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祝・新刊! 村上春樹を育んだ街とその不確かな足跡
いきなり、こじらせたタイトルですみません。ぶらっくまです。出ましたね!6年ぶりとなる村上春樹さんの長編「街とその不確かな壁」。既に読み終えた方も多いかと思います。
私も発売日に買ったのですが、時間があるときに一気に読破したいとの思いから、まだ読んでおりません。新聞各紙にはここ数日、村上さんのインタビューや関連記事も多く載っていますが、事前情報をあまり入れたくないので、新聞社にいながら極力読んでいません(偉そうに言えることではありません)。
私事はさておき、神戸新聞ではこれまで、村上さんの原点ともえる神戸・阪神間(神戸と大阪に挟まれたエリアを阪神間と呼びます)のゆかりの地などをめぐる記事を掲載してきました。今回は新刊発売を(勝手に)記念し、そうした過去記事をいくつか紹介します。
「猿の檻」市が撤去へ
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芦屋市出身の作家村上春樹さんのデビュー作に登場する「猿の檻のある公園」のモデルで知られる同市打出小槌町の打出公園にある「猿の檻」について、撤去の是非を巡る議論が本格化している。今や巨大な檻だけが残り、市は「子どもが遊ぶ場を広くしてほしい」とする地域の意向を受けて撤去の方針を決定。しかし「聖地」として存続を求めるファンの声もあり、市議会は慎重さを求めている。
「猿の檻のある公園、街はいつも同じだった」
デビュー作「風の歌を聴け」はそうつづり、主人公が車で公園に突っ込み、檻の猿が腹を立てる場面も描かれる。今年は短編「ドライブ・マイ・カー」の映画がアカデミー賞に輝いたが、「風の歌―」は村上文学の原点となっている。
ただ実際のところ、公園は1979年の出版時から様変わりしてしまった。
芦屋市によると、当初いたのはタイワンザル7匹で、59年に芦屋動物愛護協会が寄贈したものだ。リスやクジャクもいて、近くの香櫨園小学校に通った村上さんをはじめ、地元の子どもたちに「ミニ動物園」として親しまれていた。
しかし、猿の檻はそれから建て替えられ、2003年に最後の猿が死ぬと、10年にはすべての動物がいなくなった。鳥小屋などが撤去されても猿の檻だけ残ったのは「有名な小説の舞台になり、まちおこしに使いたい」という地元商店会の要望があったからだ。
◇ ◇
檻は高さ4・6メートル、幅4メートル。今はパネルを掲げ、猿がブランコに乗って村上さんの「海辺のカフカ」を読むという絵を描いている。
事態が動いたのは17年。市が23年の完了を目指して公園のリニューアル工事をするための検討を始めた。
地元自治会が中心となって住民にアンケートをすると、檻はファンから存続を求める声があったが、7割が子どもの遊びスペースの確保などを理由に撤去を要望。さらに市のワークショップでは老朽化に加え、ボールが当たった際の騒音も地域問題として浮上した。
これを受けて市は21年、撤去の方針を決定した。しかし今年3月、市議会は「住民アンケートはもっと慎重に、より広い地域から意見を聞くべきだ」とする陳情書を賛成多数で可決。これに対して地元側は改めて市長に撤去を要望するなど、議論が続いている。
市は取材に「檻を残したい気持ちも分かるが、子どもが安全にのびのびと遊ぶためには撤去が必要」と説明。その上で「長い検討の中で、文化的価値も十分認識している。檻はモニュメントとして残す方法を検討している」と明かした。
記事末尾にあるように、市は公園のリニューアルに伴って檻を撤去し、一部を再利用して残すことを検討するとしています。寂しい気はしますが、村上さんの作品(と作中世界の檻)とともに、「僕」と「鼠」が檻の前で出会ったという記憶は(読者の心に)残り続けます。
これも記事にありますが、猿の檻は過去、建て替えられています。檻の存廃に関する芦屋市議会の議論では、こんな味わい深いやりとりもありました。
議員:打出公園の中にあるおりというのは(中略)村上春樹氏の作品が書かれたときのお猿のおりなのか。
