私のカラダのことは、 これといった治療法はない。 カラダ中がガチガチだからほぐす為に、 カラダが動かないから鬱が促進されるから、運を動かすために。 鬱は朝日を浴びるといい。 全部わかってる。 でも、継続出来ない。 で、落ち込む。 最悪の人生のパターンが頭の片隅にある。諦めちゃうってやつ。 昨年末になんだか我が家の不幸の仕組みに気づいてから、兎にも角にもその時の状態を続けていることが、疫病神を呼び続けてたことに気づき、腹から怒りを覚え、良くも悪くも現状維持が得意な母が、
その人の外側じゃないんよね。 その人がどんな状況であれ、 その人から発せられているものの方が 言語化するよりもたくさんを物語ってますよね。
私は、食べたほうが寝やすい。 なんでやろ?
一つ前の記事。 騙されたと思ってやってみた。 やっと開き直れたともいえるかな。 そう思うと、私も変わりたい変わりたいと口では言い続けて思い続けてきた つもりが『つもりでしかなかった』ことに気づいた。 『自分を変えたくなかった』 なぜか今はわかる。 ①変えられない、という信念が形成されていた ②変えたくない、という謎の信念も同時に形成されていた ③好くなりたくない、って無意識に侵入されてた。 でも、なんだか↓前回思い切ってみたら、何故だかね、 あれだけ、ガチガチの全身、そ
自分の入り組みまくった心にさせられ、頑張っても蟻地獄が続いたら 【死ぬで】。 【自分の気持ちをありのままに善悪無しに見つめる、受け入れる】とどこでも言われるそれができんから苦しんでるのに。 せやけど、【めっちゃ思い切ってやってみた】。 自由に動かないカラダになってる。 治そうと一生懸命30年。 治らん。 つい最近。 このカラダ、天から与えられた環境、毒親×2、etc.. 納得いかんけど、、 思いっきり真逆に振り切ってみてはどうか! ということは、 よし、この人
人は、自分の人生または、自分のこころ、自分が抱えている陰部を隠そうとする。 誰に? 自分に これが、一番拗らせる。 それが、一流の詐欺師を作る。 自分の中の陰を明らかにしよう。 陽も明らかになる。 陰をないことにしていたら、 いつまでも陰しか見えてこない。
正社員を辞めて14年、なんとかチョコチョコ食い繋けられてたけれど、なんせ普通に動けないカラダが変わらない。 心も、上っ面の気合いを入れてもカラダがついてこなくて、不義理三昧を罪悪感とダメな自分を増幅させるだけ。 でも、お金が入ってくるところは当たり尽くしてもうなかった。 今思うと、こうなるのは明白だった。 気づかないバカだったために。 (ここはまた書きたいところです)。 (過去記事で少し触れています)。 ※心の病を薬が治すということは、 直感的に且つきちんと服用もしてみ
いつも声援やなぐさめ、をかけてくれるひとではなく、 どうしていいかわからないとき、 何もなくなったとき、 いざというときに逃げない人
①愛情と信頼の不足 ②正しさ ③あなたのため というマジック
タイムウェーバーの2回目のセッションを受けた。 タイムウェーバーは、気づきを与えてくれる、または気づきを与えてくれるチャンスを起こしてくれるものだった。 父に暴力、モラハラ及びセクハラ言動を毎日のようにされていた母。 母を守ろうと立ち向かう私たち姉妹にもチカラでねじ伏せてきた、あの恐怖。 母は、田舎の祖父に助けを求めに行った。 しかし、母が戻ると言ったら止めなかった。 当時10歳頃のわたしは、 明治生まれの父親はそんなものなのかもと思うしかなかった。 根が優しい祖父
https://youtu.be/gI0Fc4L_-QY?si=2KDY3PRr9ulxnPzd
10年ぶりぐらいに ホオポノポノをやってました。 その頃は全く信じられ無かった。 10年後の今。 要らんことを考えるくらいなら、 唱えるほうがマシかもと思って。 延々と、四つの言葉を唱えてみた。 タイムウェーバーのお陰もあってか、 10年前より、サクサクと脳内で唱えられた。 それで約1ヶ月かな。 本音を殺しての、 思考で生きてた部分に ホオポノポノを投入してたら、 脳とカラダが楽になった。 どんどんやってみたら、今度は苦しくなった。 ゆるしてください、がしんどい。
みんな 皆んな 皆んな 何よりも 『どんな自分もゆるして』 生きたら循環起きやすいのかも
結局、これに気づいてやめるしかないんだけど、知恵のまわる幼少期から『無意識にはじめてた』から、今の49の自分もまだ抜け切らないよね。 んで、死にたい病にかかる。 その抵抗はなんやろう。 んー、すぐ答え(=自分の本音)をつかもうと思いすぎるからかな。 こんなのも完璧主義と『私はダメ』という強力な擦り込みの現れなのかもね。 『なんとなく、ちょっと』で、 おおーーー ちょっと気がつけたー パチパチ👏 というお気楽にすると良さそう。
(前々回、前回に続いて) 私は自分の陰のサイドを頑なに受け入れたくなかったんだなって思う。 陽が好くて隠が悪い、ってやっぱり思ってたんだな。 誰も彼も、何処もかしこも、 陰も陽も両方あるっていうことを 思考でしか理解してなかったな。 『死にたい嵐』を逃げずに受け止めたら、なんだかわからないけど、心の何かが変化した感じがするし、カラダも少し楽になった。 #陰陽合一
(昨日の記事参照) 自分の中のことを逃げずに受け止めたことで、自分は外側に一生懸命だったから死にたい嵐くるとわかった。 死にたいは、 ちゃんと生きたいって叫びなんだって。 死にたいは『嫌と怖いの間の言葉』なんだって。 死にたい闇が忍んできたとき、それを感じてる。そうなんだと思う。 昨日、逃げなかったことで、やっと望んでいる、『私の魂の喜びは何か』に集中することが、フローになる感じがしました。