空白の時を知りたくて、小さなホテルを訪ねた。
東京のルーツを問い続ける、小さなホテル。
ずっとずっと、行きたいと思っていたホテルがありました。
東京の赤坂にある、TOKYO LITTLE HOUSE。
築70年の民家を改修したホテルで、1階はカフェ&ギャラリー、2階は一室だけのホテルです。なんと、戦後まもない1948年の、まだ東京に焼け野原が広がっていた頃に建てられた民家。数年前まで、三代に渡り家族が住み暮らしていた実際のおうちです。長い月日、その場所に存在し続け、当時の営みが見え隠れする空間。
以前赤坂を歩いていた時、中層のビルの間に挟まれ、こじんまりとした可愛らしい雰囲気のカフェがぽつんとあるのを見つけて気になり調べたところ、なんとホテルも併設している場所とのこと。そして、ホテルとカフェのコンセプトがなんとも興味深い。
少し前の平日、ちょうど赤坂近辺で仕事の予定があり、満員電車に乗るのを避けたく、なるべく混雑していない落ち着いた時間に行動をしたいと思ったこともあり、宿泊を決めました。(1日1組限定でもあったので。)
宿のHPには、以下のようなストーリーが。
Story
現在、複数の言語とネオンが飛び交う赤坂の歓楽街の喧噪のなかにポツンと残る木造家屋は、戦後間もない1948年、焼け跡に建てられました。
私たちは、21世紀に至るまで三世代にわたって家族の生活の舞台となってきたこの家を、約半年間にわたって自分たちの手で改修しました。
焦土の暗闇からネオンの光まで、文字通り歴史の明暗を見守ってきた小さな家が、現在の東京と、かつてこの都市に生きた人々が見た風景をつないでいく場所になればと思っています。
戦後すぐから今日にいたるまで、東京の街が変わっていくのを見続けてきた小さな家。2Fのホテル部分は70年前の面影を大切に受け継ぎつつ、快適に過ごせるような空間になっています。そして、1Fのカフェ部分は「東京のルーツ」をテーマにした展示とライブラリーを併設しています。
※ここから先、戦争にまつわるエピソードを一部記載しています。そういった話題が苦手な方はそっと閉じて頂ければと思います。
「東京のルーツ」
東京は「歴史のない都市」と言われます。確かに私も、東京を歩いていると、地方に比べて昔ながらの文化や建物が少ないことに寂しさを感じることがありました。
その大きな理由は、1945年の東京大空襲。
東京のルーツを語るには、避けては通れない焼け跡の時代。そしてそこからの復興の記憶。この宿は、そんな難しいテーマを展示のコンセプトにしていて、とても興味がありました。
というのも、私の祖父母は東京の江東区と江戸川区出身で、祖父はまさに下町とよばれる街の一角に住んでおり、3月10日の空襲の体験者でした。祖母は田舎に集団疎開をしていて、その日は東京にいなかったものの、数日前に東京に戻っていた同級生が大勢おり、多くの友人が帰らぬ人になったそうです。
祖父は私が物心つく前に他界してしまったため、直接話しを聴くことはなかったのですが、昔から祖母の家へお泊りへでかけると、一緒のベッドに入り、よく当時の話をしてもらっていました。怖いもの見たさもあるかもしれないのですが、そんな時代があったということを、知って、覚えておかなきゃいけない、と幼い頃から思っていたような気がします。
向き合うのが非常に難しく、人によってはとても辛い話題だと思います。
もしかしたら、泊まったらすごく暗い気持ちになってしまうかもしれない、と不安もありました。しかし、全くそんなことはなく過ごせ、さらに自分の中に「問い」が生まれ、新しい視点で東京を見ることができるようになりました。もっと東京のことを知りたい、と。
少し長くなってしまいますが(既に長いですね、すみません)、私の東京の過去への想いと、TOKYO LITTLE HOUSEについて、書きたいと思います。
戦後の、「空白の時」
少しだけ、私の祖父母の話をさせてください。
私の祖父は前述の通り、東京大空襲の日、東京の下町にいました。空襲警報が街に鳴り響き、当時17歳だった祖父は、祖父のお母さん・姉・弟の4人で避難をしていました。家族一緒に逃げたはずが、混乱の中、いつの間にかお母さんと弟とはぐれてしまいます。東京の街はあっという間に焼け野原になり、祖父と祖父のお姉さんは大やけどを負いながらも助かりました。
空襲が落ち着いてから、何日も何日も祖父たちは焼け跡を歩き回り、お母さんと弟を探しましたが、見つからない。遂に遺体すらも見つけられず、今でもお墓にはお骨の代わりに家の焼け跡に残されていた、2人が使っていたお茶碗の欠片がはいっています。
