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シン・長田を彩るプレイヤー ~地域を形づくる愛され社員~(前編)

今回は、アスタくにづか4番館4階にある新長田まちづくり株式会社の、営業部担当グループ長の園田文雄さんとチーフマネージャーの新良恵子さんを取材しました。
前編ではお二人がこれまで歩んできた道のりをたっぷりお伺いしています!


長田とのかかわり
―記者―
それでは、まず簡単な経歴からお願いします。

ー園田さんー
平成17年に新長田まちづくり株式会社に入社しました。今年で18年目かな。
ここの社員20数名いますけど、古い順番では2番目くらいに長く働いてます(笑)

ー記者ー
かなりの古株ですね!

ー園田さんー
新長田まちづくり株式会社に入る前は警備会社で営業をやってました。
震災後にまちを再開発するということで、神戸市さんが色んな企業を集めた準備室があったんです。そこに勤め先の警備会社も入って、セキュリティー関係や防災センター絡みの提案会社として長田と関わりました。実は生まれも育ちも尼崎やから、長田には元々馴染みがなかったんやけど(笑)
そのあと、平成17年に警備会社は退職し、新長田まちづくり株式会社からオファーをいただいて今に至ります。

―記者―
元々は警備会社にお勤めだったんですね!
新長田まちづくり株式会社はどのような業務を行っているのですか?

ー園田さんー
この会社の業務内容は主に3つあります。
1つ目が、新長田アスタ地区の再開発されたビルの管理業務
2つ目が、同じく新長田アスタ地区において特に神戸市の床のテナントリーシングを行っています。
3つ目に、このまちをいかにして盛り上げるか、地域活性化の仕事をしてます。
入社当時はマンション担当とか、店舗担当ってことで管理業務をしてました。

一般的な分譲マンションの99%は、区分所有者の中から理事長を選んで、その方が責任を持ってマンション運営をしていく「管理組合方式」なんですが、新長田まちづくり株式会社は、理事長の代わりに管理者の立場をやってるんですよ。これを「管理者方式」と言います。管理者になると区分所有者全員の代表となり責任を持って業務を行います。
これは全国でも珍しくて、こんな仕事をしている会社というのは知っとってほしいかな。普通の管理会社ではないのです。

ー記者ー
初めて知りました!
業務内容の中に新長田の活性化にも取り組んでいると伺いましたが、具体的にどのようなことをされているのでしょうか。

ー園田さんー
新長田がどんなまちなのかをお伝えするのが大きな役目かな、と思っています。
広報活動などを通して、皆さんの商売や住みやすいまちづくりを我々がお手伝いできたらな、という想いのもと業務を行っています。

バンド活動から新長田へ
新良さんー
私が新長田に来たきっかけはややこしいんですけど、京都の学校に進学してずっと絵を描いてたんです。たまたま文化祭の1週間くらい前に軽音楽部のグループに「バンドのボーカルと喧嘩してボーカルが抜けたから代わりに歌ってくれへん?」と言われて。
それまでライブに行くのは楽しかったけど、ステージに立つことなんてなくって、まあ1回だけやしって出たら学内2位になったんです。

ー記者ー
えーすごい!

―新良さん―
そこでなんか…バンド楽しいな!って思ったんですよ。
せやけど、別に続ける感じでもなく、また来年の文化祭もできたらいいねーみたいな。
でも、そのあとにライブ観てたら、客席よりステージにいる方が楽しかった気がして(笑)
5人のメンバーのうち2人と、空いてる時間したらいいんちゃうんてなって女の子3人組でバンド組んだんですよ。

ー記者ー
ご自分で?

―新良さん―
そうそう。そしたら学校でライブする前に外のライブが決まったり。

ー記者ー
はい。

―新良さん―
テレビ出たり。

ー記者ー
!?

―新良さん―
CM決まったり。

ー記者ー
え、ええ!?

―新良さん―
アニメのエンディング決まったり。

ー記者ー
え、ええええ!?

―新良さん―
あ、これバンドで行けんちゃうん?ってなって(笑)
就職したら時間を制約されるから、就活はしませんでした。
卒業後も京都に住んで、音楽活動をメインにバイトをしながら自由にやりたいことをやって。
メンバーだけでレコーディングとかエンジニア見つけるとか大変な中、ずっと関わっていた岡田誠司さんって方が、「CD出さへん?」って言ってくれたんで彼のプロダクション事務所に所属しました。
その時代の岡田さんは関西でアーティストを発掘して東京に送り出す登竜門みたいな仕事をしていて、鉄人28号モニュメントを建てた一人でもあるんです。
「お前らほっといたら、たらたらやってるからCDくらい出せや―!」とか(笑)
「ラジオ決めてきたで!」とかで、ずっとお世話になってて
バンドは何年かして、方向性の違いで解散を選んだんですけど、私はラジオの仕事が
残って、音楽を少し続けながら、喋る仕事をメインにシフトしていきました。
でも、私その時デパ地下で働いてて!

下積みのデパ地下時代
ー園田さんー

そこでデパ地下出てくるんかい(笑)

―新良さん―
デパ地下の派遣販売員としてめちゃくちゃモノ売ってたんですよ。
ある程度の収入がないと好きなことできないじゃないですか。
そしたら、販売員のランクをめちゃくちゃ高くつけてもらえて。

ー記者ー
おおー!さすがです!

―新良さん―
こっちではラジオの仕事とレコーディングして、こっちでは販売員として働いてってなったら、あまりに過密なスケジュールで体調崩すことが増えてきて。
そんなときに新長田の再開発が進んでて、この4番館が立ち上がって。
私は新長田に縁もゆかりもなかったけど、岡田さんがイベントホールの設計とか再開発に一部関わっていて。
そのときお世話になっていた事務所の系列がそのイベントホール運営の委託を受けるって話で、これを機に神戸に引っ越して手伝ってくれないか、っていう。
そこやったら横にレコーディングスタジオあるから、そこで仕事をしていればちょっと録音しようってなっても録音できるし、両方の仕事をやっていけるしどうやって言われたのがきっかけで新長田に来たんですよ。

―園田さん―
元々そこがSITE-KOBEっていうライブハウスとレコーディングスタジオやったんですよ。4番館の4階で、今はDance Boxが運営する劇場とスタジオUMIになってますけども。

―新良さん―
そうそう。私が新長田に引っ越してきたときから勤め先はずっと4番館の4階。そのときから向こうのホールの管理は新長田まちづくり株式会社だったので、会社との付き合いはすごく古いです。
その後SITE-KOBEがDance Boxへ変わるときに、私の勤め先が新長田まちづくり株式会社に異動しましたがあまり新鮮味は無く(笑)今や地域の方には長田生まれやと思われてたりもしています(笑)

ー記者ー
お二人とも様々な経歴の上で新長田に来られたというのがすごく驚きでした。


園田さんは警備会社の営業、新良さんはバンドやラジオ、デパ地下販売員という意外なお仕事を経て、現在新長田のまちづくりに尽力されていると聞いて、面白い巡り合わせだと感じました。
新長田まちづくり株式会社の具体的な業務内容を聞かせていただいたところで、後編ではお二人の仕事に対する熱意を掘り下げていきます!
(編集:いっちー、カカケツ)