見出し画像

自分にとって緊急かつ重要なことって何だろう


昨日「緊急事態宣言」が首都圏に出されましたね。ずっとずっと・・・コロナは連日騒がれていますが、あなたのところはどうですか?

私の住む関西(京都)でも増えてきていますので、自粛傾向にあるのは間違いないでしょう。
しかし、去年緊急事態宣言が出たときは、本当に未知なる状態だったので
日本中がどうなるんだろう、という状態でした。

私は25歳ごろ死にかけてから、ずっといつ死んでも後悔しないように生きており、実際、今死んでもそんなに後悔はないのですが、結婚し、子供を持ってから少しその考えが変わりました。

今日はお店作りとは関係ない話ですが、私が人生で一番大切に思っていることを書かせてください。

前回の緊急事態宣言で私がまず思ったこと

前回、2020年の3月に緊急事態宣言が出て、休校になったりしたときに、まず私が思ったのは

「やっほー!これでいろいろ言い訳にせずに子供と遊べる!」

だったんです。

私は起業してから仕事仕事で、26歳から16年、ほぼ休まず働いてきた身、実は2021年は仕事をセーブしようと考えていました。

ですから、一足早いバカンスをもらってしまった、という感じでした。

やっぱり普通に生活して、仕事も持っていて、実際に目の前に締め切りやお客さんがあったら、休日と設定している日以外、

「やっぱり今日ダルいんで子供と遊びますわ。面談、別日にしてください」

とは言えないわけです。

なので、家族や子供を大事にしたいなあ、と思いつつ、どうにもやっぱり土日だけ、になってしまう自分がいたので、世間で、自粛だ、休校だ、世の中はどうなってしまうのか?と言われている中、私としてはラッキー、と思ってしまっていた次第です。

白状します、不快に思われた方はごめんなさい。

ただ、ふと下記の内容を書いていて思い出しました。ああ、私、17歳でアルバイトを始めてから、ずっと働き詰めでした(笑)なので、最近のほうがのんびりしているかもしれません。

家庭を大事にしたいと思いながら仕事人間だった私

さて、他のブログやFBで長くつながっている方はご存じかと思いますが、通常、私は24時間仕事をしていたいと思うほど、仕事が大好きです。

コンテンツのアイデアも、お客様へのアドバイスも湧いて湧いてとまらない。早く伝えたい、早く仕事をしたい、常にそう思っています。

実際、初産なのに長男を生む7日前まで仕事をしていた私。

予定日より1週間早かった次男を生んだ時は、「あ、ブログ、予約投稿してなかったわ」と、子供が処置に連れていかれている間、分娩台からブログを更新していた私。

また次男出産後、悪露が止まってないのに、生後1ヶ月の子供を連れて百貨店での開店の打ち合わせに行った、などいろんな話をしているので、根っからの仕事人間だと思われていますし、実際そうです。

ただ、一番大切なのは家族だと思っています。

それは建前かもしれません。実際仕事優先で、仕事も大好きなので、そうありたいと思っているだけかもしれません。が、自分では

「緊急かつ重要」はいつも家族です。

そうなったのには2つ理由があります。

家族を大事にしたいと思った自分の生い立ち

1つは自分の生い立ちです。

以前のnoteを見ていた方はご存じだと思いますが、うちの母親はいわゆる「毒親」という人でした。いくつもの宗教を渡り歩き、自分は病気だから優しくされるべき、私は精神障害で家事育児はできないからお前(私)がやるべき(5歳下の弟がいます)という信念で、今も生きておられます。

男の子が欲しかった母の期待を裏切り、女だった私は小学生のころから私服でスカート禁止(履いてたけど)。でも女だから(いろいろ危険だから)高校卒業するまで門限は17時。(部活の日は18時半。部活が終わるのが18時だから)

歯向かえば物差しで叩かれる、風呂に沈められる、内腿にナイフを刺される、まあ、ふつーに今、書いてても狂気な人ですね。

今私の次男は3歳ですが、私の3歳の記憶は母に風呂に沈められてフタをされておぼれかけた記憶と、一緒に宗教をしていたママ友の娘メミちゃんが聖書を読んでいた時に足を崩した、という理由で物差しで叩かれまくっていたことしかないです。

現在次男が保育園でコケて青あざを作ってきたら「キャー!痛そう」と思っている私には、とてもできないことですわ。

それで母も病気の認定がされたくて、精神科などを渡り歩くわけですが

「あなたのは甘えてるだけ。病気ではない」

と言われ、ガッカリしながら「私は病気、だからできない」を繰り返している人でした。

一方父はまったく話さない人で、物心ついた時から、私が家を出るまで「おはよう」「おやすみ」しか話したことがなかったんです。

そんな無口な父が、私が家を出て、短大を卒業し、住宅ローンが終わった半年後、クモ膜下出血で倒れました。

自営業で休みなく働いていた父。当時54歳でした。家族とも会話をせず、朝7時半に出て夜23時に帰る生活を365日×20年続けた父。

日曜日に出勤し、恐らく早朝に倒れたとのこと。たまたま、物を取りに来た従業員に発見されたのが12時間後の夜で、激しく嘔吐した跡があったものの、本人の意識はなく、家族や従業員、皆死を覚悟していました。覚悟というか、確信。

まもなく田舎から親類縁者が続々と集まり、緊急のオペ。

しかし「一応」オペが終わり、でも予断は許さない状況、それが1日経ち、2日経ち、「あれ?持ちこたえてる?」となって、結果、父は一命を取り留めました。

その後10ヶ月入院を余儀なくされ、麻痺が残ったり、記憶に障害があるものの、22年後の現在76歳で健在です。

それを見て「私もいつかそうなるのかもしれない」と冷静に感じ、いつ何が起きても後悔しないようにしようと思って生き始めました。

それでも5年間は母から「お父さんからお金もらえなくなったから月30万ないと生きていけない」と搾取され、朝、昼、晩、家族(父、母、まだ高校生だった弟)のために働いていましたね・・・

