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豊川稲荷さんをお迎えしました🦊


お稲荷さんをお迎えする

2025年2月4日。
立春を過ぎ初午を控えた火曜日。
豊川稲荷さんのご分霊をお迎えさせて頂きました!
いやぁ、思えば長かった〜、いつからでしたか、お稲荷さんとご縁が出来たのは。
たぶん、小学校の頃だったかな。まぁ、その辺りのことは追々と。
豊川稲荷さんや伏見稲荷さんには稲荷勧請というお作法があります。
簡単に言うと、お稲荷さんのご分霊を頂き、自宅でお祀りするというものです。伏見さんはその場合、神璽を頂き、豊川稲荷さんでは、ご真体を頂くという流れです。
ご真体については、豊川稲荷東京別院さんのページで見られます。

開眼は?

さて、ここで疑問に思ったのが、ご真体は開眼されているか否かです。
開眼というのは簡単に言うと、仏様に仏像へ来て頂くと言うこと。
開眼していない仏像は、乱暴に言えば美術品と同じなのです。
たぶん開眼して貰えるんだよなぁと思いつつも確信が持てませんでした。だって豊川稲荷さんにお参りした、ご祈祷を受けてきたという方はたくさんいらしても、ご真体を拝請したという方で、しかもブログなどに書かれている方はほぼいらっしゃらなくて💦
よくよく考えれば、お稲荷さんを勧請、拝請するって代々のことで、今新たにってなかなかいらっしゃらないですよね。
おじいさまの代に興された会社を畳む時に、倉庫から神璽やお厨子が出て来たって話も聞きますし。
お参りの際に訊けばいいんでしょうが、年末年始、節分と慌ただしい時期でしたし、なによりお店の開店準備にパタパタしてて流れてしまっていました。

いよいよ!

そしてなんだかんだと忙しくしていたら、予定していたお迎えの日に!
折しもこの日は先勝だったので、午前中に受付を済ませます。
応対して下さったお坊さんに確認したのですが、ちゃんと開眼されるそう。
おおお、恐れ多い〜。けど、やったー!
仏教系のお稲荷さんである荼吉尼天さんは、ご利益も素晴らしいけれど、不敬なことをするとしっかりお叱りをうけるという方ですしね。
ドキドキしながらも、控え室に通されて暫し待ってから、さぁ、ご祈祷。
ご祈祷自体は愛知の豊川稲荷本院で受けたこともありますが、東京別院のご祈祷も実にリズミカル。太鼓と鉦、読経がミックスされ、しばし異世界へ。
その後、ご祈祷後の御札を受け取る所で開眼されたご真体の収まったお厨子を受け取り、いざ帰還!
伏見さんの稲荷勧請でも言われていますが、こういうものって、床に置いちゃいけないんです。
帰り道に転んだら大変だし、トイレに持って入るなんてもっての外。
さっさと帰って、お店に前もって用意していたお宮に入って頂かねば!

お宮の中に金色のお厨子が

ふひぃ〜なんとかお店に辿り着き、あれやこれやお供物をセッティングして……はい、鎮座して頂きました!
うーん、これで良いのかなぁ、と迷いつつも、これが精一杯だし、お店が軌道に乗ったら、もっとお供物を〜、お蜜柑を〜、お酒を〜🦊💦
→荼吉尼天さんのお供物は柑橘🍊なんです。だから琥珀糖は柑橘を定番にしたというわけ。

琴弾稲荷さん

そんなこんなで、狐弾亭にお稲荷さんをお迎えしました。
今後は琴弾稲荷さんとしてお祀りしていければと思います。
お立ち寄りの際は、カウンター上にそっと見守っているお稲荷さんがいることを思いだして頂ければなと思います。

狐弾亭の1冊

江戸のおいなりさん 塚田芳雄  下町タイムス社

江戸時代、流行神として大流行したお稲荷さん。
『伊勢屋、稲荷に犬の糞』と言われるほど、町にはお稲荷さんのお社が溢れていました。
今でも大きなお屋敷に鎮座する屋敷稲荷や、横丁のドン突きにある小さなお社は、こんな風にして勧請されたのか。そもそもお稲荷さんを流行らせたのは誰なのか? そんなちょっとした疑問に、筆者が綿密な取材の元、教えてくれます。
また稲荷信仰を通した江戸の暮らしも垣間見えるとても面白い本です……が惜しいことに絶版です。
狐弾亭の希少本棚にご用意がありますので、開店、お立ち寄りの際には是非。

狐弾亭亭主🦊高畑吉男

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