祖母は疎開をしており、空襲の被害は逃れたものの親戚や友人を大勢なくしました。そんな祖母について、私が今でも強烈に覚えているエピソードがあります。
2003年の3月、祖母が「卒業式」に出かけるといって、おめかしをしてでかけていった日がありました。東京大空襲があった年の3月、祖母は小学6年生で、本来であれば小学校の卒業を控えていたのですが、校舎は全て焼け落ち、当然卒業式は行える状況ではありませんでした。
終戦から十数年経ってから、当時74歳だった私の祖母は、58年ぶりに卒業式に参加できたのです。(空襲で半数以上の同級生が犠牲になり、そして高齢のため、再会できたのはほんの数人だったそうですが・・・。)
その頃小学生だった私は、幼いながらも衝撃を受け、自分の祖父母がどんな大変な想いをしてきたんだろう、と胸が傷んだのを今でも覚えています。
小さい頃からこの時期になると、なんとなく家族では祖父母の話題になり、この話を繰り返し思い出していました。毎年この季節は、私にとって過去に想いを馳せる大切な時期にもなっています。
ですが、大人になるに連れて、疑問が増えていきました。
それは、戦後、どのようにして祖父や祖母が普通の生活に戻って行ったのか、という話を全然聞いたことがなかったんです。
特に祖父は、お父さんは早くに他界しており、お母さんと弟を戦争で亡くし、下に6歳と3歳の兄妹がいて、その子達の親代わりになりあの焼け野原を生き抜いてきました。いくつの時からかは正確にはわからないのですが、祖父は亡くなる時まで自分で会社をやっていたりもしました。
ふと気になり、家族に「おじいちゃんってその頃どうやって暮らしてたり、仕事をはじめていたのかな?」と聞いても、その頃の話あんまりしなかったんだよね、と。親戚の人たちも、「みほちゃんのおじいちゃんは、本当に苦労してきたんだよ。」と言うだけで、あまり多くを語ろうとしません。
当然、思い出すことも辛い過去だと思いますし、記憶も、曖昧なんだと思います。(ジブリの鈴木敏夫さんも、「人間は忘れることができるから、強いんだ」と言っていたことを思い出しました。)
ぽっかりとあいた「空白の時」。
もちろん、戦争の資料館に行ったり、自分でもっと調べればその当時の東京の様子や再興までの軌跡を知ることはできたと思います。でも、そこまで正面から向き合うのは、どうしても荷が重く感じてしまい、できていませんでした。
でも、こんな素敵なホテルでなら、(良い意味で)重たい気分にならずに知ることができるかも・・・?
戦後から大切に受け継がれている空間のワケも、聞いてみたい。
長くなってしまいましたが、そんな思いで、TOKYO LITTLE HOUSEを訪れました。
TOKYO LITTLE HOUSE。赤坂のちいさなおうち。
宿があるのは赤坂の繁華街のど真ん中。
飲食店がひしめきあうビル群に囲まれ、ぽつんと佇む小さいおうち。
宿の名前は、アメリカの絵本『THE LITTLE HOUSE』(邦訳『ちいさいおうち』)にちなんだ名前だそうです。
読むまですっかり内容を忘れていたのですが、お部屋にあった絵本を手に取ると小さい頃に読んだ記憶がブワッと蘇りました。
絵本に描かれているのは、20世紀の都市がくぐり抜けてきた変化。周囲の都市化や開発とともに、「ちいさないえ」は居場所を失っていく。最終的には優しい住み手と出会い、一緒に郊外へ引っ越してハッピーエンド、というお話し。(ざっくり)
『都心のビルの谷間に残る一軒家の佇まいは一見するとその絵本に描かれている「LITTLE HOUSE」によく似ているから』(HPより)
赤坂の一等地。きっと目が飛び出るような金額で、ビルを建てる話が持ちかけられたりしたはずです。それでも、この場所をなくさず、ずっと受け継いでくれている人たちがいます。
いまとむかしを繋ぐ、不思議な空間。
1Fのカフェ&ギャラリーも、2Fのホテルスペースも、至るところに当時の面影が大事に残されています。
まずは1F。この緑の一見壁に見える板は雨戸を再利用したもの。
お店の入り口のドアノブは、昔使われていた下駄が!写真を撮り忘れてしまったのですが、トイレの手洗いシンクにはお釜が使われていました。
続いて2Fのホテル部分。
昔ながら急な階段を登ります。
昔の味わいを活かしながらセンスよくリノベーションされた室内。断熱材を入れたり、防音対策をしたりと、快適に過ごせるよう工夫されています。ベッドのあるエリアは、天井板を取り払ったそうで天井もかなり高く開放感たっぷり。