もう1つの理由は義母の亡くなった理由

そして私の夫の母(私の義母)は、51歳で亡くなっているのですが、理由が私の父と同じくクモ膜下出血でした。義母は、夫が私に出会う数か月前に亡くなっているので、私は面識がありません。

夫の父(私から見ると義父)は京都では大変有名な企業に勤めており、定年した後もグループ企業の社長をするなど大変有能な方。一方、海外赴任も長期に渡っていたそう。夫も小学生になるまでは一家でアメリカにいたのですが、日本に戻ってきてからはお父さんだけ、ずっと海外。

義父が帰ってきたころには、皆家を出ていて、義母との二人の生活・・・2年くらいそうやって過ごしたところで、義母が亡くなる・・・

変な話かもしれませんが、私はその話を夫から聞いた時、運命的なものを感じました。もともとお互い一目惚れだったのですが、あー、そういうことも運命の一端だったのかな、と。

夫も自分自身、父親不在で育てられ、父が帰ってきたら母が亡くなる、という悲しい夫婦の末路を見ているので、出来るだけ嫁(私)と子供とは一緒に居たいと思ってくれているようです。

サラリーマンなので、やっぱり土日しか休みがないのですが、あちこちに連れて行ってくれて思い出作りをしています。

そしてお互い、お互いの親と同じ状況になる可能性があるなら、あと20年しか居られないかもしれない、というのを踏まえて、結婚しました。

なので、二人とも、「おじいちゃん、おばあちゃんになるまで一緒にいられるといいね(はあと)」という気持ちでは一緒にいないわけです。

今この瞬間、お互いを大事にしないと、いつどうなるかわからない。

だから今、この瞬間、家族と過ごすことって貴重で、緊急度が高く、重要なことなんです。

子供が生まれてからは、ますますそうです。

2回目の緊急事態宣言が出て思うこと

私自身、コロナがどうとかは思いません。コロナもそうですが、交通事故や、私たちの親のように別な病気で命が脅かされることもあるからです。

結局は健康な時に自分がしたいと思うことをを優先してやらないと、絶対後悔するだろうなあ、と思って、生きています。

確かに不要不急の行動で、自覚症状がない人がコロナをまき散らしているのはよくないと思うんですが、もう会えないかもしれないというのにおじいちゃんおばあちゃんに会うをを我慢している友達とかを見ると、切なくなりますね。

それって緊急度も重要度も高いやん!会ってあげてっいうんですが

「いや、京都と滋賀だったら県をまたぐ移動だから」

って律儀に守っている友達。そんなんやったらPCR検査で陰性証明して、車で行って、コンビニも飲食店もどこも寄らんと、家行って帰ったらえーやん、って私は思っちゃうんです。

要は自分が何を大事にしているかがわかる絶好の機会

前述の友達はおばあちゃんに会いたい、と言いながらも、結局は会いたい気持ちより「自分が行ってコロナに感染させる心配があるから行かない」という選択のほうが大事なわけです。

それも一つの考え方でいいと思います。本当に無自覚なのに感染していて、おばあちゃんに移して、亡くなったらめちゃくちゃ後悔しますからね。

我が家は1月2日に短時間ですが、義父に会いに行きました。他県に住む義妹、義弟は控えるということだったので、同府にいる私たちは会いに行こうと。

上記のような義母の死のいきさつもあるので、一人で迎えるお正月は寂しかろうという配慮です。これも賛否両論あると思いますが、我が家は会うことを選択しました。

もしかしたら私たちが無自覚の陽性者で義父を感染し、死に至らしめてしまったら後悔すると思いますが・・・

お正月会わずに、義父が別な病気で急死してしまったら、やっぱりあの時会っていればよかった、と後悔すると思うんです。

コロナを例にしているので、わかりにくくなってしまいまいたが、どちらのケースもどっちがいいとか悪いとかではなく。

私は今、自分が何を大事にしたいのか、するべきなのかを見極める、絶好の機会だと思っています。

実際に、去年まで経営していたシェアオフィスは、退去者が続出して、辞めることになりました。実はずっと辞めたかったので、そうなったときは心底安心しました。

今は自分の得意とする、小売店向けのコンサルティングと、ラッピングの仕事、そしてクレドシップさんの広報の仕事をバランスよくしております。

ラッピング専門店のお店もマンションに移転せざるを得ず、大幅に縮小したわけですが、変な一見さんのお客様もほぼ来なくなり、超絶ストレスフリー。

2020年から、新たな人生になった!という感じしかしません。

私も父が倒れた年から、倍以上時間を過ごし、年を取りました。その中で、いろんなものを知らず知らずのうちに背負ってきたのかも知れませんが、要らない物を脱ぎ捨てて、また身軽になる機会なのかもしれませんね。

京都、大阪、兵庫も緊急事態宣言?を求めていく様子。

私も、不要不急のことはせず、でもお買い物も音楽も芸術も好きなので、そこに課金しつつ自粛をしながら、仕事をしつつ、子供との時間を楽しんで、人生を謳歌していきたいと思います。

今日は取り留めのない長文を読んでくださりありがとうございました。

お仕事のご依頼お待ちしております。コンサルティングはZOOM・オンライン、チャット等対応しておりますので、ご安心ください!




いいなと思ったら応援しよう!

小林れい@フォロバ100
小売店のブランディングから一歩踏み込んだ、理念や想いを形にするお手伝いをするコンサルティングをしています。店舗ディスプレイ、POP、ラッピング、ライティングで見せる発信のコツをお伝えしています。

この記事が参加している募集