グレースカイ文化圏で暮らしてみえた、冬の色。
太平洋側から日本海側に移住した何人もの知人から、同じ悩みを聞いた。それは冬の空が雲に覆われていることに住みづらさを感じるというもの。
わたしが3年前から暮らしている山形県の庄内地域でも、冬のほとんどが曇天もしくは雪や雨。はっきりとしたブルーの空を見ることはほとんどなくて「見えた」と思っても次の瞬間には厚い雲で覆われてしまう。
そんな土地のことを、先人たちに倣ってグレースカイ文化圏と呼んでいる。
人により影響はさまざまのようで、例に漏れずわたしにも実感がある。なんだか怠い日が続く、気分が沈む、めまい、どうしようもない眠気におそわれるなどなど。
これをつらいものと受け止めて、冬時期は地元の横浜に帰るという手もあるのだけれど、多拠点生活を解決策にしたくない理由があって——。それは、わたしにとって、グレーに覆われた冬がこの上なく美しいと感じるからだ。
曇天のもとでは、目に見える世界が薄いグレーのフィルムに覆われたようで、彩度は低く、輪郭ははっきりくっきりしない。なんだか人がひっそりと静かに話すさまに似て、この色の世界に暮らしているとまるで心まで静まっていくように感じる。
それは明るく活発な様子とは正反対に、どこまでも深いところへと沈んでいくようなイメージ。沈んでいけば息苦しさも感じるのだけれど、その沈んだ先に安全で優しいスペースをつくって、美しい世界を眺めながら篭っているのもじつはそう悪くはない。
確保した小さなスペースは、ひとつの目的とゆっくり向き合うのに最適だ。何かをつくる作業にもぴったりで、ここにグレーの空から得られる見えない恩恵や豊かさがある。つまり、考えようによっては、この冬期間はあたえられた機会なのだ。
かくいう理由で、わたしは3年目の冬もなんとかグレースカイ文化圏で暮らしている。太陽の光が輝く冬に憧れることもあるけれど、いまはこの土地の移り変わる四季を見守りたい。
それでもあまりに深く沈んで戻れなくなったときには、好きな香りを焚いて音楽を聴く。人によってはサウナもいいらしい。
東北移住した2020年の冬からずっと頼りにしているのはROTH BART BARONの『極彩色の祝祭』というアルバム。わたしの場合はこれを聴くと浮上してくるような気がする。耳から極彩色を取り入れることで、目に見えたものとのバランスをとっているのかもしれない。
嗅覚や聴覚、五感を味方につけてやっていくのだ。
ROTH BART BARON『極彩色の祝祭』より極彩 | I G L (S)
つまり曇天のもとで暮らすのは、つらい側面もあるけど、いい方の側面もちゃんとあるということ。
わたしは日々、この空から多くを学んでいる。クリエイティブとは生き抜く知恵なんだと学び、横浜に住んでいた頃と今では随分と価値観に変化があった。その影響力は大きくて、今この時でさえもじわじわと形を変えている。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます!