百物語 第二十四夜
私は娘が三人いる主婦で、以前は趣味でアクセサリーや髪飾りを作っていました。
基本的には、自分の娘のためにと作っていたのですが(三人とも同じものを欲しがったとき、既製品ではサイズや数で困ることがあるため)、材料や時間に余裕があれば、仲良しのお友達にもあげたりしていました。
自分たちが気に入ったものに関する子供の情報伝播の勢いは目を見張るものがあり、娘がつけている髪飾りのなかで、気に入ったものがあると、そのうち私のよく知らない子供まで「作ってもらえませんか?」とやってくるようになりました。その、もじもじと、しかし勇気をだしてお願いしにくる姿はとても可愛らしく、なんだかSNS上で機械的に「いいね!」のやりとりをしていた自分には、とてもまぶしく見えました。
二年ほど前、三女が通っていた幼稚園でも、そうして髪飾りの作成をお願いされることが多くなりました。
最初の頃は、ひとりひとり入念にリクエストを聞いたり、綺麗にラッピングして手渡したり、していたのですが、さすがに私も保護者として幼稚園に何年も通ううちに、あまりひとりひとり丁寧に接することができなくなり、特に行き帰りであまり会うことがないバス通学の子などは、別な子にお願いするなどして、直接手渡しできる機会は徐々に減っていきました。
そうなると、お迎えの際などに、全然面識のない子が、私の作った髪飾りをつけていたりすることもあり、ちょっと不思議な感覚でした。
三女が年長に上がって、運動会も終わった梅雨の頃、また子供たちから「ひなちゃんにも髪飾り作ってあげてほしい」というお願いを受けました。
私は「ひなちゃん」の顔がわかりませんでしたが、お願いしに来た子供たちがバス通学の子だったのもあり、とりあえず承諾しました。園のバスは二便あり、年中と年少の子や体調の悪い子などは、お迎えの保護者が来るより前の時間のバスで帰ってしまいます。多分バス通学で、年下の子供なのだろう、と思いました。
「ひなちゃんは何色が好きかな?」
私は、初めての子には一応カラーリクエストなどを聞いています。
「赤だよ。それから透明なきらきらのやつもほしいって。」
私は少しドキリとしました。
今日、帰ったら赤いラメ入りのレジンアクセサリーを作るつもりで用意していたからです。
娘たちにも、お友達にも、まだ一度もあげたことのないものを、どうして知っているのだろう…と思いましたが、おそらく既製品をつけている他の子の髪飾りを、私の作ったものと勘違いしているのでしょう。
既製品と比べられるのは申し訳ないなあ…、などと迷いながらも、次の日その髪飾りをお友達に託しました。
「ひなちゃん」はとても喜んでくれたそうです。そして、次はこんなリボンが欲しい、とリクエストをくれたようでした。まだ小さいらしい「ひなちゃん」の代わりに、年長さんがイメージ画を描いてきてくれていました。
ストライプのリボンの真ん中に、造花をつけた夏向きのもの…。
それも私がすでに材料を家に準備しているものでした。
私は帰ってから三女に尋ねました。
きっと私がどんな材料を用意しているか知っている三女が、「ひなちゃん」に教えたのだろうと思ったからです。
ところが三女は「ひなちゃん? なにぐみさんかなあ?」と、彼女とは面識がない様子でした。
「まいちゃんたちがよくひなちゃんのことお話してるのは知ってるよ」とのことなので、学年の違う子供のことは娘もよくわからないようでした。
私も、この前の運動会で他の学年の競技もよく見ておけばよかったなぁ、と後悔しました。
夏休みが明けて、秋になったころ、また「ひなちゃん」からリクエストを受けました。デニム地の三重リボンの髪飾り。
それはまだ長女に家で一度だけ試作品をつけてもらっただけのものでした。
さすがに私は少し気味が悪くなりました。
それでも私の髪飾りに独創性があるかというと、そういうわけでもありません。
