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ライフワークを生きる私たち 第2回:演劇作家 本橋龍 後編「演劇って誰でもできる。その入り口をどんどん作っていきたい」

「ライフワークを生きる私たち」では、自分らしい生き方を持つ人を取材しています。前編に引き続き、今回も演劇作家の本橋龍さんのお話をご紹介します。

後編では本橋さんが開催している「無理しない演劇のワークショップ」についてお聞きしました。さらに、作品作りと生計を立てることのバランスや、今後やっていきたいことについても語ってもらっています。

前編はこちら。


演劇をやったことのない人に、演劇が日常生活の助けになることを伝えたい。

ー演劇のワークショップを開催なさっていますね。これは、どのようなものですか?

本橋:僕がやっているのは、『無理しない演劇のワークショップ』という名前です。

通常、演劇のワークショップというと役者を目指す方が参加されることが多いのですが、僕のワークショップは演劇未経験の方を歓迎しています。

参加者の方にエピソードトークをしてもらったり、みんなでファッションショーをしたりするのが主な内容です。

ー台本があって、台本に沿ってお芝居するような、一般的に連想する演劇のイメージとはずいぶん違いますね。

本橋:演劇を長年続けてきた僕からすると、日常生活と演劇の境目は曖昧になってきているんです。

僕は日常の中に演劇の要素を入れ込むことによって、生活で困ったことを解決したり、幸福を得たりしています。なので、そういったことを演劇をやっていない人にもお伝えできたらなと思っています。

ワークショップに参加したことをきっかけに、演劇にハマってしまう人もいるんですよ。過去にまったく演劇に携わったことがない状態で参加してくださって、今はガッツリ俳優活動をされている方もいます。

演劇って誰でもできるのが魅力なんです。特別な技術もいらないです。ただ、入り口を見つけづらいという欠点がありますよね。なので「入り口」をどんどん作っていけたらいいなと思って、ワークショップをやっています。

ー演劇のワークショップでファッションショーをするのは、どのような意図なのでしょうか。

本橋:ワークショップのコンセプトは「2日間で演劇作品を作る」です。最初にコンセプトがあって、内容を検討しました。ワークショップを行う場所が洋服作家さんのアトリエ兼住居なので、場所に因み、洋服を使ってファッションショーをしてみようかなと思いついたんです。

実際にやってみると、ファッションショーは演劇の要素をどんどん削ぎ落として、本質的なものにした形だと気づきました。

ファッションショーは服を見せるショーであり、服を着た人がランウェイを歩きます。僕たちは普段、服を着て生活をしています。生活の中では色々な動きをするはずです。しかし、ファッションショーでは、服を着て行う行為を極限までシンプルにして、ただ歩くという動作だけ見せる形にしています。

演劇も、すごくシンプルにしていくと、実は同じところに行き着くんじゃないかと気づきました。衣装を着て歩くという動作を見せるだけでも、その服を着た人の生活を想像して物語めいたものを感じられるよね、と。服を見せるのか、物語を感じさせるのか、目的は違いますが形としてファッションショーと演劇は体としてはかなり近いものですよね。

ワークショップでは最もシンプルな演劇の形として、最後にオリジナルファッションショーを開催しています。ただし、服を見せるというより、服を着て何か別のものになるというファッションショーです。

ー日常でも、着る服によって気分が良くなったり、普段の自分とは少し違う気持ちになったりしますよね。

本橋:そうですよね。服によって歩き方も変わりますしね。

椅子が1つ置いてある。
俳優が座っている。
その椅子がなぜか便座に見えるんです。

ーイギリスで天才と名高い演出家ピーター・ブルック氏の『なにもない空間』という本にも、人が舞台を横切るだけで演劇は成立すると書いてありました。本を読んだわけではなく、ご自身の経験から、巨匠と同じ考えに到達しているのはすごいですね。

本橋:最近はミニマルなことにすごく興味があります。ただ歩くことや、何も置かない舞台で演じることなど、削ぎ落とされたものにどんどん面白みを感じてきています。

演劇って本当に面白いんです。例えば、舞台上に椅子が1つ置いてある。俳優が座っている。それを見た時にお客さんは「あの人は待合室で待ってるのかな」「トイレしてるのかな」なんて色々と考えるじゃないですか。これは、演劇特有の現象です。

