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伝統芸能(剣舞)、音楽活動、読書、旅行、お城巡りなど

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最近の記事

都於郡城跡と佐土原城跡

6月上旬に研修会で宮崎県に行く事となり、折角なので前乗りしてお城巡りを行ってきました。どちらもお城ファンには知れている有名なお城。天気は良くなかったのですが何とか回れて良かった(と7月上旬に記事にする)。 上記の通り、この日は雨模様。都於郡城跡の駐車場に着いた時もザーっと雨が降り始め、諦めようかと思案していたところ弱雨に。思い切って城跡目指して歩き始めた頃には奇跡的にあがってくれました。 「都於郡城跡」 宮崎県西都市。足利尊氏公より日向の国主に任じられた伊東氏の居城とし

    • 読書。それぞれ。

      昨年末からちょっとペースは落ち気味だけど、色々と読み進めた本それぞれ。ちなみに私が読む本の殆どが歴史&時代小説です。 ☆「耳袋秘帖 赤鬼奉行根岸肥前」 ドラマ化された「妻はくノ一」シリーズは面白く読みました。「風野真知雄」さんの江戸町奉行が事件の謎を追う推理もの。沢山のシリーズ第一巻。 根岸肥前守って実在の人物で「耳袋」も実在の著作である。そして今回の記事で上げた別の作品「火山に馳す」の登場人物の一人「根岸九郎左衛門」も同一人物であった。シリーズ作品が多すぎて今のところ

      • 剣舞吟題考察

        令和六年度全国剣詩舞コンクール、剣舞指定吟題の理解の為に記す。以前にも行ったが今回も手元の資料、財団の漢詩集や月刊誌なども参考にして自分なりに簡潔にまとめてみたい。 幼年の部・少年の部 ① 客舎の壁に題す / 雲井龍雄 斯の志を成さんと欲して豈躬を思わんや 骨を埋む 青山碧海の中 酔うて宝刀を撫し 還冷笑す 決然馬を躍らして関東に向こう 訳「この志を成そうと思うならば、どうしてわが身の事など考えられようか。わが骨を埋めるのは山でも海でも構わない。酒を飲みながら刀を撫で

        • 遅きに失した感もある「お城EXPO in 姫路」道中記(その三)

          3日目最終日です。この日に帰る事になっていたので姫路城巡りはお昼まで、前日(その二)に内堀周りを巡っていて良かった。 姫路城を知らない人はあまりいないでしょうが軽く紹介。現存12天守のうちのひとつで国宝、そして今年(2023)で30周年の世界遺産。秀吉や黒田官兵衛(本拠)と関りがあり、江戸時代初期に池田輝政が天守を立て直し西国支配の要ともされたお城で、櫓など多くの主要建築物が現存している。別名「白鷺城」。 この日も暑さ全開(9月中旬)。有料区画入口で開城時間を待って入場。

        都於郡城跡と佐土原城跡

          遅きに失した感もある「お城EXPO in 姫路」道中記(その二)

          今回の旅行のメイン「お城EXPO in 姫路」は9月16~18日の3日間、姫路駅から少し歩いたところにある「アクリエひめじ」内で行われました。私は最終日を選択。 お城EXPOは各地で年に5回前後行われていて(のはず)、横浜や大阪名古屋は毎年やっているのかな?(横浜でのお城EXPOは2016年から今年で8年目の開催)いずれにしろ数年前から一度行ってみたかった「お城EXPO」。実は3年前ぐらいから実行に移そうと計画、その都度公共交通機関や宿の予約、チケット入手までしてたのですが

          遅きに失した感もある「お城EXPO in 姫路」道中記(その二)

          遅きに失した感もある「お城EXPO in 姫路」道中記(その一)

