百物語 第六夜

同じ夢を見ることがあります。

小さな頃から決まって同じ夢で、中身はおおよそ変わらないのですが、自分の年齢が上がるにつれ、起床後の「解釈」という意味では、年々変化してきているように思います。

ですので、今からお話しすることは、あくまでも私の「現時点での」夢の内容ということになります。

その夢の中では、「偶然に繋がった扉」から来た「あちらの私」が、私に語りかけています。「あちらの」を、うまく説明することはどうにも難しいことで、これは現在の私がそのことについてきちんと理解できていないからなのですが、とにかく「あちらの私」によると、「我々が宇宙と呼ぶこの世界の中では、あらゆる別世界が同時に存在している」らしいのです。

それは全く不思議な力でもなんでもなく、ただ物質が存在する、ということは反物質も存在する、というような法則に従ったもの、だそうです。難しいことはわかりませんが、夢の中とはいえ子供の頃から繰り返し聞かされているので、私にとってこのあたりの説明は(いつも同じように聞かされるのですが)、起床後も、もう深く考える対象ではありませんでした。ただ、無数に存在するらしい「世界」というものに、その時々によって安堵したり、呆然としたりするだけでした。

「あちらの私」によると、こちらの私たちの意識は、死後、そのままどこかの別な世界の「私」として覚醒し(または転送というべきかもしれません)、その世界でまた「私」として目覚めるようです。

ただし、その時の「私」は生まれるのではなく、死んだ姿のまま「それぞれの別世界」で覚醒します。そして、その姿から今度は歳を経るごとに若返っていき、新生児くらいまで戻って自然に亡くなるか、あるいはまたどこかの歳で別世界に飛んでいくかして、その世界内で存在のしての死を迎えるようです。

そちら世界ではそれがあたりまえのことなので、誰もそれを疑問に思うようなことはありませんが、私たちが学校で習う発生のシステムとしては、こちら側の私には色々と疑問が残ります…。

あくまでも夢の中の話で、しかもこの後の私の発言はいつも決められています。「では、歳をとる途中で亡くなった人はどこに行くの?」と。

この質問をされると、決まって彼女は「もう一方のとなりの世界へ」と答え、少しさびしそうな顔になります。

「さらに別な、そのまた違う世界で、歳をとるか若返るかして過ごす。そちらのことは分からない。扉がつながっていないから。その隣の世界がどこに繋がっているかもわからない。結局永遠に未来は分からない。だけど、その繰り返しの中で、運が良ければまた私もあなたとしてそこに生まれてくる。」

このセリフを聞くと、私はその途方もなさに悲しくなります。そして、寂しそうな彼女の背中を撫でてあげたい、そう思った瞬間目が覚めてしまいます。

時間は、決まって明け方の5時前でした。

私は宇宙に詳しいわけでも、物理学に明るいわけでも、夢占いができるわけでもありません。ですので、これが、17歳のごく普通の高校生である今の私にできる精一杯の、おかしな夢に関する説明です。

ただ一つ、こんな私にもはっきりとわかっていることがあります。

夢の中の「あちらの私」は、最初に出てきた時からまったく歳をとっておらず、また、その姿は現在の私にとてもよく似ている、ということです。

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