大げさにするから

今日、拠点の修理に来てくれた内装工事の職人さんたち。

終わってお茶を出し、ひとっ話し。

10月からフリースクールを始めることを伝えると、

フリースクールって??と聞かれる。

他の人とも会話をしていて思うのだけど、やはり一般的には馴染のない言葉のようだ。

小中学生の不登校が通う学校ですと。先の記事でも書いたけど、そのうち「不登校が通う」が取れればいい笑

話したら、その職人さんの息子さんも中学時代に不登校だったらしい。

そして次男の中学の卒業アルバムは、2〜30人名前のパネルだけだったとのこと。

その人の息子さんは、高校は行けるようになり、今ではしっかりと働いているとのこと。

ここからがヒントになったのだが、行かなくなった当初は、行け行けとかなり怒ったが、それでも行かなかったので、フツーの会話だけはするようにしてたと。

そして、今考えれば長い人生で2〜3年学校に行けなかった、行きたくなかったからと言って何の支障もなかったと。

私も激しく同意する。

そうなのだ。

小学校、中学校などと区切るから行かないことがさも大問題のように捉えられるが、

長い人生のスパンで捉えたら全然問題ではない。

問題にするから、問題になるのだ。

先生方にも多いし、こういうことって、現場より何もしない役人が問題を定義し作り出している気がする。

というか、それが事実。

彼らが、自分の仕事を作り出すことは問題を新たに見付け、新しい概念を作り出していくことなのだ。

だから問題にしなければ、問題にならない笑

まあ、多くがそれに乗っかってしまっているから、外れたような気になっているだけで、

生きていれば立ち止まりたくなるときや、どうしても行きたくないときなどあるからだ。

どのようなことでもそうだが、長いスパンで考えられなくなったと言うか、考えさせなくしていると言うか、

とにかく時分と家族が気にしなければいい話である。

そんなこと言っても、ずっとそのままだっならどうすんのよ、って怒られそうだが、

心配ない。

ものごとは必ず変化をする。

だから一処に留まることは不可能なのである。

留まっているようでも変化をし続けている。

そこに意志の力が働けば、留まっていることに飽き、それに気が付けば、自分の力で出てくる。

小さな子供であろうと、人間の底力は無限であるので、必ず立ち直ると言うことがいえる。

そもそも躓いてもいないのだけど。

もう一度言うが、今日のキーワードは、

問題にするな、と言うことである。

以上、おやすみなさい。

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