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自信を持つ事の素晴らしさと、自信を持つためのアイテムの肯定
人の生きる姿勢は様々です。
情熱的に生きたり、冷静に生きたり、ポジティブに生きたり、ネガティブに生きたり、卑屈に生きたり、傲慢に生きたり、復讐に生きたり、一口にたくさんの生き方があります。
私はこれまでの人生、「自分に自信を持たず生きた方が上手くいく」と考えていました。
これは社会人一年目の頃、卑屈になるくらいに叩かれた結果です。後に「かっこいいこと言うキャラ」に挑戦したこともありますが、それも自ずと周囲に叩き潰され、元の卑屈キャラに戻ってしまいました。
ビッグマウスになるより、控えめに静かに自信無さ気に生きていった方がいいに決まってる。これを人生のモットーにしています。
しかし、この価値観を根底から揺さぶる出来事がありました。
「人生自信を持った方がいい」の言葉を否定して生きてきた私が、「本当に自信を持った方がより良い人生を送れるのでは?」と。
このYouTubeチャンネルとの出会いをキッカケにそんな思いが芽生えることに...。
最早価値観や性格の矯正が不可能だと思われた老齢の私の考えを変えてしまった程の衝撃を受けた男の名は「ガッシー」。
かつてはV系という見た目重視の世界で生きてきた彼は、髪というルックスに最も大事な要素の一つを失いました。
髪型は顔の八割だと言われるこの世の中でです。
日々ハゲゆく自身の頭に大きな失望と絶望を感じたはず。
それなのにどうでしょう。
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一切曇りの無いキメ顔が眩し過ぎる。
人間どんな姿になっても、自信満々に振る舞えばカッコ良くみえるのか?予防線張ってモジモジしたり言い訳したりするより余程潔い気もします。
それを「勘違い」だと叩き伏せようとする人も少なくないかもしれませんが、勘違いでも思い込みでも卑屈より全然マシ。
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髪を失っても、自分を変えずにカッコつけるガッシー。V系をやり続けるそのメンタル。
私はとても尊敬します!
例えハゲだって!
例えチビだって!
例えデブだって!
例え無職だって!
例え童貞だって!
例え白痴だって!
例え弱者だって!
例え上記全てに当て嵌まっていたって、どうせ生きるのなら卑屈にならずに前向きに生きた方がいいに決まってます!
卑屈な姿勢は人生をつまらなくするだけ!
どうせならネタにするべき!
誇ろう!
...なんて急に自分の心を方向転換出来る人はまず居ないでしょう。長年の習慣や心理はそう簡単に変わりません。
が、私はこれからほんの少しだけ自分に自信を持って生きてみようと思いました。
それにガッシーを見ていると、カツラってそんなに特別なことなのか?と思えてきました。大した問題じゃない気がしてきます。
化粧が当たり前ならカツラやシークレットブーツも似たようなモノじゃない?
私も実力で顔の形を変え、実力で髪を生やし、実力で身体を伸ばさないと、心に後ろめたさを感じると思います。
ただこれは意識の問題なんですね。
世界がカツラを、シークレットブーツを、化粧同様に当たり前と認めれば自由に調整が効く世の中になります。
根本から肉体改造してないその場限りのものだからダメ?整形手術、植毛、骨延長くらいしないとダメなんですかね?
どんな状況でも健やかに生きていける世の中になって欲しいと願います!