映画では、椅子が置かれていてそこに役者が座っていても、見る人は誰もその椅子を便座だと思いません。トイレのシーンは、トイレで撮影されます。

でも、演劇では椅子がなぜか便座に見えるんです。観客と演じる側の相互コミュニケーションが起きているからだと思います。落語で落語家が扇子を使って蕎麦を食べる表現をし、観客がその動作を「蕎麦を食べている」と感じるのも同じですよね。削ぎ落としたミニマルな演劇に興味を持ってから、落語がめちゃくちゃかっこよく感じるようになりました。

このような演劇的な表現の面白さは、実生活の中にもあります。例えば、雑談をする際に、身振り手振りを使うことはよくありますね。「こうやって階段を上ってたら」と人差し指と中指で階段を登る動作を表現し、「急にガクッてこけて」と体全体で階段から落ちる動作を表現する。手振りから身振りへ急に表現の形態を変えたとしても、聞き手はぜんぜん理解できる。それって、目の前に人がいることによって相互コミュニケーションが発生しているからです。

演劇作品をお金にすることを考えるのは、相当しんどい

『さなぎ』2019年公演

ー本橋さんに限らず演劇界の課題になるかと思いますが、小演劇では良い作品を作っても、大きく利益を出すのは難しいですよね。

舞台出身の実力ある俳優さんが、テレビに出るまでは長年アルバイトをしていたという話もよく聞きます。

商業演劇ではなく、お金にならない小演劇というフィールドで活動することについてどう考えていますか。

本橋:金銭的なことに関しては、すごく悩んでいた時期もありました。最近は、表現活動と生計を立てていくことを切り離して考えられるようになってきています。

ワークショップの開催や審査員、ティーチングなど作品作り以外のお仕事をやらせていただく場面が増えてきました。これらの仕事では求められている役割をまっとうしてお金をいただく一方で、演劇作品を作る時は自由にやりたい放題やっていいのかなと考えるようになりました。

演劇作品をいかにお金にしていくか考えるのは、相当しんどいことだと思います。演劇だけで食べている人は、ほぼいないと言っていいので。

僕は今、演劇に付随する仕事をしています。演劇を好きで選んでいるというより、演劇が自分のできることだからやっている部分があるので、できることでお金を稼いでいくのは必然です。やりがいのある仕事を徐々にいただけるようになってきていますね。

特に、講師の仕事は非常にやりがいを感じています。どうしたらもっと、演劇に親しんでこなかった人に、演劇の入り口に立ってもらえるか。そこが悩ましいです。

ーこのインタビューを読んだ人が、本橋さんのワークショップに来てくれたらいいですね。

本橋:それは本当に嬉しいですね。絶対に楽しめると思います。

演劇の魅力、楽しさ、やりがいをやったことのない人に言葉で説明するのは難しいです。実際にやること以上に魅力を持った言葉はないですから。

演劇は、結婚式や誕生日みたいに、自分が主役になれる1日を自発的に作れる手段でもあります。ワークショップに参加することで、「自分が主役の日」を体験できます。

ー主役は1人であとは脇役ではないんですか?

本橋:物語の主役はそうかもしれません。でも、舞台に立ってみんなから拍手をもらい、みんなからフォーカスされる体験をするという意味では、舞台に立つ全員が主役です。

興味を持ってくださった方には、気軽にワークショップに参加してほしいですね。

高校生を演出する上で、彼らの全てを肯定しました。それは僕が高校生の時にされたかったことなんです。

ー演劇は、学校や一般社会の画一的な評価軸ではない視点で人間を捉えるものですよね。子どもたちに体験してもらうと、多様な価値観が芽生えて良さそうです。

本橋:演劇を通して思春期の方々と関わることは、まさに僕がやりたいことです。

2023年の夏頃に、福島県のいわき総合高校の演劇部の卒業公演を演出させていただきました。本当に、今までやりたかったことができた体験でした。

高校生たちの全てを肯定することが使命だと思って取り組みました。稽古では、生徒たちがやることをひたすら細かく見ていました。そして毎回稽古の最後に、彼らがいつもと違う選択をしたことやその日の気づきなどを伝え、必ずポジティブな言葉で肯定しました。

それは、僕が高校生の頃にされたかったことなんです。自分が思春期の時に、そういう人が周りにいてほしかった。演劇を通して多感な年代の方々をひたすら肯定していくのは、この先もずっとやっていきたいです。今後もこのような活動ができたらいいなと思います。

