ブドウとアイスと話題と気遣い

昨日、長野県の佐久平でハーフマラソンを走りました。
とてもいい大会で楽しく過ごすことが出来ました。

当日は現地の知り合いと一緒に出場。
レース後に温泉施設に行って、そのあと、知り合いが荷物を取りに行くというので家に立ち寄りました。

すると、奥様が「あらあら」。
在宅していた娘さんも出てきて「こんちわ」。
そんなこんなで「お茶飲んでいってください」。
座ったら「うちで取れたブドウです」。
ブドウ食べてると「アイスもどうぞ」。

おもてなしがすごい。
これって県民性だよなー、と思う。

ところで、同席した高校1年生の娘さんが、ものすごくいい子。
大人の会話にきちんと参加して話を聞いてる。お父さんに話を振られるときちんと自分なりの話題を話す。家族の仲のよさ、娘さんの人となりに感心。

おじさんはうれしくなって、会話の中で、その子のためになりそうな話題を持ち出すようになりました。
読書の話になった時「紙をめくる体感が案外内容の記憶に結び付くらしいよ、教科書を音読するとかに似てるかもね」。親子が旅行の話をしていた後で「見たり聞いたりしたことって、その場は印象に残らなくても、蓄積は必ず意味があると思う、だからおじさんは経験することを大事にしてるんだ」とか。

余計なお世話のオンパレードですが、感心すると、報いたいとか、返したい、という思いが湧いてくるんですよね。この思いは年を重ねるごとに強くなる気がします。自分が幼い頃、親戚の叔父や叔母があれこれくれたのも同じことなんだろうな。

そう考えると、
「せっかく来てもらったからお茶を、ブドウを、アイスも」という思いと。
「とてもいい娘さんだから、彼女が話に参加した意味を」という思い。
相手に何かをしてあげたいの応酬というか連鎖というか。楽しい気のつかい合いだな、と思いました。

さて、おじさんという種族はそういった思いがあふれて話が長くなる傾向があります。高校生が受け取れる量で話題をまとめるという課題は、ハーフマラソンを走るよりよっぽど難題でした。

帰って少しするとスマホにメッセージが。
今日のお礼に加え、娘が楽しかったと言っていました、とありました。

気遣いの追撃。
おじさんの完敗です。



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