて、価値がない、生きる意味がない、というところまで追い詰めて、そこに鬱があると、それは引力で引き合って膨れ上がる。
鬱はその過去の思い出を栄養分にして大きくなっていくのだ。
そんなことは
やめなければ。
これは、心のリストカットなんだから。
自分をいじめない、と決めたら
その反芻思考が始まった時、「あ」
自動思考にも「あ」
と気づくようになった。
自分をいじめない。自分をいじめない。
そうすると、私の頭の中のノートは真っ白になった。
何にもないのだ。
それくらいに、今まで過去の反芻で埋め尽くされていたということだ。
私は独身時代から結婚後も
「普通に働ける人」になりたかった。
数年続くこともあれば、数日でやめた時もあった。
働くのは、大変なことだ。誰にとっても。
ただ、精神障害を持っていると
働く、のその前にいろんな壁があって
それは、なかなか健常者にはわかってもらえない
感覚的な不具合のようなものがあって。
ただ、なんとか、目標の年齢にまで達したところで
もう、この荷物を降ろしてみよう、と思った。
生きていくためにはお金が必要で
そのために誰もが、ある程度無理しながら働いているだろう。
稀に、その仕事が嫌いではない、好き、という幸運な場合もあるかもしれないけれど、大抵の人は休み明けは憂鬱なものだと思う。
私自身も
よく頑張ってきたと思う。実際、本当に必死で頑張った時期が
たくさんある。それは、障害を持ちつつも、のところで
ちゃんと、認めてあげていいんだと、思うようにする。
そうしないと、また自分いじめが始まってしまう。
そうして
自分いじめをやめようと思うと
考えることがないのにびっくりするのだ。
まだ、慣れていないのだ。
健全な思考ってどんな風だろう?
例えば、専業主婦の彼女は、日々、何を思ったり考えたりしてるんだろう。
私のように、嫌な思い出や自分責めや鬱々やこねくり回した自己分析ではない気がする。
人間の不思議さや分かり合えなさは、そういうところにある。
他人は、自分とは全然違う思考回路で生きているっていうことが
なかなか想像できない。できても、実感できることはない。
それにしても、自動思考ってすごい。気づくと始まってしまってる。
意識してストップする。これから、毎日意識する。