本橋 龍(もとはし りゅう)
1990年生まれ。さいたま市出身。高校の部活にて演劇を始める。その後入学した尚美学園大学で演劇を学ぶが、2013年に大学を中退。実家から家出し、そこから自身の創作ユニット「栗☆兎ズ」で劇作活動を本格的に始める。2016年、江古田に居住し活動の拠点である「栗☆兎ズ荘」(木造二階建ての一軒家。後のウンゲ荘)を構える。8回の演劇公演を経て、ユニット名をウンゲツィーファに改名。

本橋さんのワークショップの告知、公演情報は本橋さんのX(旧Twitter)にて随時更新中です。ワークショップの詳細は以下から。

編集後記

「自分らしく生きる」というフレーズは極めてポジティブな響きだ。しかし、強い特性を持つ人間は、たいてい生きづらい。

この社会では「価値のある人間」と「価値のない人間」の基準が暗黙のルールとして定められていて、人々はひとたび価値がないと判断した相手を人間として扱わなくなる。しかも「価値があるかどうか」の基準は、都合が良いかどうかという本来の人間の価値とは全く異なる要素で計られる。暗黙となっている基準を明らかにすると「①この人は権威か」「②この人は自分を得させる存在か」「③この人は使えるか」の3つだろう。

大抵、強い特性を持つ相手は人の思い通りに動かない。そのため「価値がない」と判断されがちだ。彼らが権威を持つ時、人々の態度はコロッと変わるのだけれど。

本橋さんのことを知ったのは、大学時代。私の友人と彼が交際していたのがきっかけであった。長らく彼は私にとって「会ったことのない友人の恋人」だった。

話に聞く限り、本橋さんはかなり特性の強いタイプ。個性的だね、といいニュアンスでも悪いニュアンスでも五万と言われてきただろう。風変わりで抜けていてロマンチックでナイーブで生きづらそうな人。そんな本橋さん像が、お会いする前からできあがっていた。

実は、本橋さんときちんとお話ししたのは、今回のインタビューが初めてである。インタビューで本橋さんは「演劇は誰にでもできる」と言った。自分を価値ある人間に見せるには「演劇は特別なスキルがいる」「簡単そうに見えて一筋縄にはいかない」と言った方がいいのに。人にはない能力を持っていると思わせ、権威づけをする方が得なのに。周りに自分が価値ある人間だと思わせたもん勝ちの世の中であっても、彼はそういうことはしない。

そういえば、本橋さんはワークショップや公演の主催者という狭いコミュニティにおいて「権威」となり得る立場に立つ時はハラスメント行為を行わないよう、内部で嫌な思いをする人がいないよう、細心の注意を払っていると友人から聞いたことがある。コンクールの審査員をすることについてもご本人は「人の作品に僕なんかが優劣つけられない」いうようなことを仰っていた。

権威を嫌うくせに、自分が権威になることを歓迎する人は多い。権威になることを好まないところに、本橋さんの魅力がある。彼の「僕なんか」という言葉に卑屈な響きはなく、権威に重きを置いていないかっこよさがある。

本橋さんの公演は過去に何回か拝見した。作った本人にそのつもりはないかもしれないけれど、本橋さんの作品は人々が「価値なし」と無意識で判断して捨てていった無数の瞬間を凝縮し、それがどれほど本当はエモーショナルでキラキラしているかを見せてくれる。権威やお金や損得に無頓着な彼には、みんなが捨てたものの中に価値を認められるのだろう。

友人と本橋さんは紆余曲折ありつつも2022年に結婚し、あまりに可愛い娘さんも生まれた。人と人が共に暮らし子を育てるというのは、大変なことだ。経済的なことや、家事育児、健康面…困難は山ほどある。友人が何かに直面するたび、どうにかできないかともどかしくなる。他人ながら特段心を寄せている、私の大好きな家庭。彼らの幸せを心の底から願っている。

インタビューして記事を書いた人:こばやし ななこ
1990年鳥取生まれ。明治大学にて演劇を学んだ後、スマホゲームのディレクターになりストーリー作りの基礎を学ぶ。退職後はフリーランスのライターになる。シナリオセンターにて脚本を勉強し、現在はライター活動の傍ら脚本執筆に取り組む。ただの映画好き。まぁまぁ自由に生きている。


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