ここじゃない世界に行けば人生が変わると思っていた。
インスタグラムのリールに上がっていた、日本人ワーホリの男の子が働いているカフェの受付でおじいさんと仲睦まじく話している動画。
おじいさんはこれまで、いろんな国に行ってきたと言う。
少年は問う。「どこの国が一番良かったですか?」
おじいさんは答える。「どこも一緒なんだ。どこの国に行っても本質は変わらない。良いとか、悪いとか、そんなものはないんだ。どこも実際には一緒なんだ。」
オーストラリアに来たばかりの頃これをみて、私はこの意見に賛同出来なかった。だって、一緒なわけがない。
私にとっては、休みを大事にし、友人や家族と過ごすのが好きなオーストラリアの方が日本よりよほど精神的に豊かなように思えた。
けれど海外生活も早10ヶ月。
すっかり英語圏の文化や日常にも慣れデフォルト化しつつある中、今の私はあのおじいさんの言っていたことが理解できる。気がしている。
当初私は、海外は皆フレンドリーでいい人ばかりだと思っていた。
でも実際、中にはそうでない人も沢山いる。
差別的な人もいれば、英語が流暢でないことを蔑む人もいる。
誰かが落ち込んでいる時、それに気づいていながら、
手を差し伸べる人もいれば、差し伸べない人もいる。
損得で人を判断する人がいる。
平気で嘘をつく人もいる。
優しくするが、それは単に身体目的なだけの人もいる。
どこに行っても人は人であり、実際のところ、そこに人種・あるいはお国柄はあまり関係がない。
いい人はいい。悪い人は悪い。あるいは一部はいい面がありながら、一部は悪い面がある。
それだけなのだ。
海外に移住してきたばかりの私は舞い上がっていて、(ちょうど恋は盲目なのと同じように)その土地のいいところだけが見えていた。
それはかなり主観的な、あるいは理想観念的な、
色眼鏡の上から見ていた景色だったのだと今となっては思う。
海外に出る前、私はこのかたずっと、
「どこでもいいから、ここじゃない世界に行きたい」と思っていた。
退屈な今日が終われば、また同じような明日がやってくる。
たまに大好きな彼氏と旅行に行ったり外食するのが楽しみなだけで、
あとはストレスまみれの日々だった。
逃げ出したい、と思っていた。
そしていざ海外に足を踏み入れ、
新しい環境と新しい人間関係に身を投げ、
私は幸運にも友人に恵まれ、
それは確実に私の感性、そして価値観を変えた。
でも、よくよく振り返ってみると私の人生において、
日本でもそんなことは多くないにしてもこれまで時々はあったのだ。
その日一日をハッピーに変えてくれた誰かのたった一言、苦しくて死にたいとしゃがみ込んだ時そっとそばにいてくれた見知らぬ他人、
「なんやお前いつも頑張ってるな」とたこ焼きをくれたお兄さん、
見返りのない優しさ。
そう言ったものに、私は過去すでに十分に触れてきていた。
結局のところいつだって私を変えてきたのは「土地」でも「職業」でもない。「誰かとの出会い」これひとつだった。
どこにいるかは私の幸不幸に大して関係がなかったのだ。
(もちろん住む場所や職業を変えることで新しい人間関係が生まれるので、これらも前提的には非常に大切なことであるのだが。)
ここじゃないどこかに行けば幸せな人生が待っていると思っていた。
しかし実際には、人生は「誰に出会うか」だと知った。
それではこの先、私はどう生きるのか。どう生きたいのか。
私は今、新しい価値観の中に自分のこの先を見ようとしている。
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