ターザンロープ 娘の失敗する権利 過保護との境

家族でお出かけ。
新しい施設、子供の遊ぶスペースが出来ていた。
その日は炎天下。
ひるむけど遊ばせないわけにはいかないよね。

新しいところだから娘も目移りする。
「あれやりたい、これやりたい」

炎天下だと色々な遊具がアッチアチ。
遊具が熱々にならない塗料とか開発したらノーベル賞は取れないまでも、未来永劫ちいさい子供を持つ家庭から感謝されそう。
温暖化も進んでいるしね。

ターザンロープがあった。
ワイヤーが張ってあって、滑車に繋がったロープにぶら下がって、シュー、ガシャーン、っていくやつ。
大人がやったら、ぶら下がるのが痛そうだし、ガシャーンの衝撃を受けきれなそうだし、ちょっと恐ろしいあれ。

4歳の娘がやりたがる。
小学生の子たちは自分でジャンプして掴まってシューって出来るけど、娘は当然それが出来ない。
やらせるとしたら親が掴まらせて支えてないといけない。
以前にそれでやらせたことあるけど、娘の体重も増えたし、逆に怖い気がする。

諭すけど「やりたいやりたい」と。
根負けして並ぶことにした。

ロープを受け取って、娘を抱える。
娘は真剣にロープを掴んで、足でもしっかりと挟む。

おや?
すごくしっかり掴めている気がする。
一瞬色々考えて、支えるのではなく、いざというとき守れる位置で並走するだけにした。

シュー、カシャーン。
体重が軽いからスピードがゆっくりでカシャーンも弱い。
娘はしっかりロープにつかまっていた。

「できたー!」と娘。
驚きと自信が混ざった眼をしている。
僕はこの眼が大好きだ。

「もう一回やる」と娘。
二回目は自信満々、うれしそう。

あの時、手を離して娘に任せなかったら、あの日あの眼を見ることは無かった。

子育てをしていると過保護との境に悩む。
娘が生まれる前、子供はどんどん挑戦させないといけないんじゃないかと思っていたけど、娘を前にすると、一回の挑戦が取り返しの無い事態に繋がるのでは、という怖さが常にある。

そんなことを考えている時、ある福祉の人が言っていた言葉を思い出した。
「人が失敗する権利を奪ってはいけない」
支援が行き過ぎて、安全であれという思いが行き過ぎて、その人らしさを奪ってはいけない、という事だと思う。

僕は娘の失敗する権利を守れているだろうか。

過保護に陥りそうなとき、このことは思い出したいと思う。


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