小さな妖精たち
色んな妖精たち
妖精と言うと多くは小人などの、おじさんだったり子供だったりと様々ですが、小さな小さな人たちを想像すると思います。
亭主も、妖精と言う言葉を知った時には、妖精というのは『人と同じ姿だけど、小さくて愛らしい』ものだろうと漠然と思っていました。
(たぶん、その頃放送されていたスプーンおばさんや、ニルスのふしぎな旅、とんがり帽子のメモルなどの影響が大きいんだと思うのです)
けれど妖精学や伝承、民話で妖精とされる存在は、小さくて愛らしい者たちはごく一部で、中にはヒトの姿はおろか、生物の形をしていない者もいると知った時には、驚いたものです。
水棲馬のケルピーや、竜だって妖精。大地を這い回る大長虫だって妖精学では妖精の仲間なんです!(この辺りのお話はいずれ♬)
妖精の出自
妖精たちの出自を調べていくと
・古い(多くはキリスト教以前の)神々が零落して矮小化した
・自然界の諸力の精霊
・草木百花など身近な自然の擬人化
などがあがります。
精霊や擬人化はなるほどと思いますが、古い神様の矮小化というのは最初ピンとこなかったのですが、どうやら欧州には崇められなくなった神格は縮んでゆくという概念があるようです。ちょっと日本の妖怪と似てますね。
また妖精学誕生のトマスカイトリー氏の論説では、妖精とは身近な不思議なことを解決する為に生み出された概念だと言います。
例えば、棚に置いておいたハサミが無くなり、いくら探しても見つからなかったのに、不意に思いも寄らないところから出てくるとか、周りは不作なのに、そこだけ素晴らしく実る麦畑など、そういう事の理由付けに妖精が登場する。
そんなちょっとした不思議なことは日常ではよく起きることです。
続けて氏は言います。こういう心の動きは、時代や人種、性別、知的レベルに関係なくヒトの本能として宿っているものだそうです。
他にも妖精たちが登場した理由は科学的に見ても様々あるのですが、上記の、古くに信仰されていた神様たちの残影、自然への尊敬や畏敬、心の落とし所として妖精が存在しているとしたら、人が住んでいて妖精がいない地域といういうのはないのかも知れません。
お話がそうであるように、彼らも私たちの傍らにいるんですから。
小人たち
そう考えると、小人という姿は、なるほどピッタリの姿だと思われます。
台所からミルクを盗む
置いておいたはずのハサミや糸巻きをちょっと拝借する
(彼らにとって)特別な木や畑だけを甲斐甲斐しく世話をする
野にひっそりと咲く百合の傍らに、その花びらと同じ白い服を着た小妖精が飛び回っている。麦の穂が風に揺れる度に、その金色の波で遊ぶ小さな男の子たち。はたまた住人が寝静まった後、こっそり現れる白髭のお爺さんは、台所に出してあったパンの残りをくすねてゆく。
女神や天使、そして竜や騎馬行列を組んでやって来る妖精騎士たちも素敵だけれど、大層な人たちは祝祭日にお願いして、日々の生活の中には小人の方がしっくりくる。
小人たちが活躍するお話の裏には、意外とそんな理由があったのかも知れません。
変化する小人たち
妖精たちを生み出したのが、ヒトの生活なら、彼らもまた、同じように私たちに影響を受けるのも当然と言えば当然です。
だからこそ彼らの姿は、その土地に住む人たちと同じような格好をしているんでしょうね。
所変われば品変わる、十人十色人それぞれ。
ならば、小人(小妖精)のお話も、牧歌的なものから、ナンセンスなもの。恩返しや勧善懲悪と様々なものがあるのも当然ですよね。
狐弾亭の1冊
世界中に散らばる小人譚。
わけても北欧のそれは日本でも馴染み深いと思います。
そんな彼らの様々な逸話を集めた1冊がこちら。
まさしく小人のお話から、そんな酷いお話まで?と盛りだくさんです。
他にも人魚やオバケのお話も沢山納められています。
狐弾亭の書棚にもありますので、開店、お越しの際には是非。
狐弾亭亭主・高畑吉男🦊