ショートストーリー うな丼
トロリと溶ける舌触りの後、山椒が舌先を痺れさせる。
鼻から抜ける炭の香り。
噛む必要もなく、蜜のように滑らかに流れていく。
元の姿からは、想像もできないような美味しさを秘めた鰻。
昔からスタミナ源にされているけれど、あれだけ甘美で魅惑的な味と香りをさせているなら、納得がいく。
美味しいものを食べるのは、心も体もよく効く薬となるからだ。
今日は四月から入社した教育中の新人を、ランチに誘った。
電話番もまともに出来ない。
彼は偏屈で意地の悪いな上司にそう言われて、ヘコんでいた。
食欲もないと、うなだれていた。
そんな彼を無理矢理引っ張って、炭火の香る店に入ってうな丼を二つ頼む。
よほど堪えたのか、何も喋らない。
ただ、重たいため息を何度もついていた。
何百回とため息だけを聞いたとき、私達のうな丼が席に届いた。
食欲なんてない。
そう言っていた彼も、届いたうな丼を見るとゴクリとつばを飲んでいた。
私は、彼へフッと笑いかけ
『憂鬱でうなだれた気分の時は、ウナダレのかかった鰻を食べるのが良いんだよ』
と冗談を言って大口開けて最初の一口を食べる。
味わい深い鰻は、舌に染みて、胃に染みて、脳を蕩けさせる。
クウッと目を瞑り、喜びに打ちひしがれる。
『ヘコんだ時は、コレをこれを食べるために怒鳴られてやった。って思えばいいんだよ。あの人、すぐ怒るからさ』
それだけ言って、私は彼に箸を持たせて食事を促した。
それだけでガツガツと食べ始めた彼は、美味しそうに目尻を下げた。
私も一緒に目尻を下げた。
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