詩3 湖畔のクレイジーチンパンジー

その湖畔にはクレイジーチンパンジーという人殺し猿が現れるという噂だった。

だが、俺らの誰もその凶暴な類人猿の存在を信じてはいなかった。未知の存在に怯えるには、もう少し気の利いた名前が必要だった。

誰が言い出したのか。
でも、その噂を日頃つるんでる女の子たちが怖がっていたので、俺らは俺らで面白がっていた。

湖に行こうと言い始めた時、南ちゃんと佐々木さんもついて来ると言っていた。でも、結局俺らだけになってしまった。

俺とハンサムボーイの国原はじゃり道を歩いていた。

左右を深い茂みに挟まれた一本道で、小さな湖に続いていた。

比較的に大きい手持ちのスピーカーを俺が持って、テンポの速いピアノトリオのブルース曲を流していた。

俺らはクレイジーチンパンジーに目撃しにきた。

でもそんなものが存在するわけないし、女の子も来なかったので俺らには他のスリルが必要だという暗黙の緊張感があった。

道中で二人でふざけ倒して、ふざける話題の種も気力もなかった。

微かに空気に漂う緊張感を虫のように察知し、
「俺は今日ここで新しい記録を打ち立てるぞ」
とハンサムボーイの国原は言い出した。

そして、少し大きめの石を見つけたハンサムボーイ国原は、それを右側の茂みに蹴り込んだ。

シャッッと石と茂みが擦れて、音を立てた。

ハンサムボーイ国原の身長は平均より少し高いくらいで、顔は全体的に整っていたが、眉毛はへの字にカーブしていて、鼻と口の間が少し長かったから、奴の顔は全体的に少し間抜けな印象を与えた。

俺らは21歳で、どうにかして俺らの生活に霧のように充満している退屈を、どこかへ逃がそうとしていた。

しばらく歩くと一本道が途絶え、巨大な湖が目の前に現れた。俺らの他に人はいなかった。それどころか、他の生物の気配もなかった。鳥や虫の気配も。

トリオはテーマの演奏を終え、ピアノがソロを取り始めた。

「24分くらい水の中で息を止めてたらギネス記録になる。俺は今日それをお前の前でやってのけるんだ」
とハン国は言った。

湖畔にはピアノが響き渡っている。

「いや無理だろ」と俺は言った。
「だいたいお前中2からろくに運動してないだろ」

「いやいや、家の風呂に水を張って練習してきたんだよ」

「ほんとかよ、風呂では何分息を止めれたんだよ」

「12分と13ミニッツ」

「それって25分だな」
「じゃあ、とにかくやってみろよ測っといてやるよ」

ハンサムボーイは覚悟を決めたと言う様子もなく、ズボンとTシャツをさらりと脱ぐと、そーーっと地面に置いた。

湖は俺らが入ってきた一本道を入り口として、そのほかに出入り口はなかった。湖全体は背の高い茂みに囲まれていて、そこは周りから隔絶された別世界だった。

国原はそのまま湖に向かって一直線に歩き始めた。

運動不足の国原の尻は垂れ気味で、まるまるとしていた。

あいつの尻は、俺に少年の頃テレビのドキュメンタリーで見たリオのカーニバルで踊る、ブラジル人の女の巨大な尻を思い出させた。「私踊ることが生き甲斐なの」。

空にはベールのような薄い雲がびっしりと詰まっていて、太陽の光を吸収してから柔らかく発散させていた。

その光は微かにうねる水面にキラキラ反射していた。

ハン国は尻を揺らしてまた一歩また一歩とゆっくり水に足を沈めていく。あいつは身震いすら見せなかった。

あいつの入水への躊躇なさは少し不気味なくらいだった。

奴の体が肩まで浸かった時、ピアノは高い音域での演奏を止め、ドラムソロに入った。

ドンドンドン、ドンドンドン、カカ、シャーーーン
ドド、ドド、カカカカ

湖畔全体に荒々しいドラムが響いた。

やつは肩まで浸かり
「いくぞ!スタート!」
と言った。

俺はストップウォッチを始動させた。

ドンドンドンドドン!ドンドコ

ストップウォッチが30秒を回った。

ドドドンドドドン

ハンサムボーイは水中で止まっていた。水中で奴は少しばかりいつもより増してハンサムに見えた。

あまりに視界が動かないからか、ドラムに合わせてさっきのブラジルの女が視界の外から入場してきた。

ドッドッドッカッカッ

綺麗なブラウンの肌に淡い光をまとって、国原の上の水面で俺に向かって丸みを帯びたお尻を振っている。

俺は水中で体育座りで静止しているハン国みた。

カッカッカッカッ、とドラムは軽い音を連打し始めた。

そうこうしているうちに、その女は南米中の友達を呼び集めて共に踊り始めた!

