まーちゃん

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平氏の起源と平家隆盛への道程を辿る

#創作大賞2023 #源平藤橘(げんぺいとうきつ) #平清盛 #保元平治の乱                        はじめに 「平家にあらずんば人にあらず」と豪語した平家は一体どんな道程を歩んで、その地位を築いたのか、誰もが興味あるところではないでしょうか。今回は、その過程を辿ってみたいと思います。  最初に「平家」と「平氏」の語は似てはいますが、異なるということを説明しておきたいと思います。後にも触れますが「平家」は「平氏」の一部「伊勢平氏」のうち政権を打ち立てた

    • 藤原氏四家の盛衰

      #藤原氏北家ほか #藤原道長 #今日の五摂家    先の投稿では「藤原氏栄華栄耀までの裏面を辿る」と題して、藤原氏隆盛に至る歴史を覗き見してみましたが、今回はそれに続いて、藤原氏四家の盛衰に触れてみたいと思います。  ご存知のとおり藤原家には四つの流れがあります。北家・南家・式家・京家です。この四家は、藤原不比等(ふじわらのふひと)の4人の子たちがそれぞれ興した家系で、元をたどれば同じ一族ですが、時代によっては家同士が熾烈な争いを繰り広げることもありました。 この四家の祖は

      • 藤原氏栄華栄耀までの裏面を辿る

        #創作大賞2023 #物部氏・蘇我氏の排斥 #大伴氏・紀氏の排斥 #権謀術数  中臣氏は、元は中央ではなく、常陸国鹿島出身の一地方豪族に過ぎず、神祇を祭る氏族だったようです。ですから、仏教が渡来した際には、当然のことながら、物部氏と同様に排仏派でした。当時の氏族のトップは大連・物部尾興と中臣鎌子(後の中臣鎌足)でした。大臣の蘇我稲目は礼拝に賛成したため、天皇は稲目に仏像を授けて礼拝させましたが、間もなく疫病が起こりました。尾輿と鎌子は蕃神を礼拝したために国神が怒ったのだとし

        • 『江刺郡昔話』と、そのうち「お鶴物語」

           まず、この「江刺郡」について紹介しましょう。元は岩手県南部にあった郡です。現在では町村合併に伴って奥州市などに変わり、江刺郡の名は消滅し今では存在しません。兵庫県加古川辺りでいうと、印南郡の名が消滅したのと全く同じです。  さて、その旧江刺郡は、失礼ながら凄い田舎で山奥の地だと思います。この『江刺郡昔話』には、そのため田舎ならではの話がいっぱい出ており、狐に化かされた話がいくつも出ています。もっとも、我が郷里・旧印南郡にも、狐に化かされたという話がいっぱいあって、決してよそ

          『雨月物語』と、そのうち「菊花の約(ちぎり)」

          #創作大賞2023 #霊魂 #雨月物語 #中国故事・叔座と商鞅 #わが郷里・加古川の故事         この『雨月物語』については、昨日投稿いたしました『崇徳院』で、西行が崇徳院の亡霊と交わした話について紹介しましたが、これも同じ『雨月物語』にでているもので、「菊花の約(ちぎり)」という話です。概略を紹介します。    播磨国の加古川宿に丈部左門(たけべさもん)という学者がいました。彼は清貧に甘んじて、書物以外は、調度品は勿論、何事にも決して贅沢をしませんでした。彼の母親

          『雨月物語』と、そのうち「菊花の約(ちぎり)」

          崇徳院

          #創作大賞2023 #西行法師 #小倉百人一首 #雨月物語 #怨霊説の真偽 #保元平治の乱  日本の歴代天皇について今上天皇は神武(じんむ)天皇から数えて126代とされています。ただし、35代の皇極(こうぎょく)天皇は重祚して37代の斉明(さいめい)天皇に、また46代の孝謙(こうけん)天皇は同じく重祚して48代の称徳(しょうとく)天皇になっていますので、人数としては、124人となります。 このうち、初代の神武天皇から何代かの天皇は実在について議論があります。一方、神功(じん

          悲運の惟喬(これたか)親王と在原業平

                 一   「中将よ。今宵は侘しいのう」 「親王さま、月の出も遅いようですし、心なしか風もひんやりしています。一層、侘しい感じがいたします」 「今宵のような日には、今思い出しても、口惜しくて、口惜しくて、ならぬ」 「立太子のことでございましょう。親王さまは御尊父・文徳天皇(もんとくてんのう)さまの第4皇子。しかも、未だ8か月でございましたからねえ」 「この第1皇子・惟喬を差し置いてのこと。父天皇も良房殿とは陰で闘っておられたのだが。結局は、良房殿に遠慮して、妃の明子

          悲運の惟喬(これたか)親王と在原業平

          花山天皇の生涯

          花山天皇」は「かざんてんのう」、もとは、「かさんてんのう」とよんだ。   【はじめに】  高校生の頃から、お寺が好きだ。受験勉強に疲れた時、法華山一乗寺へよく行ったものだ。境内にただじっと座っているだけで、何かしら心落ち着き鋭気が養われて、また頑張ろうという気持ちになれたからだ。  以来、いろんなお寺へ参詣した。一般に有名な寺院は勿論、関西花の寺二十五ヶ寺、近畿ボケ封じ十ヶ寺、神戸十三仏等々。  もう30年以上も前になろうか、西国三十三観音霊場巡りを2回ばかり経験し

