ショートストーリー 今どこにいますか?
エブリスタ 妄想コンテスト(今どこにいますか?)用作品
「今どこにいますか?」
私の質問に答え無いまま、彼は電話を切った。
「今どこにいますか?」
毎日のように私は彼にメッセージを送る。
夕飯の支度、お風呂の準備、明日の予定。
細々とした家事を処理する中で、何をしているかは必要な連絡事項だ。
それすらも、彼は返信しない。
最初は何時に帰るかだった。
だんだん煩わしくなっていたのか。
帰宅時間の返答は曖昧になったいき、場所で察しろという方向に変わっていった。
徐々にそれも面倒になったのだろう。
最近は帰宅するまで返事はない。
もう何年も帰宅時間が遅い。
もしかしなくても彼は、しているのだろう。
悲しみは通り越した。
寝る前にもう一度送る。
「今どこにいますか?」
「今どこにいますか?」
“こんな同じメッセージばかり送ってくるな。誰かに見られたら恥ずかしいだろ"
夫は今朝、怒りながら出ていった。
見られることがあるのかと疑問に思った。
しかし、すぐに疑問を振り払う。
意味のない問だ。
そこで考えるのをやめて、気持ちを切り替えるためにもいつもの時間より掃除を早く始めた。
「今どこにいますか?」
メッセージを見ると思い出す。
新婚当初は、互いがとこにいるか知っているのに、このメッセージを送りあっていた。
“会社で愛妻弁当食べてる”
"夕飯の買い物に行きます”
私は専業主婦として、夫は妻を持つ会社員として、毎日浮ついていたメッセージを返していた。
今となっては……の話だが。
今日は人に会う約束がある。
夫のことで相談したい。
少し早めに夕飯の買い物に出かけることにした。
「今どこにいますか?」
買い物を終えるとちょうどメッセージ来た。
こらから相談にのってもらう相手からだ。
"これから向かいます"
簡単に返信してコートのポケットへスマホを滑り込ませる。
コートの大きなポケットは、最近まで夏だったのに駆け足で秋へと変わったことを嫌でも知らせてくれる。
休日に出掛けた夫を町中で見た日は、確か夫の隣にいた女性がまっ白な肩と足を出していた。
季節の移ろいを感じる。
風がヒュルンとコートの長い裾を揺らす。
私は足早に約束したカフェへと向かった。
夫が帰ってこない。
そんな相談を真摯に受け止めてくれた。
「今どこにいますか?」
私からの同じメッセージだけで埋め尽くされた夫とのチャット欄を見ても、彼は笑わなかった。
この人なら……。
久しぶりに人を信用した。
お金を払って、頭を下げて帰路につく。
高揚した気分を隠すことができない。
玄関の鍵を取り出す前に、ポケットからスマホを取り出した。
いつもより早い時間に夫へメッセージを送った。
そこからは、よく覚えていない。
薄っすら覚えているのは、後ろから誰かが近付いたということ。
そして次の瞬間には力が抜けて、買ったばかりの卵が崩れる音がした。
「今どこにいますか?」
腰のあたりで鈍く響くメッセージ音で目が覚めた。
腕を縄で拘束され身動きが取りにくかった。
私は埃だらけの汚い部屋に転がされていた。
安物のダウンコートが真っ白に汚れていて、この部屋が何年も使われていないことが明白だった。
どうにか、コートの中に隠れていたスマホを取り出す。
転がったスマホの画面に表示されたそのメッセージは夫からだった。
一つしかないドアはピッタリと閉じている。
耳を澄ますとドアの外から、声を潜めた誰かの話声が聞こえた。
私は廃れたビルの中にいるらしかった。
割れた窓から月だけが見えた。
現実離れした場所。
ミネラルウォーターの入ったペットボトルが転がっているのが妙にリアル。
スマホは、メッセージが表示されては暗くなる。
私はスマホの電源が切れるまで、届くメッセージをただ見ていた。
「今どこにいますか?」
夫と女性を見かけた場所を埃まみれのまま歩く。
あの日は太陽がギラギラ光る夏だった。
反対に今は、朝露に濡れる町が朝日を浴びて嘘みたいに綺麗に光っている。
私の頭の中は夫の必死なメッセージがこびりついていた。
四日目の朝。
目が覚めると閉まっていたドアは開いていて、フロアには誰もいなかった。
そのままビルを出ると、見知った町が目の前に広がっていた。
こうして、三日三晩の監禁生活は呆気なく終わった。
コートを着ていたおかげで寒さをしのげて助かった。
思うように力が出ない。
それでも出来るだけ早く足を動かし、家へ帰る。
「今どこにいますか?」
三日ぶりに出した声はしゃがれていた。
スマホの電源も切れて、財布もなく、やっと帰ってこれた。
我が家が見えたと思えば、無精髭を生やした情けない顔をした夫の姿。
後ろから勢いをつけて抱き着くと彼は、声も出ない様子だった。
彼は、ダランと下がった腕をゆるゆると持ち上げ、胸に回った私の手に触れる。
感触を確かめるように、大切そうに触れてくる。
ゴツゴツした骨っぽい手も、手の隙間から流れてくる彼の涙も冷たいけど暖かい。
彼の背中におでこをくっつけて、深く息を吸い込む。
久しぶりに香る彼の匂いは、少しだけ酸っぱかった。
「今どこにいますか?」
“今、会社を出たところ“
夫は昔のようにメッセージを返すようになった。
安心感からホッと息をつく。
サラダもシチューも無駄にならなくてすむ。
心の安寧が保たれる。
お金を払ってまで相談をしたかいがあった。
おかげで夫は私の元に戻ってきた。
「今どこにいますか」
あの三日間。夫婦のチャット欄はそれだけで埋め尽くされた。
辿っても辿っても夫からのメッセージ。
私は夫が帰ってくる前に、コッソリとそのメッセージを見返しほくそ笑む。
計画は強引だったが、やって良かった。
まさか、あんな汚いところで過ごすとは思わなかったけれど、それ以外に文句はない。
夫を帰ってこさせることができたのだから。
夫は隠れて会っていた女性のせいだと思い込み、簡単に彼女と別れることを選択した。
また彼女も奇妙な事件に巻き込まれたくないと、あっさり夫から手を引いた。
夫は警察に連絡をいれていたものの、私が彼女が手を引くなら大事にしたくないと言えば、事件にならずにすんだ。
こうして、夫の恋はあっけなく終わったのだ。
私から簡単に逃がすつもりはない。
もっと、すがりついてくるようになって貰う。
これからは夫から私へメッセージを送るように。
私は夫のメッセージを静かに待つ。
メッセージアプリにある夫の名前を見つめる。
『今どこにいますか?』
夕飯前の私の無言のメッセージは、きちんと夫に届いているだろうか?
心配する間もなく、夫からのメッセージが届く。
「今どこにいますか?」
夫からのメッセージに私は笑って、家に居ると返事を返した。