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シン・長田を彩るプレイヤー~人と人をつなぐ、ミャンマー料理店主~(前編)


今回のインタビューは、神戸市営地下鉄海岸線・駒ヶ林駅から徒歩5分、レトロな佇まいの丸五市場で、ミャンマー料理店TeTeを営む登美子さんです。

西から市場に入って数軒目、ミャンマー料理のメニューが目印。
ミャンマーの本や雑貨が並ぶアットホームな空間で迎えてくださりました。

物腰の柔らかい、とても穏やかな方ですが、お話をしてみると型破りなエピソードが盛りだくさん。

登美子さんの魅力、そして登美子さんから見た長田を、前後編の2回にぎゅっと凝縮してお届けします。

「なんとなく」で選んだタイへ


-記者-
本日はよろしくお願いします!
まず簡単に経歴を教えてください。

-登美子さん-
大学は京都にある洋裁を学ぶ短大に行っていました。
実は高校生のころ洋服を作るのがすごく好きで、自分の着る服も自分で作ってたんです。

短大を卒業してからは東京でデザインの専門学校に通って、その後東京でアパレルに就職しました。

-記者-
東南アジアにはご旅行で行かれたのが最初ですか?

-登美子さん-
短大の卒業旅行でタイに行ったのが初めてです。

当時はタイなんて全然わからなかったんですが、なんとなくタイにしました。
それがすごい楽しかったんで、タイ語を習ってまた絶対来ようと思って。

あ、でもその後、タイ語の勉強をしないまま向こう見ずにタイに1人で行ったんですよ(笑)

-記者-
我慢できずに行かれたんですね(笑)

-登美子さん-
5日ぐらいしかいなかったんですけど、色んなハプニングを経験して、現地の人には本当に良くしてもらいました。

-記者-
危険に巻き込まれそうになったこともありましたか?

-登美子さん-
あります、めっちゃあります。
今よく生きてるなあって(笑)

困ってるときに「案内してあげるよ」って声をかけられてボートに乗ったんですが、そこで豹変されたこともあります。
身ぐるみはがされそうになって。

実はそれは、『地球の歩き方』ってガイドブックに、こういうことがあるので気を付けてくださいって載ってたんですよね。
途中で、「ハッ!あれや!!」と思い出して(笑)

いつも現地の人に良くしてもらってたから、信じすぎてましたね。

帰る直前でお金もそんなになかったので、財布をひっくり返して、有り金を全部あげました。
もうない!って言ったら「ちぇっ!」みたいな感じで何もされずに帰れて。
あそこで殺されてたらもう・・・(笑)

いつ行っても何かしらのハプニングがあって、本当に刺激的ですね。

素の自分でいられる場所

-記者-
タイにはその後、また長期滞在されたんですよね。

-登美子さん-
もともと、タイにはお正月休みとかに行ってたんですが、もっと長くいたいと思って。

5年間、アパレルで働いてましたが、会社を辞め荷物をまとめてタイに行きました。

会社を辞めるって言った時にはすごくびっくりされましたけどね。
夢を持って上京して、好きなブランドの会社に入って夢を掴んでたので。自分も辞めるなんて思ってなかったんですけど、なんかね、東京が合わなかったんでしょうね。

東京に飲み込まれていたみたいな感じですね。東京だと周りに流されるというか、周りに合わせちゃうんですよ。

友達がみんな行ってるからスキーに行くとか。
スキーなんか大っ嫌いなのに(笑)

東南アジアに行くとすごい自分が出るんです。自分はこんな人間やったんやって。

そして、ミャンマーへ

-記者-
ミャンマーにはいつ行かれたんですか?

-登美子さん-
タイから日本に帰る前に初めて行きました。

ミャンマーってちょっと怖い印象がありましたし、あんまり行ったっていう人の話も聞かなくて行ってなかったんです。
でも、最後にせっかくやしと思って。

行ってみて、「ああ、なんて魅力的…」と思いました。
何が魅力的って、それは言葉にはできないですね。

-記者-
同じアジアでも、またタイとは違う魅力だったんですね。

-登美子さん-
全然違いますね。
なんかわからんけど、日本に帰らんでもここにいればいい、と思いました。

ミャンマーは鎖国してたから、外国の状況が全くわからなくて、外国人への先入観が全くないんですよね。

ミャンマーの人は私を見ても、「なんか外国人がいるけど、どしたんやろ?」って、タイより純粋に接してくれる感じでした。

ミャンマーでは、労働して現地の人が住んでるような普通のアパートを借りてました。
転々としながら、5~6年は住んでました。


ミャンマー料理店、TeTeオープン

-記者-
ミャンマーでご結婚されて、日本に戻ってきてからはどこに住まれたんですか?

-登美子さん-
私がミャンマーに行ってる間に、実家が大阪から神戸の北区に変わっていたので、北区です。

神戸は友達もいなかったし、子育てするのもほんとにどうしたらいいかわからない状態でした。

-記者-
日本に帰られてからしばらくは子育てをされて、TeTeを始めたのはなにかきっかけがあったんですか?

-登美子さん-
丸五市場で第1回ナイト屋台をやるっていう告知が新聞に載ってて、アジアの料理を出店する人を募集してたんです。

「これにミャンマーのカレー出したら面白くない?」って思って、みんなどういう反応するか面白いからやってみようって。

-記者-
私ももうTeTeのサモサが美味しすぎて…虜になってます(笑)

TeTeのサモサ。サクサクの食感がやみつきです。

-登美子さん-
うちはミャンマーのどの店より美味しいと思う。
ミャンマーに帰ったときにサモサを食べたんですが、全然美味しくない(笑)

日本人の舌に合わせてるとかではなくて、そもそもサモサはミャンマーにいるインド人が作るものなので、ミャンマー人は作り方を知らないんです。

ミャンマー人と模索して作ったのがうちのサモサなんですが、味はやっぱり現地のものとはちょっと違うみたい。
現地のものは肉が入ってないけど、うちは鶏ミンチを入れてるから美味しいのかもしれないです。

-記者-
お店を出されるときは、なんでミャンマー料理を選ばれたんですか?

-登美子さん-
タイ料理とベトナム料理はすごく美味しいけど、私よりも、日本にいるタイやベトナムの方のほうが上手に作られるんですよね。

ミャンマー料理は日本で作れる人がそんなにいないし、ミャンマー料理も美味しいと思ってたので、日本人にも食べてもらいたかったんです。

タイやベトナム以外にミャンマーってのもあるんだよ、と伝えたくて。

-記者-
確かにミャンマー料理ってTeTeで初めていただきました。

-登美子さん-
ナイト屋台では、ミャンマー料理はすごい評判がよかったです。

そのあと、主人が「ミャンマー料理の店するわ」って言い出して、私はお手伝いぐらい行ってあげようかな、と思ってました。

でも、主人が開店の前日に「明日お店よろしく」って言ったんですよ(笑)

それで私がやることになりました。

-記者-
えー!そもそも登美子さんがお店をされる予定ではなかったんですね。


今回は登美子さんのルーツを中心にお聞きしました。

最後に明かされた「TeTeは旦那さんが開く予定だった」という衝撃の事実!

後編では、登美子さんが「長田だから続けられた」その理由を深堀していこうと思います。

登美子さんの穏やかな口調で語られるびっくりエピソードの数々、ぜひみなさんにも音声ありでお伝えしたかったです。

後編は次週公開予定です。お楽しみに!

(編集:神原・みっちゃん)

#長田