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パンの街・神戸の「職人伝説」
10歳の時に初めて神戸の親戚宅を訪れました。朝目覚めるとパンの香ばしい匂いが鼻をかすめました。「都会の朝だ」。そう感じたのを今も忘れません。長年、神戸に暮らしていると日頃はパン店の多さをあまり意識しませんが、総務省調査などによると、平均消費量、支出額ともに日本一を記録する街であることは確かです。さらに、日本最古のベーカーリーの開業の地でもあります。
「パン派? ご飯派?」と聞かれると、「ご飯派」と答えてしまう私ことド・ローカルですが、パンも大好きです。そんな神戸には数多くの「パン伝説」があります。フランスパンを日本に広げた職人、吉田茂元首相が自宅(神奈川県大磯町)へ毎週のように届けさせたという逸品のパンを作った職人…。そんなパン伝説を訪ねました。
フランスパンの神様 フィリップ・ビゴさん
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巨大なオーブンを開くと、香ばしい匂いが一面に広がる。焼きたての表面が弾け、「パチパチ、ピチピチ」と音を立てる。「ボンジュール! 写真はどう撮る?」。陽気な関西弁とともに、フィリップ・ビゴさん=2018年に死去=が現れた。
フランスパンを日本に広めた第一人者。40年以上営む「ビゴの店 芦屋本店」(業平町)には、地元客などがひっきりなしに訪れ、お目当ての品を抱えて帰る。
1965年、「東京国際見本市」でフランスパンを紹介するために来日。当時、「ハード系」のパンは日本でなじみがなく「硬くて食べられない」と言われることもあった。
「本物のパンを日本で作れる職人を育てれば、可能性はある」。閉幕後は「ドンク」(神戸市東灘区)で雇われ、札幌や名古屋市など、全国を飛び回り職人の指導に当たった。
72年、同社の芦屋店を譲り受けて開店した。本店で1日に焼くフランスパンは約1000本。「発酵を十分することが大事。毎日の温度や湿度によって具合は変わる」とビゴさん。
「パンは簡単に食べられるのが魅力。安くてうまいものを、みんなに味わってもらいたい」。その一心で日々、生地と向き合う。
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ビゴさんの講演会に行ったことがあります。流ちょうな関西弁を駆使して職人としての哲学やフランスの食文化を紹介。日仏文化交流の懸け橋にもなっていました。育てた職人は150人を超えるといいます。2003年にはフランスの最高勲章とされる「レジオン・ドヌール勲章」に輝き、15年に芦屋市民文化賞、17年には厚生労働省が卓越した技能者に贈る「現代の名工」にも選ばれました。
神戸屈指のドイツパンの店「フロインドリーブ」
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パンはパンでもどっしり重い。フランスパンよりもあっさりと、イギリスパンよりもみっちりとした風味が食べていると癖になる。
パンの街・神戸でも指折りの老舗「フロインドリーブ」のドイツコッペは、吉田茂元首相が神奈川県大磯町の自宅へ毎週のように届けさせたという逸品だ。
創業者は、ドイツ人のパン職人ハインリッヒ・フロインドリーブ。第1次世界大戦中、中国・青島で捕虜となり日本の収容所に。解放後、1923(大正12)年に来神し、翌年ハンター坂近くの洋館に店を開いた。
その波乱の人生は半世紀後、NHK連続テレビ小説「風見鶏」のモデルとなり、「風見鶏の館」のある北野異人館街は脚光を浴びた。ブームも冷めやらぬ83年、神戸のドイツパンと風見鶏が描かれたもう一つの壮大な漫画連載が始まる。
「アドルフに告ぐ」
戦争への怒りが込められた、手塚治虫の代表作だ。
アドルフ・ヒトラーはユダヤ人―。
「アドルフに告ぐ」は、ヒトラーの秘密を巡る、神戸の二人の少年の物語だ。一人はナチス高官の父と日本人の母を持つアドルフ・カウフマン。もう一人はユダヤ人のパン店の息子アドルフ・カミル。ナチスによるユダヤ人迫害の中で、二人の友情は無情にも引き裂かれていく。
実際、神戸の外国人にはユダヤ人がいた。シナゴーグ(ユダヤ教会堂)があり、ユダヤ人協会があった。1940~41年、いわゆる「命のビザ」で4千人以上のユダヤ難民が神戸に一時滞在したという。
「流氓(るぼう)ユダヤ」と題して、関西のアマチュア団体「丹平(たんぺい)写真倶楽部(くらぶ)」が彼らを撮影している。その中には手塚治虫の父、粲(ゆたか)もいた。
十数年前、丹平メンバーの未発表ネガが発掘され、手塚少年が写っていると話題になったことがある。
「おやじに連れて行かれたのは私で、兄貴はいなかった」と証言するのは、2歳違いの弟の浩さん(86)。「三宮の駅から山手の方へトコトコと行った記憶がある」。撮影場所とされるユダヤ人協会はまさに、駅北側の山本通にあった。
ただ、宝塚に住んでいた手塚治虫も神戸には「よく行って、日本離れした雰囲気に魅力を感じていた」と書いている。神戸とユダヤ難民の史話にも関心を示し、「アドルフ」の発想の種となったのかもしれない。