          9月の連休に姫路市で行われた「お城EXPO in 姫路」。最終日のイベントに行きました。今回は(その一)として前日入り→大阪からの途中下車「明石城巡り」です。 「明石城」は城下を山陽道が通り、瀬戸内海沿岸・淡路島四国ルートに通じる交通の要衝の地に築かれています。徳川幕府からも西国の抑えの城として重要視されていたようです。現在は明石公園として整備されており巽櫓と坤櫓が現存。長い石垣と土塀の両端にそびえる櫓が明石城のイメージ。日本百名城に選ばれています。 明石城はまずJR明石

          遅きに失した感もある「お城EXPO in 姫路」道中記(その一)

          桜田門外ノ変

          画像:蓮田市五郎が描いた『桜田門外之変図』。茨城県立図書館デジタルライブラリーより 吉村昭さんの「桜田門外ノ変」上・下巻を読み終えました。 桜田門外の変といえば、江戸時代末期に江戸城桜田門外(現在の霞が関・警視庁北面当たり)で水戸・薩摩浪士が彦根藩の行列を襲撃、大老・井伊直弼を暗殺した事件で、歴史が苦手の人はともかく知らない人はいないでしょう。 今作は襲撃浪士の現場総指揮の水戸藩士「関鉄之介」が主人公。吟剣詩舞界隈、特に剣舞では有名な「出郷の作/佐野竹之助」「絶命の詞/

          桜田門外ノ変

          愛知県城巡り旅行(その二)

          城巡り旅行一日目。小牧山城巡りのあとは小牧駅(名鉄小牧線)へ移動して乗車、木曽川方面へ。 (その一の記事) 国宝犬山城 犬山城は織田信長の叔父、織田信康が築城したと伝えられ、木曽川を抑える重要拠点でした。のちに「小牧長久手の戦い」の際には羽柴秀吉が入り小牧山の徳川家康と戦います。江戸時代になると尾張藩付家老成瀬氏が城主となり代々受け継いで幕末まで続きました。明治維新後は廃城となり天守以外は取り壊され、明治の濃尾震災では天守も被害にあいました。修復を条件に成瀬氏に譲渡され

          愛知県城巡り旅行(その二)

          愛知県城巡り旅行(その一)

          10月下旬、愛知県城巡りの旅。全国旅行支援を使い、1泊2日の旅を格安で実行出来ました。複数回に分けて記事にしたいと思います。 まずは午前中に中部国際空港から名鉄犬山線岩倉駅まで。バスに乗り換え小牧駅方面に向かい途中下車して徒歩で「小牧山城跡」へ。 小牧山城跡 小牧山城は織田信長が美濃攻略を目指すための拠点として小牧山に築いた城で、それまでの本拠「清須城」から小牧山城へ、のち岐阜城に移るまでの本拠地でした。岐阜に移った後は廃城となりましたが、「小牧長久手の戦い」が起こると

          愛知県城巡り旅行(その一)

          雲奔る

          藤沢周平さんの「雲奔る」小説・雲井龍雄、を読み終えました。雲井龍雄と言えば江戸時代末期から明治の人で、吟剣詩舞では下記の漢詩が知られている。 「客舎の壁に題す」 斯の志を成さんと欲して 豈(あに)躬(み)を思わんや 骨を埋む 青山碧海の中(うち) 酔うて宝刀を撫(ぶ)し 還(また)冷笑す 決然 馬を躍らせて関東に向こう 訳「この志を成そうと思うならば、どうしてわが身の事など考えられようか。わが骨を埋めるのは山でも海でも構わない。酒を飲みながら刀を撫で、静かに思いを含み笑う

          雲奔る

          城巡り旅行(その二)

          その一に続いて二日目の旅程を記します。 城巡り旅行(その一) 一日目の宿泊を静岡県三島市で済ませ、バスで箱根方面へ。この日は天候が悪く朝は小雨、天気予報を見ながらあらかじめ決めていた予定を変更しました。 芦ノ湖、箱根神社と箱根関所跡 小雨の後に回復する予報だったので、山城巡りを後にして一気に元箱根港に着き、箱根神社へ。 箱根神社 箱根神社参拝時まで雨でしたが、次に向けて歩く頃には雨も上がり始めます。芦ノ湖の湖岸を歩きながらバス停へ。晴れていたら富士山が見えていたは

