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肝試しの夜 【子供の頃の怖い体験】

私が小学六年生のときの、少し怖い思い出です。

当時、私の住む町には小学生が所属する子供会があり、草野球や新年のカルタ大会、夏祭り、クリスマス会など季節ごとに様々なイベントが催されていました。

特に皆が楽しみにしていたのは八月のお盆に行われる夏祭り。
祭りは二日間の日程で一日目は地域の公園で行われます。
夕方になると焼きそばやら綿菓子やらの出店が並び、自治体の計らいで金魚すくいやヨーヨー釣りが無料でできる事もあり、毎年多くの子供が参加していました。

少し変わっているのは二日目で、町の中心から離れた稲荷神社に場所を移して肝試しが行われるのです。
そこは町はずれにある私の小学校からさらに歩いて15分ほどの不便な場所にあるのですが、県外からも参拝客が来るような割と有名な神社です。
敷地はかなり広く、参道には大きな杉の木が立ち並び周囲には雑木林が広がっています。
町の喧騒とは切り離された場所にあり、雑木林には背の高い木が生い茂っていて昼間でも薄暗く、神社一帯がどことなく厳か(おごそか)な、それでいて少し怖い雰囲気がありました。

その雑木林の中に小高い山のようになっている場所があり、頂上にある祠(ほこら)に参拝する人の為にくねくねとした山道が設けられていました。
山道といっても歩行の邪魔になる木を伐採して踏み固めただけの、獣道のようなものです。

肝試しは毎年そこを使って行なわれます。
ルールは単純で、子供たちは日が暮れてから懐中電灯を頼りに山を登り、山頂の祠にあるお札を取って帰ってくるというものでした。
もちろんそれだけではつまらないので、山道のところどころに脅し役が配置され、登ってくる子供たちを怖がらせるという趣向になっていました。
その日も夕方近くから大人たちが拝殿近くにテントを設営し、陽が落ちたらすぐに肝試しが始められるよう着々と準備が進められていました。

脅し役は子供会の中から抽選で選ばれた小学校高学年の生徒で、その年は私も念願の脅し役になる事が出来ました。
と言っても、脅し役がやりたかったわけではありません。
脅かされる側として山道を歩くのが怖かった、というだけの事です。

テント裏で脅し役の打ち合わせが行われ、私は山頂近くにある小さな石碑の裏に隠れるように言われました。
そこを参加者が通り過ぎるたびに物音を立てたり、木の枝を揺らしたりして脅かす役目という訳です。
この石碑を過ぎればすぐ祠という位置で、私が一番最後の脅し役という事でした。

打ち合わせが終わるころには辺りが暗くなりはじめ、案内役の人に連れられて脅し役の子供たちが一人ずつ配置についていきます。
最後の私の番になるころにはすっかり陽は落ちて、懐中電灯の明かりが無ければ足元が見えないくらいになっていました。
何かあったら降りてきて、と案内役の人は言い残し戻っていきます。
懐中電灯を消してひとり石碑の裏に座り込んだ私は、脅し役になったことを後悔しました。
石碑は小高い位置にあるため、ふもとのテントで忙しく動いている大人たちが見えるのですが、そのことがかえって自分の孤独感を増大させました。
テントの傍でなにやら話している父と母の姿を確認し、私は早くあの明るい場所に戻りたいと思い始めていました。

どこかで花火がパン!と乾いた音を立てたのを合図に肝試しが始まります。
最初の参加者が登ってきたのでしょう、下の方で「キャー!」とか「キャハハ」という声が聞こえます。
私は早く来ないかな、と額の汗をぬぐいながら耳を澄ましていました。

その時です。
突然誰かが私の肩を叩きました。
トントンと二回、左肩に指の感触が伝わり驚いて振り返りました。

するとそこには中年のおじさんが立っていました。
係の人かな、と思いました。
ポロシャツとスラックス、薄い頭髪で中肉中背。
暗くて表情は見えませんでしたが見覚えのない顔という事は分かりました。
すみません
と子供の私に丁寧な言葉で語りかけるおじさん。
○○神社はどこでしょうか?
○○の部分は聞き取れませんでした。
しかし、この神社の名前ではないようです。
私は知りません、ごめんなさいと返しました。

