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79年前の「終戦の日」 神戸新聞はどう報じたか

地震警戒や台風襲来など、どうにも落ち着かないお盆となりました。皆さん、いかがお過ごしでしょうか。しばらくぶりです、ぶらっくまです。

きょう8月15日は、79回目の「終戦の日」です。この時期、神戸新聞も各面で「戦後79年」関連の記事を掲載していますが、このnoteでは、終戦を迎えた当時の神戸新聞の紙面をご紹介します。

1945年8月15日付 神戸新聞1面

まずは終戦を迎えた1945(昭和20)年8月15日付の新聞から。紙面では、その前日の8月14日に、米英中3国首脳による日本への無条件降伏勧告「ポツダム宣言」を受諾することを、御前会議で決定した旨を報じています。

ポツダム宣言が発せられたのは7月26日でした。日本政府はこれを黙殺しようとしましたが、広島(8月6日)と長崎(8月9日)への原爆投下、ソ連対日参戦(8月8日)などに追い詰められ、宣言受諾を連合国側に通告しました。

紙面の見出しには「帝国再建に未曽有の聖断」「四国宣言を受諾 皇国不滅に叡慮」などとあります。どこにも「敗戦」の文字はありません。当時の空気が伝わってくるようです。

1面にある昭和天皇の詔書は「朕深ク世界ノ大勢ト帝国ノ現状トニ鑑ミ非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ収拾セムト欲シ…」と始まります。当時これを読んで、どれだけの人が日本の状況を理解したのだろうか、との思いがよぎります。

残虐原子爆弾使用/ソ連参戦も戦局を急転」と見出しをつけた記事は、ポツダム宣言受諾に至った理由を書いています。原爆とソ連参戦を取り上げ、「大東亜戦争を決定的な段階にまで追い込んで…皇土を焦土と化するか、または戦争終結の新たな方式を考へるかのほかなき事態となった…」とあります。

一方で、「今こそ結束の秋」「国体護持こそ再生の活路」と、なお国民の意識を高揚させようとする記事も目につきます。

1945年8月16日付 神戸新聞1面
1945年8月16日付 神戸新聞2面

ポツダム宣言受諾の事実は、8月15日正午の玉音放送で国民に伝えられました。その様子を伝えたのが上の8月16日付の紙面です。

表裏2ページだけの1面には、こうべを垂れて「終戦の詔書」に聞き入る写真が掲載されています。「玉音拝し、一億たゞ熱涙」の見出しの近くには「阿南陸相自刃す」の記事。「鈴木内閣総辞職」など、早くも戦時体制が崩れ始めたことが分かります。ただ、「死に勝る苦難に耐へ/特攻魂を子孫に伝へん」などと、論調はまだ戦闘口調です。

2面の中央には「日本人らしく万難に堪へん」、その上には「哭泣 誓ひ奉る忠誠心」「遥拝一億に御光」といった見出しがあります。「起て青年 新日本建設の先達」などと若者を鼓舞する文言もあります。こうした言葉からは、くすんだ紙面以上に、戦後の時を経て日本人の気質や報道がいかに変化したかが感じられます。

食糧不足への懸念も見て取れます。記事には「戦争はこれで終了したが、これまでにもまして苦難の道をたどらなければならない」とあります。

不安に配慮してか、神戸市配給課長の「食糧配給は絶対確保」という談話を掲載しています。兵庫県知事の告諭では「復興に渾身の努力を傾倒し、食糧増産と物資の生産に精励を」と県民に呼びかけています。

そんな騒然とした紙面の片隅に、小さな広告があります。神戸・新開地にあった聚楽館で「十六日よりお盆映画 坊ちゃん土俵入」と紹介しています。

調べると、「坊ちゃん土俵入り」はマキノ正博が監督した松竹作品で、佐分利信や田中絹代ら当時のスターのほか、双葉山や照国、羽黒山らの人気力士も出演していたようです。観客がいたのだろうかと、なんだか少し気になります。