          城巡り旅行(その二)

          城巡り旅行(その一)

          コロナ禍で趣味のお城巡りもなかなか出来ずにいましたが、そろそろ遠出の旅もやってみようと決意。幸いお城巡りはほぼ屋外、引き続き対策はしっかりと行いつつ楽しんで来ました(5月末)。 小田原城 まずは朝一の便で羽田に着き、横浜駅経由で小田原駅へ。 最初に巡る「小田原城」は、戦国時代に伊勢宗瑞(北条早雲)が大森氏から奪い、子の氏綱から氏康、氏政、氏直の北条五代に渡っての居城として知られています。北条氏康の時代には武田信玄や上杉謙信からの攻撃に耐え、北条氏政、氏直親子の時代には、

          城巡り旅行(その一)

          指定吟題(その二)

          個人的な資料、まとめとして記す。剣舞のみ。手持ちの解説書や吟剣詩舞月刊誌「吟と舞」などより引用、もしくは要約。 (その一)から続く。 青年・一般の部。 4 「逸題」   山内容堂風は妖雲を捲いて 日斜めならんと欲す 多難意に関して 家を思わず 誰か知らん此の裏 余裕有るを 馬を郊原に立てて 菜花を看る 捲いて(まいて)、此の裏(このうら)=この様な事、郊原(こうげん)=野原、菜花(さいか)=花 訳、「日本の国情は、例えば風が妖しい雲をよび、日が陰るが如く、まことに前

          指定吟題(その二)

          指定吟題(その一)

          個人的な資料、まとめとして記す。剣舞のみ。手持ちの解説書や吟剣詩舞月刊誌「吟と舞」などより引用、もしくは要約。 幼年・少年の部 1 「桶狭間を過ぐ」   大田錦城荒原古を弔う 古墳の前 戦い克って将驕る 何ぞ全きを得ん 怪風雨を吹いて 昼晦の如し 驚破す 奇兵の 天より降るかと 古(いにしえ)、克って(かって)、全き(まったき)、晦(やみ) 訳、「荒れ果てた古戦場の丘で当時を忍ぶと、今川軍は緒戦の勝利に酔いしれ驕っていたようだが、それでは真の勝利を得る事は出来ない。あ

          指定吟題(その一)

          塞王の楯

          もう昨年末になりますが、今村翔吾さんの「塞王の楯」を読みました。石工集団・穴太衆と鉄砲鍛冶・国友衆。「最強の楯」と「至高の矛」、戦国の世の宿命の対決と言えるお話。。自分はお城巡りが好きなので、石垣作りの穴太衆が主軸に描かれているこの作品が発表された時、読むのを楽しみにしていました。その後、第166回直木賞を受賞されて喜ばしい限りです。 物語は越前一乗谷から始まる。織田信長の侵攻で滅亡寸前の朝倉氏一乗谷、主人公は親妹とも離れ一人山城に逃げ込むが誰も手を差し伸べてはくれない。し

          塞王の楯

          北条早雲

          富樫倫太郎さん「北条早雲」を読みました。 「青雲飛翔篇」「悪人覚醒篇」「相模侵攻篇」「明鏡止水篇」「疾風怒濤篇」の五巻です。 北条早雲とは後世に呼ばれた名で、生前は「伊勢宗瑞」と名乗っていました。号が早雲庵宗瑞、子の氏綱から北条の姓を名乗り始めた事から、一般に北条早雲と呼ばれるようになっています。 ひと昔前だと、「北条早雲は素性の良くわからない、もしくは身分の低い人が下剋上で戦国大名に成り上がっていった」、なんて話の印象だったけど、現在では室町幕府の中枢に位置する伊勢氏

          北条早雲