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正直、眞子さまと小室さんの結婚を応援してるやつwwww




それはぼくです。

こんにちは、諸君。今年は例年のような残暑もなく、八月の終わりとともに夏が去ってしまったらしい。遅生まれの蝉の声だけが、夏の温みをぼくたちの心に残しているみたいだ。
え…?まだ宿題が終わってないって?馬鹿野郎、夏休みの宿題は九月一日から始めるもんだろうが!!それでいいんだよ!!

さてタイトルの話題にかえろう。眞子さまと小室さんの結婚について、ぼくはぶっちゃけぼくは祝福してるし、応援している。そんなこと言っておきながら、実際記事の中身は批判意見を展開する気だろうと期待している文章読みの方たち。残念ながら、最後まで読んでも結論はタイトルに帰結するので結婚に反対ならブラウザバックしてしまってよろしい。

眞子さまと小室さんのこれまで

ひとまず、この話題に踏み込むにあたってこれまでの彼らについて報道されている限りを振り返ってみよう。

二人の関係がメディアにあらわれたのは2017年5月のこと、このとき小室さんは大学院で経営法務を学びながら弁護士事務所でパラリーガルとして勤務しているとのことだった。この前途有為を思わせる好青年は記者団の前に若干の緊張を見せながら、今朝の眞子さまとのちょっとした会話を伝えていた。

二人の出会いは国際基督教大学(以下ICU)在学中、同級生同士の二人は留学説明会での交流を通じて関係を深めたという。17年九月には婚約が内定し、両者の共同会見では「最初に惹かれたのは太陽のような笑顔」「月のように私を静かに見守ってくれる存在」とお互いを表現した。ぼくは何年後かに振り返ったら絶対恥ずかしいやつだ!と思いながら見ていたが、ぼくはラブコメ脳なので肯定的だった。
当初の予定では翌年18年秋に結婚式を行う予定だったというが、18年2月宮内庁は結婚に関わる一連の行事を2020年まで延期することを発表した。納采の儀、つまり結納にあたる行事を一か月後に控えた突然のタイミングであった。

この間に一部の週刊誌で小室さんの母親とその元婚約者との間の金銭トラブルについての報道があった。

延期理由について眞子さまは、結婚準備、結婚後の生活への準備について充分な時間を確保するための措置であると説明している。

18年8月小室さんはアメリカで弁護士資格取得のためニューヨーク フォーダム大学(Fordham university)へ留学した。

また、二人の結婚について父秋篠宮さまは、多くの人が納得して喜んでくれるようでなければ結婚に必要な行事を始められない。との考えを示している。

19年九月には小室さんは金銭トラブルについて初めて意見を表明「解決済みのことがらであると理解していた」と説明した上で、今後は母親の婚約者について「理解を得られるよう努める」としている。

眞子さまは自身らの結婚をとりまく一連の報道、父秋篠宮さまの結婚への考えについて次のように述べた。

「私たち2人がこの結婚に関してどのように考えているのかが伝わらない状況が長く続き、心配されている方々もいらっしゃると思います。また、様々な理由からこの結婚について否定的に考えている方がいらっしゃることも承知しております」


そして先日、婚姻届け提出を前に帰国を控えた小室さんの姿が報道され話題を呼んだ。


さて、ここまで長くなってしまったが、ぼくが思ったことはただ一つ。
いやいやお前ら全員、うっせえわ。

成人から10年迎えようとしている男女がお互いの人生を預ける相手を選ぶのにいちいち親の許可がいるのか

まず第一に、以上のようなことが頭をよぎった。最初に眞子さまと小室さんの関係が世間に明かされたのは2017年、この時で20代半ば、現在は29歳である。ぼくは結婚適齢期という言葉が嫌いだ。その年齢よりも早期、あるいは遅れて結婚する人間は社会通念にと照らして不適格であるような印象を押し付けようとする悪意を感じる。しかし、あえてその表現を借用するならば20代半ばで結婚を意識し始めた彼らはお互いのことをきちんと考えているとむしろ好感を覚えたくらいである。結婚適齢期、という謎の規格を了解してきた日本社会が三十代までの結婚を希望する眞子さまへ、待てを言う傲慢は果たして何を根拠にしているのだろう。適切な時期に結婚できない人間を負け組と指弾してきたくせに、結婚相手が気に入らなければそれを理由にいやいやとわがままを言って反対する姿は、よっぽど結婚の決断をした眞子さまと小室さんと比較して子供のように見える。
そもそも言及に値しないが、眞子さまも小室さんも大人だ。成熟した個人である。それも日本という法治国家が、その法律によって規定した成人年齢から10年も年齢を重ねている意志を持つ個人である。
親ガチャというネットの冗談が最近なぜかシリアスな温度感で取りざたされるが、どの家に生まれ、どんな環境に育てられるか、そしてそもそも生まれてくるか否かはどんな人間も選べない。これは厳然たる事実だ。ぼく個人の考えではだからこそ全ての子供は無条件に幸福であらねばならないと信じているが、脱線してしまうのでこの辺にしておこう。
さて、生まれが自分の意志の射程外にある以上、ぼくたちは好きに生きる権利は持っているべきだと思うのだ。眞子さまだって小室さんだって。おけらだってあめんぼだって。

でも、一般家庭と違うんだよという人へ

小室さんも眞子さまと、眞子さまも小室さんと結婚を決めた時、あるいは交際のタイミングですでに同じことを考えていないはずはないと思う。二人は君たちが考えるようなことはとっくの昔に考えて、お互いに話し合って決断したはずだ。成人を迎えた男女が誰と生きるか決めるのに、必要もないのに古臭い考えの人たちに合わせて、会見を開き、けじめを通した。ぼくの目には二人の姿はそれ以上のものに映らなかった。

そもそも、それは誰のための反対なのだろうか?