「ひなちゃん」はただ、おしゃれに興味があって、いろんな髪飾りを知っているからこそ、たまたま私と気が合っているだけなのかもしれない…。
そう思い、完成品をまたお友達に渡しましたが、同時に「しばらくアクセサリー作りをお休みする」と云うことも伝えてもらいました。
実際、そんな気分にもなれず、私は材料や道具を仕舞い込んでしまいました。新しいアクセサリーの案も浮かばず、なんだかやる気をなくしていました。もしかしたら、自分のセンスが、幼稚園児(それも年中か年少)に先を行かれてしまうぐらいのものだったことに、ちょっと自信をなくしたのかもしれません。
そうして私がアクセサリーを作らなくなってしばらく後、ポストに一枚の紙が入れられていました。
子供のつたない絵でかかれた、赤いチュールレースらしきリボンのデザイン。
――「ひなちゃん、だ…」
私は直感的にそう思いました。
朝確認した時は何もなかった…。切手も何も貼られていないその紙は、直接ポストに入れられたものです。それも平日の昼間、幼稚園の時間に…。
お迎えに行くと、私の顔を見た子供たち数人が、走ってこちらにやってきました。
「ねぇひなちゃんがこれほしいって!」
「これも、ひなちゃんからお願いされたの」
子供たちが次々に私にデザインの描かれた紙を渡してきました。それぞれに違うデザイン。私は少しイラつきながら返しました。
「だめよ。おばちゃんお休みするってこの前言ったでしょ?」
「そんなのだめだよ! ひなちゃんが怒るよ!」
「おねがい! わたしたちも怒られちゃう!!」
子供たちは、今にも泣きだしそうに私に縋りはじめました。
「おねがい!! あした絶対につくってきてね!」
「ぜったいよ!!」
あまりに必死な表情に、私は周りの保護者の目を恐れ、承諾しました。
なにより、作ってこなければどうなるのだろう、というのが本当に恐ろしかったのです。
結局、「ひなちゃん」からのリクエストは春になるまで時々続いていました。冬休みには、デザイン画が知らない間にバッグの中に忍ばされていたこともありました。
それでも卒業式が終わり、娘や、「ひなちゃん」の伝言役だった年長のお友達全員が卒業したせいか、リクエストはぱったりなくなっていました。私はようやくほっとしました。
その後の五月、できあがった卒業アルバムを受け取りに、幼稚園に一度おじゃましました。
私が着くと、先生方が少し目くばせし合い、「sさんすみませんが…」とそのまま主任教諭のところまで連れていかれました。
「sさんにはお話するか迷ったのですが…。」
主任教諭は難しそうな顔をしながら、何かを探し始めました。
「幼稚園の隅のウサギ小屋の裏で、時々年長の子供たちが何か埋めていることがあったんです。ごっこあそびだろうと気に留めていませんでしたが…。今年、卒業式の前に、ウサギ小屋の改築のために、その場所にも業者が手を入れたんです…」
主任教師は箱の中から、泥にまみれたいくつかの髪飾りを取り出して並べた。
「これ、sさんが作られたものでしょうか?」
それは全て、私が「ひなちゃん」に作ったリボンでした。
「一応その場所もその付近も業者を呼んで掘り返してみたのですが…。髪飾りの他にはなにも見当たらなかったんです。」
子供たちが恐れ、必死になっていた「ひなちゃん」はなんだったのか、今もわかりません。その年の幼稚園には、該当する名前の子供はいなかったそうです。
一度、ショッピングモールで伝言役だったお友達に会った際に「ひなちゃんはどうしているの?」と聞いたことがあります。
「ひなちゃんはね、この前ゆめにでてきたの。リボンとられたからすごく怒ってたよ。取り返しに行くって。」
「でもひなちゃん、足がないから、遅いの。」
「ひなちゃんが来たら、また新しいの作ってあげてね。」
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