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働くとは、きっと魂の修行
こんにちは、こびとです。
仕事のこと、働くこと、についてちょうど書きたいなと思っていたところにnoteさんの投稿企画「#私にとってはたらくとは」を見つけました。
ベストタイミングです!ありがとうございます!
ここ最近、斎藤一人さんのお話しをSpotifyで聴きまくっておりまして、ひとりさんマインドに影響されているのですが、
「働く」って自分の幸せの追求と魂の修行なんだなと強く思うんです。
どういうことかと言うと、「働く」って何かな?と突き詰めていくと「生きる」だと思うんですね。
「どう働くか?」=「どう生きるか?」
今の時代は多くの人が、生きていくために何かしらの仕事をしてお金を稼いで暮らしを立てていると思います。
で、僕なりの仕事や働くことの定義付けをしておきたいんですが、
まず仕事や働くことって「しなければならないこと」だとは思わないんです。強制や強要をされるものではないということです。
しかしですねぇ、現代社会では働かなきゃお金は得られないし、お金がないと暮らしていけませんよね。さらに働き手がいないと社会が回らないので、豊かな暮らしもできません。
因みに、自給自足の生活は価値観が少し違うので当てはまらないかもしれませんが、作物や家畜を世話したり、暮らしを立てていくために、ある意味めちゃくちゃ働いていると思います。
何が言いたいのかというと、今の世の中は強制や強要はされないけど、働かなきゃ上手くいかないようになっている。ということです。
あともう一つ大事な視点がありまして、収入や社会的地位のランク付けも必要ないと思っています。
パートやバイト、社員、役員、社長、フリーランス、主婦、主夫などなど、どれも素晴らしい仕事です。
だから大事なのは、どんな職業かではなくて「働く姿勢」だと思うのです。
それが「生きる姿勢」とイコールになる。
・人が動くと書いて「働く」
・側(はた)の人を楽(らく)にしてあげることを「はたらく」
というように、人との関わり合いが働くことだと思うんですね。
ということは、一緒に働く人たちやお客さんに、
どうしたら喜んでもらえるだろう?
どうしたら楽しんでもらえるだろう?
どうしたら幸せに感じてもらえるだろう?
って考えながら実践していくことが、「幸せを呼ぶ働く姿勢」なんじゃないかなと思うんです。
で、これを実践していると本当に楽しく働けるんです。
相手に喜んでもらおうと一生懸命している人に悪いことなんて起きるはずがないんですね。
良いことしか起きないんです。
でもこの「幸せを呼ぶ働く姿勢」を実践し続けることが難しいんです。
そりゃそうですよ。大変ですもん。
働くっていっても会社で働く以外に家庭でも働かなきゃならないし、現実は混沌としています。
それでも、そこで怠けたり、不平を言ったりしてると絶対上手くいかないんですよね。愚痴ばっかり言っている人と働きたくないし、一緒に暮らすのも嫌ですよね?
だから見事に悪い連鎖が起きます笑
だから働くって生きることにダイレクトに繋がるし、人生の価値観にも繋がってきます。
良く働けば、良く生きていくことができるし、幸せに働けば、幸せに生きていくことができる。
だから、働くことは、自分の人生の幸せを追求し続けることだと思うんです。
そしてそれは当然大変なことだし、努力が伴います。
だから、もうこれは修行なんだと。
幸せを追求し続ける魂の修行なんだと思えば頑張れる気がするんです。
今の僕は、まさに働きかたを問われる真っ只中にいます。
自分が勤めるお店が傾きかけていて、その立て直しをしつつ、妻と家族の目標であった自分たちのお店も始めようとしています。
やりがいやワクワクと同時にプレッシャーもあります。
同時に2つのことを進めていくというのも、側から見れば無謀に思われるかもしれません。
けれど、自分が誰かのお役に立てる場が増えたと思えば、こんなに幸せなことってないんじゃないかなとも思えるんです。
一度は挫折した自分のお店を持つという夢が、不思議なくらい自然に目の前に現れているのも、なんだか導かれている気がしています。
目の前のことを1つひとつ、魂の修行だと思って取り組んでいきたいです。
なんだか、まとまりのない文章になってしまいましたが、「#私にとってはたらくとは」をお話しさせていただきました。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます!
こびと