ショートストーリー フォアグラ、生牡蠣、スモークサーモンの前菜
年に一度のフォアグラ。
特別なコクをパンに乗せて頂く。
年に一度の生牡蠣。
特別な甘みと塩味を貝を開いて数秒で頂く。
いつもと同じスモークサーモン。
特別の中にも安心感のある味が、美味しさを引き締める。
シャンデリゼ通りを歩いてレストランに行く。
そんな日を夢見て、クリスマスディナーの予行演習をする。
フランス料理を極めたい。
そう思ったのに、修行先は片田舎のおば様の小さな家。
整えられた庭は綺麗だし、のどかだけど、市内の華やかなイメージを持って留学してきた私にはガッカリなステイ先だった。
年老いた彼女が認める料理を出すまで、帰ってくるな。
日本の師匠である料理長に、そう言われてやってきた。
料理長の知り合いらしいから、私は彼女にあったとき、介護でも頼まれたのだと思っていた。
さっさと、お粥でも作って美味しいと言ってもらったら、それで良い。
その間に本場の料理を覚えてこいということだと。
そんな甘いことを考えていた。
しかし、彼女の舌は私の想像を越えて、肥えていた。
塩ひとつまみ、下手をすればソース一滴の違いだって、彼女は見抜く。
飲み物一つも気が抜けない。
朝の目覚めの飲み物だって、コーヒー、紅茶、さらには緑茶、抹茶まで、ありとあらゆる種類を飲む。
お酒だって、量は飲まないが一日一杯は嗜む。
カクテルを頼まれたときは、度肝を抜いた。
とはいえ、この家にはシェフと呼べる人間は私しかいないので、初めてシェイカーを振った。
初めてにしては飲めるものになってる。
と100回くらい作り直した後に言われてからは、カクテルの勉強もした。
朝から夜まで料理と食材のことを考えていたら、夏だった季節があっという間に冬になった。
彼女の家に来た時は、庭に咲いた花が食べられるものかどうかも区別が付かなかったが、今では選別の仕方から、調理法まで考えなくても分かる。
クリスマスの今日は、初めて休暇を言い渡された。
てっきり豪華な食事を頼まれると思い、冷蔵庫をパンパンにして待っていたのに、興醒めだ。
私は、ここに来てから書き始めたレシピノートを部屋に籠もって書く。
時々、庭に出て、ハーブや花、野菜、果物と絵を交えて、観察したことを事細かにつづる。
昨日の夕食は、魚料理をハーブの香りが強すぎると、ご指摘を受けた。
初めこそ、彼女の言うことを受け止めきれなかったが、今は彼女の味覚の鋭さを信頼している。
彼女の厳しい言葉の一つも漏らさないつもりで、常にメモをポケットにいれていて、それが無ければ安心出来ないくらいだ。
家の中から窓を叩く音がする。
彼女が入ってこいと言っているのだ。
私は、窓越しでも彼女に一礼して家の中に戻る。
彼女は、テーブルにティーポットとカップを用意して待っていた。
紅茶から暖かな湯気がたち、上品な香りがする。
彼女の淹れる紅茶は、私が淹れるよりもずっと美味しい。
しかし、秘訣などは教えてくれることはなく、いつも私は彼女の点前を五感全てで覚えようと集中する。
休暇のときくらいリラックスしたらと、彼女が笑う。
そんなわけにはいかないと、私が力を入れると彼女はまた笑う。
「どこまでもひたむきに料理に向き合えるのは、若い証拠ね。あなたの場合は、小さな子供みたいに真っ直ぐすぎるけれど」
私の集中しすぎて周りが見えなくなる癖を彼女は、よくこうしてからかうのだ。
顔が熱くなるのを感じて、紅茶を飲んだ。
品があって美味しい紅茶は、スッキリと喉を潤した。
羨ましいほどに美味しい。
秘密を知りたくて、ティーポットに目が移る。
ポットの隣には、彼女の用意したカップがもう一つ伏せられていた。
誰か来るのかと彼女に聞くと、シワを深くしてコロコロ笑う。
「あなたにしては、よく気がついたわね。そうよ、今日はクリスマスだもの。いつも頑張る良い子には、サンタクロースを迎えなくちゃいけないでしょう?」
彼女の言わんとすることが分からず、私は首を傾げた。
私はいい大人だし、彼女に小さな子供や親戚がいるとも聞いたことがない。
考えていると、ドアがノックされた。
彼女は、やっと来たとか、待っていたのよとか、そんなことを言いながら玄関へ向かった。
やってきたのは、サンタクロースではなかった。
サンタクロースみたいに大きな袋を持ち込んだ料理長だった。
私をこの家に送り込んだ張本人。
ビックリして、椅子から転げ落ちると二人とも大笑いしていた。
彼女は、私が立ち上がる時に手を貸してくれた。
「今日は私達があなたに料理を振る舞うわ」
そう言うと、エプロンの紐をシュッとキツく結んで、さっそく料理長とキッチンへ立った。
何が起こったのか分からなかったけれど、私はポケットのメモを取り出して、二人の調理を必死に書き留める。
五感を使って、覚えることに集中する。
一時間ばかりで料理が出来た。
その時には、私は集中しすぎてフラフラで、料理をしていた二人よりお腹を空かせていた。
前菜のフォアグラ、生牡蠣、スモークサーモンを目の前に、ヨダレが止まらない。
フランスでもフォアグラや生牡蠣は、年に一度のご馳走。
それを用意して一緒に食べさせてくれたということは、とんでもないクリスマスプレゼントであることは確かだった。
彼女の修行は、まだ続く。
だけど、少しはマシになったという話題で料理の肴に出来るくらいにはなっている。
来年には、私が二人に振舞えれるくらいになろう。
シャンパンを片手に、私は修行話に花を咲かせた。
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