さらに、フロインドリーブのパンも設定のヒントになったのでは―。そんな想像も膨らむ。
□ □
激動のストーリーの背景には、見覚えのある風景が描かれている。
例えばカウフマン邸。塔屋に立つのは風見鶏。ベランダを飾る幾何学模様の窓は「萌黄(もえぎ)の館」そのものだ。
「北野の異人館の特徴を組み合わせて描かれているんです」。今夏に開催された手塚治虫展のイベント〝聖地探訪〟ツアーで、自身も熱烈な手塚ファンという神戸市立博物館学芸員、川野憲一さんが解説した。今はなきドイツ人社交場「クラブ・コンコルディア」、元町商店街のスズラン灯、そごうや大丸の建物も写真を下敷きにしており、物語にリアリティーを与える。
「国際的な神戸を舞台に設定したからこそ、さまざまなイデオロギーを持つ人物が絡み合う物語に厚みを持たせることができた」
川野さんはそう指摘する一方、神戸に対する手塚の思い入れも込められていたと考える。
象徴的なせりふが、物語の後半、明石の軍需工場を襲った米軍の空襲シーンにある。被害を受けなかった神戸の街並みを見下ろし、日本人であるカウフマンの母がつぶやく。
「(爆弾を)神戸へ落とさなかったのは/神戸が空から見てすごくきれいだったからだと思うわ」「神戸は日本でいちばん美しい港だわ/モダンでしゃれてて暖かで平和な町よ」
現実には明石に続き、神戸も空襲で焦土と化した。ただ逃げ惑うことしかできない人々の姿が描かれる。手塚が神戸への愛着を語らせたカウフマンの母も、直撃弾を受けた家屋の下敷きになり、命を落とした。
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「神戸は、フロインドリーブのホームタウン。何があっても、離れるなんて発想はなかったわ」。3代目社長のヘラ・フロインドリーブ上原さんが、創業からの苦難の歴史を振り返る。
ハンター坂の店から神戸市内に約10店舗を構えるまでに成長したが、戦争で全てを失った。バラックから再出発し、「風見鶏」の放送を経て北野の異人館街に出店した直後に、阪神・淡路大震災で被災。現在は、旧神戸ユニオン教会の建物に本店を移して営業を続ける。
度重なる災禍を乗り越え、1世紀近くの歳月を共に歩んできた神戸の街。「モダン、おしゃれ、暖か、平和。どれもイメージにぴったりね」。ヘラさんがうなずきながら、漫画のせりふを繰り返す。
そして、最近知ったエピソードを明かしてくれた。フロインドリーブを訪れる、手塚の姿を覚えている従業員がいたという。「ドイツコッペを買ってたのかしらね。詳しくは分からないんだけど」
神戸の多彩なモザイクから放たれた個性的な光は、時代を超えて重なり合い、輝きを増していく。
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明治の開港を機に、世界に門戸を開いた神戸。港は欧米文化を取り入れる窓口となり、まちは「文明開化のショーウインドー」となりました。コーヒー、紅茶や洋菓子などと同様、パンも外国人によってもたらされた文化で、開港翌年の1869(明治2)年には、外国人居留地内に英国人、フランス人が経営する2軒のパン店があったとの記録が残されています。
1905(明治38)年に創業したのが藤井パン(現ドンク)です。大阪出身の創業者が三菱重工神戸造船所近くに店を開き、外国人技術者や日本人客を相手にパンの販売を始め、戦後三宮に出店して人気店となりました。1960年代にはフランス人技術者たちによる本場の指導を受け、本格的なフランスパンの製造販売をスタートさせました。
大正時代に入ると、さらにパン食文化が浸透し、昭和初期にかけて新しいパン店が続々と神戸に開店しました。
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こうした歴史背景やパンへの出費を惜しまない市民性にも関わらず、神戸独特のパン文化が外向きに発信される機会はほとんどありませんでした。市民から「パン文化を生かしたまちづくりをしてはどうか」との意見が寄せられ、神戸市は神戸のパンの魅力発信事業を模索。市内でも特に人気ベーカリーが多い中央区内には老舗から新店まで約60店が存在することが分かり、2013年に「KOBEパンのまち散歩」というイベントが立ち上がりました。その後、神戸に根付くパン文化を研究する「日本パン学会」も誕生しました。
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<ド・ローカル>
1993年入社。総務省の家計調査(2人以上の世帯)によると、神戸市の食パンの支出額は、2017~19年の平均で年間1万2256円と全国トップ。一方、消費量は全国5位にとどまります。昨今では、高級食パンブームも相まって、中央区を中心に高級食パンの専門店がひしめく激戦区となっています。
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