百物語 第五十三夜

東北のある町に赴任していた頃の話だ。
その町は由緒ある行事から、馬を神聖な動物としていた。

赴任先での生活に慣れはじめた頃、
数えるほどしかないこの町にあるスナックへと入った。

飛び込みで、しかもひとりで来る客はめずらしいのか、
少々警戒されているようであったが、それでも常連客らしき男が
話しかけてきてくれて、うまく店に馴染むことができた。


いい歳をしてオカルト好きな私は、
常連客の男にずっと気になっていた質問をしてみた。

東北の地で、馬を神聖な動物としているとすると
頭に浮かぶのはオシラサマだ。
簡単に説明するならば東北を中心に信仰されている、家を守る土着の神様だ。
そのご神体のヒトガタには馬の顔が彫られている。

常連客の中年男性はまるでオシラサマを知らなかったようだ。
私が辟易しているのにもかかわらず、この町の馬にまつわる行事について事細かに説明をしてくれた。
オシラサマは南東北の地域では信仰されていない地域もあるのは知っていた。
とはいえ、馬を大切にしている地域なので、オシラサマも信仰していると勝手に思い込んでいた。

常連客の中年男性は調子良く飲み過ぎたせいか、
私よりも先に帰ってしまった。

私もこのグラスが空いたら帰ろうかと考えていた時、
ママが声をかけてきた。


この町でその話はしない方がいいよ

そう、私は忠告された。


「この町はほら、馬を大切にしているだろ。だからね、オシラサマの昔話で親に首を切られるのは娘なのさ。神聖なお馬さまを汚しおって…、ってね。今じゃないだろうけれど、あたしが子供の頃にはよく親に言われたよ。『悪いことばかりしてるとオシラサマになるぞ』ってね。これは女の子が怒られるときの言葉だったから、男が知らなくても仕方がないことさ」


私はどう応えるべきか…、二の句が継げなかった。
ママはこの間を勘違いしてくれた。

「そんな気にしなくてもいいよ。ただ場所によって、何が大切とされているかなんて変わってしまうってだけさ。あたしたちの世代は親にそう怖がらせられてきたからね、何人もいるよ、馬にやられちゃう夢を見たって友達がね。こんなことをしたら親に首をはねられるって分かっているのに、これ以上になく気持ちよくてね。親に殺されてもいいって思ってきちゃうんだよ。こういうのはなんだろうねえ。反動というか、それがそんな夢を見させたのかもしれないね」


私は酔客を装いかるい口調を心がけて、ママも馬に犯される夢を見たのか尋ねた。


「そんなわけないだろ」

グラスの氷がカランとなる。
もう客は私ひとりだった。

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