          花山天皇の生涯

          加古川生まれの悲劇の英雄・日本武尊

          #創作大賞2023 #ヤマトタケル #我が郷里・加古川の故事 #古事記と日本書紀を比較して  はじめに  私は幼い頃から加古川市に住んでいますので、小学校の遠足などで日岡山にある御陵に何度かお参りしました。子供時分のこととて記憶が曖昧で、往路は、池尻か升田辺りから渡し船に乗って対岸の大野辺りへ向けて加古川を渡ったことは確かなのですが、帰路のことは再度、船に乗ったのか、あるいは池尻橋を歩いて渡ったのか、さっぱり記憶がありません。私が通学した東神吉小学校の同学年児童数は一〇八人

          加古川生まれの悲劇の英雄・日本武尊

          私の四字熟語辞典

          #漢検1級受験の好資料 #私の創作 #漢検1級に挑戦 あいきこつりつ 哀毀骨立 親を亡くしてすごく悲しみ痩せほそる。 あいきょうちょうそう 哀矜懲創 人に懲罰をくわえるには、思いやりの心が必要(蘇軾)。 あいこうへんや 哀鴻遍野 敗残兵や難民がいたる所に見られる惨澹たるさま。 あいまいもこ 曖昧模糊 物事の状態がぼんやりしてあいまいな様、ぼんやりとしてはっきり見えない様 あいようように 愛楊葉児 浅い知識で満足し、より深い真理を求めようとしない。

          私の四字熟語辞典

          僕の名前はロン

          老犬が語る漢字と中国故事の話 #私の作品をみて #漢検1級受験の好資料 #四字熟語 #蒙求 1.僕と飼い主 僕はヨクーシャテリアの雄、名前はロン、13歳です。生まれて直ぐ、今の家族に貰わてきたので、両親の顔を知りません。血統書をみたら、両親はもうこの世にはいないと思います。飼い主は、初め小学校4年生の女の子、里子姉ちゃんでしたが、僕に「ロン」と名付けて直ぐに、おじいちゃんの正也と交代しました。以来、ずっと世話をしてくれるのは、正也おじいちゃんで、とても幸せに暮しています

          僕の名前はロン

          前漢武帝とその部下たち

          #私の作品紹介 #中国前漢時代のお話 #武帝 #シルクロード 前漢の第七代皇帝・劉徹(紀元前一四一年―同八七年)は諱が「武」だけあって、闘争心のかなり強い性格であったようです。先帝・景帝の第十一子とも、第九子、第十子とも、諸説があるようですが、いずれにしても既に皇太子の地位にあった兄・劉栄を差し置いて、十六歳で皇帝の地位に就いたのは、後楯の竃氏がそれだけ強力であったからかと思われます。皇帝就任直後は、就任に至る経緯の関係で、竃太皇太后はじめ大長公など女性群の干渉に悩まされて

          前漢武帝とその部下たち

          李陵と蘇武

          #私の作品紹介 #中国前漢時代の武将 #武帝の部下 紀元前一世紀初め、中国・前漢武帝の治世のことです。李陵という若い武人がいました。 彼の祖父・李広は、武帝の二代前の文帝から、次いで景帝にも、さらに武帝と、三代の帝に仕えて数々の功績を挙げながら、最期は自刎した悲運の武人でした。李広は弓術の名手で、虎と見誤って岩をも射抜いたけれど、岩だと判ってから再度射た時には射抜くことはできなかったという有名なエピソードの持主です。過去に匈奴と七〇回以上も闘って地理は熟知していたものの、前

          李陵と蘇武

          漢詩三首

          #私の作品紹介 #友情 #梅花 #環堵蕭然   拙い漢詩ですが自分で詠んだものを投稿します。一粲を博したい思いです。     漢詩三首  三梅競演      三梅(さんばい)競演(きょうえん)     宅環堵蕭然     (わが)宅(や)は環堵蕭然(かんとしょうぜん) 蠟梅馥郁咲     蠟梅(ろうばい)馥郁(ふくいく)と咲く 白梅紅梅隣     白梅も紅梅も隣りあう      勿争色香梢     色も香りも梢(こずえ)は争(あらそ)う勿(なか)れ    馥

          童話 森の動物病院

              一 山おくの森に動物病院ができました。今まで病気になっても自然(しぜん)に治(なお)るのをじっと待(ま)つしか方法(ほうほう)がなかったので、森のみんなはすごく喜(よろこ)びました。 病院を開いたのは、おサルの鼻赤先生です。先生は、この森で生まれ育ち町へ出て、大きな病院で六年間修行(しゅぎょう)してきました。生まれ故郷(こきょう)の動物たちが病気になった時、困(こま)っていることを知っていたので、故郷へ帰って病院を開くことにしたのです。 病院は一人だけでできない

          童話 森の動物病院

          童話 老夫婦と孫の愛犬チロ

               一 昔、ある所(ところ)に、正也(まさや)という子がおりました。正也の生まれたお家(うち)は、あまり裕福(ゆうふく)ではありませんでした。兄弟が七人あって、男が四人。女が三人。この正也は上から三番目でした。ですから、いろんなことがあると、上からも下からも攻(せ)められて、つらい思いをすることが何度(なんど)もありました。それでも、正也は、決(けっ)して泣(な)きませんでした。それが、正也のたった一つの自慢(じまん)でした。 勉強(べんきょう)はあまりできませんで

          童話 老夫婦と孫の愛犬チロ