大きいお尻と、大きいお尻、それに少し大きなお尻と巨大なお尻、みんながドラムに合わせてプリプリと振っている!

ドラムがカッといけば、お尻もプリっと上を向く!
なんということだ!先ほどまでは、「カッカッ」となっていたものが、今では「カップリプリカップリプリ」になっている!

カップリプリカップリプリカップリプリ、カップリ、カップリ、カッカップリプリ!!

なんということだ、俺は暫く湖上のカーニバルに気を取られてしまっていた。

ストップウォッチをみると、6分半を回っていた。

ハンサムボーイは水面に、うつ伏せにゆらゆら浮かんでいた。

俺は湖に向けて走り始めた。

走りながら俺は自分のメガネを落として踏んづけてしまった。視界がボヤけた。

全力で走ってそのまま水に足を入れるとハン国が何も言わなかったのが信じられないくらい、水が冷たかった。

ハンサムボーイを担ぎ上げて、陸にあげると、仰向けに寝かせて。頬を思いっきりビンタした。

「おい!おいおいって!」

五回くらい頬を打つと、ハンサムボーイ国山はカッと目を見開き、
「ウッソピョーーーーん」と言った。

俺は、ムカついたので奴の顎を殴って失神させて、スピーカーから流れる音楽を止めた。

ハンサムボーイの国原は静かに目を閉じて横たわっていた。

水面はいまだに揺れているが、ふたたび沈黙が湖畔にこだました。

俺は先ほどの騒動のショックから、立ち直れず、暫く立ち尽くしていた。

気づくと、ストップウォッチは14分を回っていた。

もし生産性という言葉が人生の価値の総量を測るファクターなのだとしたら、俺は確実に地獄行きの烙印を押されるだろう。

俺は長い間(もしくはそう感じられただけかもしれない)じっとしていたが、自分がこれほどまでにリラックスしていることに驚いた。ここまでの静寂が最後に訪れたのかを思い出せない。

暫くすると、カサッカサ、という音が背後から聞こえてきた。

国原は依然すやすや眠っている。

俺はゆっくりとボヤけた視界で振り向くと巨大な黒い類人猿の形をした動物が、茂みから三匹縦一列になって歩いてきた。

茂みの草たちはその巨大な体に抵抗できずに折れ曲がり、奴らが通り過ぎた後に、またその弾性を活かして、しなって元の形に戻った。

俺は多分夢を見ているんだと思った。先ほどから色々ななことが起きすぎている。

俺は再び立ち尽くしていた。顔を真っ青にして。

気づくと、クレイジーチンパンジーは俺の目の前に来ていた。思ったより身長が低かったが、肩幅は俺の2倍くらいあった。

そしてクレージーチンパンジーはゆっくりと両手を振り上げた。

俺は依然として硬直していた。俺の目は黒い生物をただじっと追っていた。

そうすると巨大な猿人類は両手を、自分の大きな頭にかけ、頭を引っ張り上げると、中から南ちゃんがでてきた。

そして、その後ろに並んでいた一匹のモンキーが、南ちゃんの横に並び、頭を取り外すと佐々木さんが出てきた。

佐々木は小さな声で、せーのっと言い
南ちゃんと声を合わせて
「びっくりしたでしょ!」
と言ってきたので即座に二人にフックをお見舞いして失神させたかったがやめといた。

俺は膝から崩れ落ちた。そして暫くそこで硬直した体の緊張がとれるまで待って、それから小石を佐々木さんに投げた。

佐々木はいつもより少し可愛く見えた。

「そいつには誰が入ってんだよ」
と最後の一匹を指差して俺は言った。

「何言ってんの私と佐々木っちだけだよ」
と南ちゃんは言った。

「いや、そいつそいつ」
と俺は言った。

南ちゃんと佐々木は振り返って五秒間沈黙し悲鳴をあげた。
そして二人は失神して地面に倒れ込んだ。

そいつは俺に迫ってきた。
そいつは荒い呼吸をしていて、目が血走っていた。
そいつは野生の覇気を身に纏っていた。

そいつはホンモノだった。

今思えばその俺の脳は度重なるショックによって麻痺していたんだと思う。

俺の座右の銘は先手必勝だったので、躊躇せずにホンモノの股間に向かって右足を振り上げた。

俺の右足は股間にクリーンヒットしたが、俺は違和感を感じた。

ブラジルの女が走ってきて
「違うよ!」と俺に向かって大きな声で言った。

え?

サッカーを16年やっていた俺のキンテキに、クレイジーチンパンジーは全く微動だにしなかった。

なんと、そのクレイジチンパンジーはメスだったのだ。

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