見出し画像

好きだったもの(高校生前半)

裏原ブームに乗っかった中学時代の終わり、高校受験も無事に志望校へ合格し、春休みを満喫していました。
そこでまた立ち寄ったCDショップで衝撃を受けます…

キングギドラの復活アルバム、最終兵器。当時から洋楽のヒップホップは聞いていたので、ヒップホップで社会的なリリックや攻撃的なリリックが多用されているのは知っていましたが、日本語ラップのあまりコアな部分に触れていなかった私にとって、このアルバムはあまりに衝撃的でした。そして特に…

当時大人気だったKJを名指しで、しかもかなりハードなDISをぶつけており、私のようなミーハーはもう掌返しで「Dragon AshなんてWACKだ、セルアウトだ」と覚えたての言葉を使ってドヤっていました。

それ以来洋楽、邦楽問わずヒップホップにどんどんハマっていくのですが、その中で服装もBボーイ化して行ってしまいました…

特に影響受けたのが

好きな曲でも何度も上げてますがディプロマッツのジュエルズ・サンタナです。ディプロマッツはマジで好きだったのでよく聞いていました。ラップで行くとジム・ジョーンズやキャムロンも好きでしたがジュエルズ・サンタナが1番おしゃれでした。

そしてもう一人

スフィア・オブ・インフルエンスです。知らない人も多いと思いますが、ジブラの弟でアメリカで中学生から7年ほど過した為に英語が堪能ということでバイリンガルラッパーとしてデビュー時はかなり注目されていました。当時は日本語ラップがバブル期に入っており、USの超メジャーなレーベルのDef Jamの日本支社であるDef Jam Japanにも多くのラッパーが所属しており、金の力でUSの大物を客演に呼んだりしていました。スフィアもデビュー時からDef Jam Japanと契約しておりそのあたりも話題となっていました。
アルバムも全曲Bach Logicプロデュースで、とにかくUSのメインストリームに近い音楽になっていたのが衝撃でした…そして何よりおしゃれで、日本人のラッパーでは当時ダントツだったと思います。ここで好きな曲を。

この曲も金の力で当時DMXのラフライダーズのメンバーとなり勢いのあった中国人ラッパーJINを客演に迎え…完全にスキルの差もあり喰われてしまってますが、JINが当時のUSでもトップクラスのラッパーだったので仕方ないでしょう。これもトラックはマジでかっこいいです。

そんな流れでBボーイになってしまった当時のマストバイアイテムを紹介します

まずBボーイといえばバスケジャージですね…バスケジャージも色々なメーカーが作っていましたが当時の憧れは画像のミッチェルアンドネスというメーカーのオーセンティックモデルでしたが、3万位したので、マジェスティックというメーカーのレプリカジャージを着ていました。

NEW ERAの59FIFTYキャップです…
ツバは真っ直ぐ、ステッカーは剥がさないのが決まり、野球のイメージですが、NBAのチームのモデルも出ていたので、バスケジャージとチームを合わせるのがおしゃれだと思っていました。

PRO CLUBの白Tシャツです。とにかく安くてタフなTシャツで、4XLくらいのどデカいサイズを着ていました。

これに極太のデニムとエアフォースワンの白があれば定番のBボーイの出来上がりです。

そんなゴリゴリBボーイファッションを好んでいた私でしたが、高校は地元の進学校で、制服も学ランを綺麗に来て、野球部だったので休みもジャージで部活に行っていたため、基本的に私服を着る機会がありませんでした。

しかし高校に入って1ヶ月程経った頃に、私服での遠足というものがありました…

中学時代に買った裏原系の洋服は全て友達に売ってしまっていて、家にはB系の洋服しかありませんでしたし、当時それがおしゃれと思っていましたので、普通にバスケジャージを着て、太いデニムを履き、キャップを被り遠足に行きました。

すると当時1学年7クラスありましたが、B系ファッションは私一人でした…

集合するなり周りから好奇の目で見られて流石に肝を冷やしましたが、帰るわけにも行かないので堂々と遠足を満喫しました。仲良くなった友達は笑ってましたが受入れてくれました。

しかしクラスではBボーイのイメージが先行してしまい、卒業までいじられることになりました。


いいなと思ったら応援しよう!