市当局:現在、打出公園にありますおりは、昭和63年、1988年に建てられたおりでございます。村上春樹さんが小説を書かれておりますのは1979年でございますので、現在のおりの一代前のおりであると想像されます。
市当局:若干補足しますと、小説を書かれたのがその時期なんですけど、小説を読んでみますと1970年のことを書いてますということが書かれていて、それでこの小説の中に出てくる「鼠」という主人公の方とのやり取りはその3年前ということなので、直接的には1970年引く3年の1967年頃の風景を描きながら書かれたものと考えられます。
ハルキも通った石の館
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若き日の村上春樹さんが通った。デビュー作「風の歌を聴け」にも登場し、存廃が取り沙汰された時期の出版物には「存続してほしい」と書いた。
元は、約100年前の大阪市内の銀行だったという。1930(昭和5)年に実業家松山与兵衛氏が購入し、美術品収蔵庫として現在地に移築。その後、芦屋市が購入し、54年に市立図書館として開館した。87年に新図書館ができ、90年からは打出分室として利用されている。
2009年、国の登録有形文化財になった。石積みの外壁に加え、東西約15メートル、南北約12メートルと、正方形に近い外観が安定感を際立たせる。石は目地を深く引き込ませ、表面を粗く仕上げることで質感を高めている。90年の保存改修で耐震化したことにより、阪神・淡路大震災を乗り越えた。
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芦屋市立図書館打出分室とその裏手にある打出公園。作中では「古い図書館」「猿の檻のある公園」とあり、打出分室は実際に国の登録有形文化財の建物が使われ、公園にはサルがいた檻が今もある。
作家の土居豊さん(54)=大阪府=は「図書館の裏手に公園。ロケーションの近さに地元出身者らしい土地勘がある」と解説。図書館は村上さんが少年時代によく利用した。
長編小説「海辺のカフカ」で描かれる「甲村図書館」も、村上さんは「昔の芦屋市立図書館にはちょっとそういう雰囲気がありました」と評した。さまざまな作品で象徴的に登場する図書館のルーツは、打出分室にあったのだろうか。
村上さんの「原風景」の一つとされる古い図書館。ツタをはわせた外観は欧州の城のようです。先述の「猿の檻」の公園の隣に位置しています。西宮市在住の作家、小川洋子さんの作品「ミーナの行進」にも登場します。
「惨めなほど細長い街」と「昔の海岸線の名残」
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「僕」の故郷は、デビュー作で「海から山に向かって伸びた惨めなほど細長い街だ」と表現される。芦屋市も東西約2・5キロ、南北約9・6キロと南北に細長いまちだ。初期の3作品は、1970~78年を振り返る形で展開し、その風景は芦屋市の変容に重なる。
「僕」と「鼠」がチームを組んで、最初に向かう海。打出公園から約1キロ南へ進むと、東西を走る臨港線沿いに旧の防潮堤が走る。作中で2人が出会った70年、防潮堤より南は砂浜だった。71年から始まる造成によって海岸はなくなり、現在は芦屋川の河口に、上流から流れてきた土砂がたまるだけだ。
「羊をめぐる冒険」では「僕」の故郷の海には「五十メートルばかりに切り取られた昔の海岸線の名残り」が登場する。ファンと何度か舞台を巡った作家の土居豊さん(54)=大阪府=も「ここは何度来ても、春樹文学の原点の一つだと感じる」と話す。
さらに足を延ばし、「1973年のピンボール」で、「鼠」がデートをした芦屋市霊園へ。市域の喧騒と離れた山の斜面にあり、芦屋の街並みと海が一望できる。眼下に広がる光景は、「僕」や「鼠」が駆け抜けた舞台だと思うと感慨深い。
100パーセントのサンドイッチ
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「(前略)ぱりっとした調教済みのレタスとスモーク・サーモンと剃刀の刃のように薄く切って氷水でさらした玉葱とホースラディッシュ・マスタードを使ってサンドイッチを作る。(中略)うまくいくと神戸のデリカテッセン・サンドイッチ・スタンドのスモーク・サーモン・サンドイッチに近い味になる。うまくいかないこともある。しかし目標があり、試行錯誤があって物事は初めて成し遂げられる」