おじさんは「そうですか」と言うとゆっくりと周囲を見回しました。
私もつられて視線を動かし、ふもとのテントが目に入ったところで思いつきました。
「下に大人がたくさんいるので、そこで聞いたらわかるかもしれません」
と、私はテントの明かりを指さしました。
するとおじさんは無言で私の横を通り過ぎ、山道を歩き始めました。
闇に消えていくおじさんの後ろ姿を見送りながら私は「このまま行ったら登ってくる子と鉢合わせるな」と思いました。

おじさんが去り少し落ち着きを取り戻した私は、何故こんなところに?誰?としばらく思考を巡らせていました。
そして、おじさんが現れた背後の林を見ておかしいと気が付きました。

高い木々が生い茂る雑木林、おじさんはそこから急に現れたのです。
そんなところを歩いてきたら木の枝を踏みしめる音や、葉っぱが擦れるガサガサという音がするはずです。
しかも、おじさんは何も持っていませんでした。
こんな暗い山道を、懐中電灯もなしで歩いてきたという事になります。
そこで一気に怖くなりました。

私は慌てて立ち上がりテントまで戻ろうと思いましたが、ここで山道を降り始めたら先程のおじさんに追いついてしまいます。
どうしようどうしようと頭を巡らせますが、下に下りる道はこの山道だけ。

パニックになりつつ誰か来ないかと周囲を見回す私。
そこで、再びあのおじさんが目に入りました。
なんと、おじさんはもう麓のテントの近くまで行っていました。
懐中電灯もなしで、そんなに早く真っ暗な山道を降りられるわけがない、とさらにパニックになる私。
テントに着いたおじさんは大人達と話しているのか、しばらくその場で立ち止まっていたのですが少しして再び歩き始めました。
おじさんは神社の出口に向かうようです。

その方向には小さな街灯が5m間隔くらいに並んでいます。
テントから一番近い街灯の下をおじさんが通り過ぎるのが見えました。
そして次の街灯の下まで来たとき、おじさんの姿が突然消えました。
街灯の明かりから外れたのではありません。
街灯の真下、おじさんの姿が明るく照らされた瞬間に突然消えたのです。

ここが限界でした。
私は声を上げることもできず、懐中電灯を振り回しながら全速力で山道を駆け下りました。
途中、女の子の二人組とすれ違いました。
びっくりした二人の顔には目もくれず、一目散にテントまで走ります。

そこにちょうど、先ほどの案内役の人が立っていました。
「どうした?」と驚く案内役の人に私は「い、いま」と声を絞り出します。
「いま中年のおじさんが降りてきたよね?」と問いかける私にキョトンとした顔で「いや、だれも降りて来てないけど」と言います。
その後の事はあまり覚えていません。
そこに駆け寄ってきた父と母と何か話したこと、大人たちが何やら話し合っていたこと、そして父と母と家に帰った事、そのくらいです。

その後、父と母から聞いたところによるとテントの大人たちは誰もおじさんを見ていないし、肝試しの子供たちも山道でそんなおじさんとすれ違わなかったと言っていたそうです。

いまでもその神社には正月の帰省の際に初詣で訪れます。
拝殿の拡張に伴って敷地の整備が進みましたが、その山は今でもあります。
大人になった今、もう怖いという感情はありません。
あるのは疑問だけです。

あの日現れたおじさんはいったい何者だったのでしょうか。
〇〇神社とはどこにある神社なのでしょうか。
おじさんはどうして○○そこへ行きたかったのでしょうか。
あんな夜中に。

今となっては、おじさんが生きている人間だったのかどうかも確かめる術はありません。






お読み頂きありがとうございました。
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