大切なものは目に見えない、おれなんてまだまだ
驚きの連絡が京都から届いた。
その友人からの知らせは信じがたいほどの人間の可能性を感じられたもので、自分を奮い立たせるに十分過ぎるものだった。
もう25年近く前、自分が目の病気になったのを知って間もない、まだその先どのように生きていこうか悩んでいた頃のこと。
知人の紹介で奈良で開催されていた障害者カヌー協会の練習会に顔を出した時に、ある友人と出会った。
同い年の車椅子ユーザーの彼はひとりの障害者の先輩として話を聞いてくれ、いろいろと自分の話をしてくれた。
意気投合した我々はその後も次便が関西出張があるときにはお酒を酌み交わした。
彼は筋肉が硬直してゆく原因不明の病で、以前は杖で歩けていたとも言う。私も進行性の病気だったこともあり、お互いの将来に対する正直な不安なども言葉にできた。
その後ひょんなことから私が半ば強引に?連れ出し、二人でアメリカ旅行もした。おれが片手で彼のスーツケースを、もう片方の手で車椅子を押し、彼には看板などのサインを読んでもらう、それはそれは素敵な旅だった、お互いに新たな気付きしかない旅だった。
その後彼の病状は入退院を繰り返しながら一進一退を重ね進行し、車椅子は電動車いすとなり、ある時知らせで病院を退院し、自宅には日常生活のために手助けが必要なので高齢者の施設に入所することになったと知った。
この間に自分も視力が低下し、現在の全盲となった。
彼の施設に妻と一緒に会いに出かけた時、鼻からは酸素吸入のチューブを付けて食事以外はベッドから車椅子への移動も人の手が必要な彼の姿は端的にショックだった。
それでも彼はかすれた声で、メールのやりとりなどは音声入力は使わず、どんなに時間がかかっても指一本でPCにキーボード入力をしていると言った。
理由を尋ねたら「おれは復職したいから」。
正直なところ、進行性の病気である彼にとって、この施設への入所は片道切符なんじゃないかと、寂しさとともに帰宅の途についたものだった。
ところがそんな彼から施設を退院し、今月復職したという知らせとともに元気な声で電話まできたのだ!
信じられなかった、本当にうれしかった、一体どれほどの努力をしたことか。。
人間の可能性と力を見せつけられた出来事だし、自分がその可能性と力を信じていなかったことに恥ずかしくなった。
心の底から「おまえすごすぎる、おれなんて全然まだまだだ」と思わされたし、本当の生きてゆく力をもらえた。
彼はいつも「こばちゃんに力をもらえている。」と言ってくれる。本当に力があるやつの言葉だ。でも今回心の底から思った。そう、大切なものは目に見えない。本当に周りの人に力を伝えられるような生き様で生きたい。おれなんてまだまだだ、本当におまえすげーよ。
(写真は2003年にふたりで出かけたアメリカ・コロラド旅行での1枚!)