僻みか?嫉妬か?悪ふざけか?
そうでなければ眞子さまを思って?眞子さまが小室さんと結婚したら幸せになれないとでも思っているのだろうか?大きなお世話では?

皇族である眞子さまの立場を慮って、メディア相手に自身の婚約者とのやり取りについて「電話させていただいた」とあえて表現する小室さんをみてぼくはキチンと相手を思いやれる人だと思った。彼らの仲を反対する人の中で、ここまで真剣に相手の立場を配慮するために神経を注ぐ努力ができる人がいるだろうか。自分の奥さんや夫を「おい!」って呼んでいる人が彼を批判していないだろうか。正直に言えば、ぼくは二人の共同会見まで「納采の儀」なんて言葉も知らなかったくらいだ。きっと小室さんは、皇族である眞子さまとの結婚のために庶民の世界とは異なる伝統文化をきちんと勉強してきたはずだ。会見での言葉遣い、報道陣への態度。緊張とぎこちなさは残るもののどれも、眞子さまの相手として相応しくないと思われないように、眞子さまに恥をかかせないようにという努力がみられると思う。

先日の報道も長髪だなんだと本当にいやらしいやり口だと思う。
留学経験があればわかると思うが、海外の床屋は、どんなふうに切ってほしいか伝える難しさに加え、自分のレースの髪質に慣れていないことがあったり、そもそも流行や定番の髪型が日本人に似合うそれと違う。結果として、ぼくはコロナによる自宅待機も原因だと考えるが、散髪の機会を逸したのだろう。というか人を見た目で判断するのは良くないのは小学生でも理解できるだろう。ポケットに片手を突っ込んで記者を無視した態度をとっている?コロナ禍にあって往来へのアポなしの取材。対応できないのが普通だろう。というか無礼なのは記者の方に見える。

結婚反対の理由って小室さん自身は関係なくないか?

批判の原因が小室さん自身の不手際でなく、親の元婚約者との金銭トラブルというのはあまりにも不憫だと思うのだ。彼の学費生活費がそこから供給されたとしても、それが彼にとってなんだというのだ。彼の母と元婚約者の間で協議される問題である。
小室さん自身がそれを望んでいるかはわからないが、日本という国は親子関係を解消する法的制度は設定されていない。眞子さまとの結婚に際して、この問題が掘り起こされ、飛び火する可能性に対してあらかじめ対策などできなかったし、仮に勘当の制度があったとして、親のいない結婚相手を反対する人たちが歓迎したとは思えない。
あるいは、高等教育に金がかかる社会構造のほうが糾弾されるべきではないか。シングルマザーが子供を私大へ入れることの困難さ。大卒でなければ、雇用しようとしない企業。諸々の社会問題について、若い彼らをスケープゴートにして目をそらさせようとする悪意すら感じるほどだ。一時金にしても一億円程度を渋る嫌がらせは本当に目も当てられない。娘の祝い事よりも、国民の僻みにも耳を傾けようとする皇室の腰の低さが裏目に出ているようでぼくは悲しい。たかが一億円程度、国民全員が一円ずつ払えば良いではないか。そんなはした金よりも、中抜きという言葉に変えた賄賂やその他使途不明の税金がこの国にはいくらでもあるだろう。

ぼくが二人に望むこと

幸せになってほしい。最低限はただそれだけである。もしもわがままを聞いてくれるなら、令和という新しい日本にふさわしい結婚像、家族像をリードしてほしいというところか。どちらかお互いの親兄弟と一緒に暮らした、サザエさん的な家族の姿から、配偶者と子供だけの核家族に時代が移った。そして結婚というイベントの人生における強制性も薄まり、必ずしも全員がそれを選択しない。そして、結婚した夫婦の三組に一組が離婚するという時代である。このように従来の家族像が根本からあいまいになっている時代にあって、眞子さまと小室さんは結婚という選択をした。本人たちは望まなくても注目を集めてしまったのだ、これを困難ととらえず、チャンスとして、
「ほれ見ろ、われわれはちゃんと幸せだし、みんなこんな風になればいい!」と日本社会を羨ましがらせてほしいのだ。

誰が何と言おうとぼくは眞子さまと小室さんを祝福する。こんなネットのすみっこの落書きを二人が見ることはないだろうが、それでも反対する人間だけじゃないんだとここに刻み付けよう。

がんばれ、小室さん。まけるな、眞子さま。

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(Kobo)

https://www.pexels.com/ja-jp/photo/204993/


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