くじ引きで“世界1何もない首都があるラオス”に行くことになった話
ハタチ、大学2年の頃。友達と海外旅行に行こうという話になった。
「どこに行こう」
お互いの行きたいところを候補としていくつか出して、相談しながら決めるのが一般的な決め方だと思う。
しかし、私たちは違った
海外旅行に慣れていたわけでもない。むしろ私にとってこの旅行が人生2カ国目だった。
正直海外に行けるのであればどこでも良かった。
紙にいろんな国を書いてシャッフルして、1つ引いた場所に行くのは?
どちらが言い出したのかはもはや覚えていない。私かもしれないし、私の友達だったかもしれない。どちらにせよ、2人とも乗り気だった。
すぐに紙とペンを用意してくじ引きを作り始める。
その国が一般的に見て安全であること
ハタチの私たちでもやりくりできる物価であること
この2つだけは考慮して、Googleマップを見ながら約30カ国を1つずつ紙に書いてかき混ぜた。
そして引き当てたのが
ラオス
...ラオスってどこ?
これが私たちのリアルな反応だった。
すぐにGoogleマップでラオスの場所を確認する。
タイの隣!良いじゃん!
もちろん何の根拠もなかった。
当時の私たちは
バックパッカー=タイだったので、その隣の国だから多分タイに似てるよね。大丈夫そう!くらいの感覚。
そんなこんなで、私たちのラオス行きが決まった。(翌年にはタイにも行った)
ラオスに行くにあたって準備したもの
・航空券
・バックパック
以上。
まともに下調べもせずにお互いとりあえず航空券だけ取った。お互いに海外旅行初心者。特に打ち合わせはしていなかったが、行き先がラオスと決まった瞬間、2人ともバックパックを購入。
ホテルは?
普通の海外旅行だったら事前にホテルも予約していくであろう。
しかし私たちはホテルを取らなかった
何故か?理由はひとつ。どうせなら“バックパッカーな旅”がしたかったから。
ハタチだった私たち、無敵。
出発直前
偶然当時のTwitterで高校の同級生が東南アジア一周中でラオスの首都、ビエンチャンにいることを知る。
何故かTwitterをお互いにフォローしていたが、ほぼ話したこともないような距離感の人だった。
高校を卒業して2年、ほぼ顔見知りの同級生に勢いだけでDMを送った。
「実は私も来週ビエンチャンに行きます!」
すぐに返事が返ってきた。
「ビエンチャンで集合しようぜ〜!!!」
さすがのフットワークの軽さ。東南アジア一周中なだけある。ほぼ話したことない私からの突然のDMにさぞかし驚いたであろう。
「空港まで迎えに行こうか?」
思ってもみなかったオファーまでされた。私たちの答え?もちろんYESだ。YESに決まっている。
ビエンチャンに到着
飛行機から降りた瞬間のモワッとした生ぬるい空気。空港を出た時の、一気に暑くなる“あの感じ”とタクシーの客引きのガヤガヤに胸を躍らせる。
首都ビエンチャンの空港は、とても小さくて可愛らしい空港だ。
「やっほー!」
遠くに見たことある顔が見える。Twitterで連絡を取り合っていた同級生が出迎えてくれた。
見知らぬ土地で見る知っている顔。
今までほぼ話したことがなかったとは思えない安心感を得る。
ビエンチャンの空港に至るまでの話、機内食がどうだったとか、入国審査での英語が全く聞き取れなかったとか、そんな話をしている間にあっという間に市内に着いた。
「俺が泊まってるゲストハウス結構いいよ」
ということで同級生が泊まっているゲストハウスにアポなし突撃訪問。初めての経験。値段を聞き、空いている部屋を見せてもらう。温水シャワーがあるかの確認。水圧は激弱だが一応ぬるいお湯が出た。
ちなみに、もちろん部屋にシャワーはない。共有シャワーに共有トイレ。
「私たちもここにしよう」
他にもいくつかゲストハウスを見て回ったが、最終的な決め手は安さとレセプションのお兄ちゃんの愛嬌だった。
宿が決まり、Jomaという現地のチェーン店のカフェへ。
完全にノープランだった私たちに、親切な同級生が自身のラオス放浪体験を元に"ラオス完全攻略プラン"を練ってくれた。
その日の夜彼に別れを告げ、次の日の朝1でビエンチャンを後にした私たちは彼の提案通り
ビエンチャン→ヴァンヴィエン→ルアンパバーン→ビエンチャン
このルートでラオスを旅した。
移動は長距離寝台バスと乗り合いバン。
寝台バスは2階建てになっていてそこにベッドが敷き詰められていた。寝て起きるだけで目的の街に着いてしまう。
乗り合いバンは結構地獄。狭い車内に7.8人。もちろん灼熱だが、そこまでは想定内だった。
問題はデコボコ道。
山の中をすごい速度で走るバン。このまま崖から落ちないかと心配になる私たち。
出発から数時間すると、チラホラと「車を止めてくれ」といい出す人が出てくる。
どうやらデコボコ道×荒い運転に耐えられなかったようで、茂みに隠れて嘔吐していたようだ。
幸い私たちは2人とも最後まで耐え抜くことができたが、本当に過酷だった。
ヴァンヴィエンではバイクを借りてブルーラグーン、ルアンパバーンではトゥクトゥクでクアンシーの滝へ行き、ラオス名物、ゾウ使いの資格も取った。
トゥクトゥクやナイトマーケットでの値切り、毎日飲んだ1杯60円のフルーツスムージー、たまにお湯が出なくなるゲストハウスのシャワー、桁が多すぎるラオスのお金、紐が通っていない現地調達したズボン。
全てが新鮮だった。とにかく毎日が楽しかった。
私はこの旅でiPhoneとウォークマンを失った。はじめは落ち込んだが、だんだんそんなことすらどうでも良くなった。
旅って、うまくいかなければいかないほど面白くなる。
気づくと私たちの1週間の旅は終わりに近づいていた。
ビエンチャンの空港のイスに座って外を眺めながらフライトまでの時間を潰していた。
気づいたら帰りたくなくて涙が出てきた。
この間までラオスという国すら知らなかったのに、今ラオスを離れたくなくて泣いている。
そんな自分が不思議でたまらなかった。
この後、6カ国旅をしたがラオスを超えられる国はなかった。
3年後に、社会人になった私は1人でラオスに戻った。
仕事の都合上、4連休が限界だった。
本当は私のお気に入りの街、ヴァンヴィエンに行きたかったが時間の関係上ビエンチャンのみにした。
世界1何もない首都と呼ばれるビエンチャン。
とりあえずトゥクトゥクに乗って、バイクを借りて、屋台の焼き鳥やカオニャオを食べた。思い出のJomaにも行った。
それだけで十分だった。本当に満たされた。
「何もないがある。」ラオスはそんな場所だ。
最後にラオスを訪れたのは2018年。
翌年2019年にカナダにワーホリ、2020年、コロナのロックダウンと共に日本に帰国。
2021年にカナダに戻り、早いものでカナダ生活も5年目になる。
初めてラオスを訪れてから9年
最後にラオスを訪れてから6年
色々な国に行った。自分が知らなかった海外生活の現実もたくさん知った。
それなのにラオスを超える国に未だ巡り合わない。
今でも毎日ラオスを想いながら暮らしている。
人生いつ何が起こるか分からない。いつかまたラオスに行きたいと願うだけの自分にうんざりして、仕事を辞め、ラオス行きの航空券を買った。
来月、6年ぶり3回目のラオスに行く。
今回の目標は“生活をするように旅をする”