百物語 第三十二夜
僕のお父さんの話です。
こういう言い方が正しいのかどうかわかりませんが、お父さんは、あまり信心深いひとではありませんでした。
例えば、法事のときにあからさまな普段着で出席するだとか。お葬式終わりにパチンコをして帰るだとか。仏壇のお供え物を片っ端から食べるだとか。そういうことを平気でしてしまうのです。
しきたりや言い伝えを重んじる田舎にあっては、珍しいタイプでもありました。
―――お盆に海に入ってはならない。
海の近くに住んでいるひとなら、誰でも知っていることだと思います。
死んだひとたちの魂は、お盆になると海を渡ってこの世に戻って来る。おじいちゃんとおばあちゃんからもそう教わりました。
迎え火と送り火も、浜辺で行うのがこの辺りでは当たり前です。
十歳の僕でさえ知っていることを、もっと長く生きているお父さんが知らないはずはありません。
「今から潜ってくるぞ」
だから、八月の十三日にお父さんがそう言ったとき、僕はちょっと信じられない思いでした。
お母さんも同じだったのでしょう。びっくりした顔で、「今日はお盆なのよ」と言いました。
「知っとる。まだクラゲもそう多くないし、大丈夫よ」
見当違いなことを言って、水中眼鏡と銛、タモを手に、お父さんはあっさりとうちを出て行きました。
日も暮れかけた頃、ようやくのことでお父さんは戻って来ました。
いつもよりずいぶん長い時間が過ぎていました。
お母さんは心配してうろうろするし、おじいちゃんとおばあちゃんは怒るしで、うちの中はしっちゃかめっちゃかになっていました。
しかし当の本人だけは、誰に何を言われても気にも留めず、帰るなり縁側に腰を下ろして、ただじっと海の方向を眺めていました。
いつもとは、どこか様子が違う。そんなふうに僕には思えました。
なにより変だったのは、お父さんが手ぶらで戻って来たことです。
「お父さん、今日は何も獲れなかったの?」
「ああ…」
「銛とタモは? 失くしたの?」
「ああ…」
何を言っても上の空。ろくな返事は返ってきません。
おかしいなぁと首を傾げながらも、その日はそれで終わりました。
翌日、八月の十四日。お父さんは、朝も早いうちから「海に行く」と言い始めました。
お母さんは露骨に嫌な顔をしていましたが、お父さんが一度言い出したら聞かない性格だということもよく知っています。
どうせ昨日も行っているのだし、一日も二日も変わらないという諦めもあったのでしょう。「今日は早く帰って来てよ」とだけ言って、送り出してやったようでした。
その日お父さんが戻ってきたのは、すっかり夜も更け、満月が高くのぼった頃でした。
「これは、何かあったに違いない」「警察と消防、近所の漁師さんにも連絡をしないと」そんな大騒動の中でのご帰還です。無事を喜ぶどころか、みんなかんかんに怒りました。
夜中だというのに声を荒げたので、隣のおじさんとおばさんも何事かと様子を窺いに来たくらいです。
だけど、やっぱりというかなんというか。お父さんはまるで無反応でした。
「ああ」とか「うん」とか生返事をするだけで、どうやら話も耳に入っていないようだし、自分がどういう状況にあるのかも理解していないふうでした。
それでも、その目はしっかりと海のある方を向いていました。
あぐらをかいた足を何度も何度も組み替え、うずうずと肩を揺らしていたことをよく覚えています。
八月の十五日。目覚めると、既にお父さんの布団はもぬけの殻でした。
どうやら夜中のうちに抜け出したらしく、衣服と下着は廊下に点々と落ちていて、玄関扉は開けっ放しになっていました。
そしてそのまま、お父さんは戻って来ませんでした。
たぶん、あっちの方が楽しくなってしまったんだと思います。
そういう、子どものようなところのあるひとでした。
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