「馬鹿みたい」
「でも美味しい」と僕は言った。(後略)
(村上春樹「ダンス・ダンス・ダンス」より)
村上春樹の初期3部作に続く「ダンス―」は、1980年代が舞台。主人公の「僕」は東京でフリーのライターとして「文化的半端仕事」をこなしているが、何年か前に泊まった札幌の不思議なホテルを再訪したことで、「現実性の回復をとおしての自己の回復」へ動きだす。サンドイッチを作ろうと考えた美しい4月の初めの日、物語は急展開していく。
初期3部作では少年時代を過ごした阪神間の風景を描きながら、具体的な地名に触れてはいない。あえてここで実在の店を登場させているのは、かなりの思い入れが感じられる。実際、ファンからの「うまいサンドイッチは」という質問に同店を挙げ、「高校生のときからはまっていました」と答えている。
トアロード周辺は洋書をあさり、ジャズ喫茶に通う早熟な作者の原点だった。
村上さんの作品にはしばしば、何ともおいしそうな料理の記述が登場しますよね。神戸市民におなじみのこちらのデリカテッセンは1949年創業。スモークサーモンは看板商品の一つで、ハムやソーセージなども美味です。神戸・阪神間を拠点に活動した作家の故田辺聖子さんもこの店を愛しました。
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番外 映画「ノルウェイの森」ロケ地
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2010年12月に公開される村上春樹さん原作の映画「ノルウェイの森」のロケ地となった兵庫県神河町の砥峰高原をPRしようと、同町やJR西日本などが、観光プロジェクトに乗り出した。人口約1万3千人の同町は「観光元年」と位置付け、世界に広がる春樹ファンを取り込む狙いだ。
撮影は、砥峰高原や峰山高原で08年10月~09年7月にかけて行われ、主演の松山ケンイチさんらが訪れた。
映画「ノルウェイの森」は、村上さんの母校・神戸高校などでも撮影が行われました。映画をご覧になった方は、悲しくも美しい物語とともに、主人公2人が心を交わした高原の光景を記憶されているかもしれません。
砥峰高原は西日本有数のススキの原生地として知られます。最近では2021年公開の司馬遼太郎原作の映画「燃えよ剣」のロケも行われました。
「ノルウェイの森」効果は大きく、特にススキが見頃を迎える10~11月には多くの観光客が訪れます。海のようにきらめき、波打つ一面のススキは官能的ともいえる美しさで、一見の価値ありです。
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いかがだったでしょうか。正直、エッセーの類いは別として、村上さんの小説の中ではっきりと明示されている神戸・阪神間スポットはそう多くはありません。ただ、特に初期作品の中に通奏低音のように流れる空気は、間違いなく神戸・阪神間のそれだと感じます。
その空気感は「無国籍」といった言葉で表現されることもありますが、一言で表すのは難しいというか、一ファンとしては端的に言い表したくない思いもあります。何より村上さんの文体がそれを表しているので。そして、その空気の中に、阪神・淡路大震災で失われてしまった街の面影、匂いのようなものが残されていると感じることもあります。
世代的にこれまであまりなじみのなかった方も、これを機に、奥深き村上文学の世界に触れてみてはどうでしょう。「うっとこ兵庫」には、「村上春樹、山崎豊子、小川洋子…。多くの文豪が愛した西宮、芦屋を歩く」という記事もありますのでそちらも是非。
〈ぶらっくま〉
1999年入社、神戸出身。村上作品との出合いはいつだったか、はっきりとは記憶にありませんが、中学生の頃には徹夜でむさぼるように読んでいた覚えがあります。同じ高校に入った時はうれしかったですが、当然ながら村上さんの「後輩」「同窓」といった感覚はなく、いつまでも憧れの作家です。怒られるかもですが、ノーベル賞などよりも、こうして同時代に新作が読めることが喜びです。