水回りも可愛らしいタイル調でレトロな雰囲気を損なわず、とっても使いやすいしつらえに。
一方で窓側にある和室の方はほとんど手を加えておらず、なるべく当初の味わいを残しているのだとか。どこかなつかしい気持ちにさせてくれ、気分は時間旅行です。
柱の壁には、おばあちゃんの格言が。
「恩は石に刻め 恨みは水に流せ」いい言葉ですね。
室内は昔と変わらぬ雰囲気なのに、窓の外には「現代」の赤坂が。昔の空間からいまを眺めるという、とっても不思議な体験でした。
当時の面影を残した年月を感じる空間に実際に寝泊まりし、街の音を聞くことは、無意識のうちに過去に想像を巡らせることができます。
どんな気持ちで、東京の都市化を見つめてきたのか。当時の景色は一体どのようだったのか。どんな人たちが行き交ってきたんだろうか。頭の中で昔の映像を思い浮かべ再生してみる・・・。
「空白の時」について。
なぜここを訪れたのかを、宿を運営する深澤さんにお話をさせていただきました。すると、
「まさにそうなんですよ。敗戦直後の資料って全然日本に残っていなくて。やはり語りたくなかったんじゃないでしょうか。
佐藤洋一さんという、米軍や個人が撮影した敗戦後の風景を集めている研究者のがいらっしゃって。実はカフェの展示はその方のものです。」
1Fのカフェでは、まるで店内の景色の一部のように、敗戦直後の東京をテーマにした展示が行われていました。これまであまり語られてこなかった「かつての東京の風景」に触れる場所をつくりたいという思いで、はじめられた展示だそうです。
そこには、当時の写真だけではなく、JTBの前身であった「ジャパン・ツーリスト・ビューロー」が作成した、当時のインバウンド向けの観光ガイドブックがあったり
昭和期を代表するグラフィックデザイナー原弘がデザインし、写真家の木村伊兵衛・菊池俊吉が撮影した貴重な写真集が置かれていたり。
東京のルーツに触れられる書籍や資料を手にとって見ることができます。
「いい悪いとか極端な話ではなく、もっと気軽に、議論や考える場になってほしいなと。難しい話題だからこそ、コーヒーを片手にこういう空間でなら、もっとカジュアルに知って、少し、向き合える場所になったらいいなと思っています。」
元バリスタでいまはカフェで働く深澤さんの妹さんがそのようにおっしゃっていました。
多面的に"過去"を知ること。
カフェの展示や、選書された戦後の写真集などをパラパラと眺めていました。
すると、焼け野原がまだ残る街の中を、意外にもおしゃれに着飾ってにこやかに歩く人の姿が映し出された写真が。私の中の勝手なイメージは、ホタルの墓のように東京中が暗い雰囲気に包まれていたとばかり思っていたので驚きました。
戦後というのは、空襲におびえ夜も電気が付けられない恐怖の日々から、やっと開放されたタイミングでもある。安堵の瞬間を写し出したものもたくさんあり、これから未来にむかっていく希望を感じられるような写真でした。
一方で、ボロボロの服を着て地面に横たわる人、栄養失調の人々、焼け野原に佇む人々。私のイメージしていた光景も、もちろん存在しています。私のおじいちゃんは、この時どこで寝泊まりをし、暮らし、過ごしていたんだろうか。そんなことを考えずにはいられませんでした。
少し話はそれますが、私が大好きなPodcastの1つに、株式会社コテンという会社の方たちがパーソナリティーを務める『コテンラジオ』という番組があります。
「歴史を面白く学べる」ラジオ番組で、 歴史の楽しさや学ぶ意義を広く深く教えてくれ、歴史を学べるだけでなく、自分の人生にも役立つ考え方のヒントや視点をくれる、とっても素敵でディープな番組です。
そのメインスピーカーの1人の深井龍之介さんという方が、Voicyのとある番組でゲスト対談を行われていた際に、歴史を学ぶ時のスタンスや考え方について以下のように語ってました。
解釈を介さない事実は、存在しない。色んな人がそれぞれ語るストーリーも、1つ1つ嘘ではない。
そんな時に大切にしていることは、なるべく数多く解釈を集める。複数のストーリーで語れるか。高杉晋作を語るにしても、テロリストという人もいれば、明治維新のキーパーソンという人もいる。どっちもそう。
複数の解釈を同時に受け止めることが、大切。
同じ世界に生きていても、主人公が変われば結末も変わる。ある人から見れば絶望でも、ある人からみれば希望の場合もある。
複数の解釈を同時に受け止めること。過去や歴史を多面的に知ること。
これが、その時代や歴史を理解するためには非常に重要な姿勢なんだなと。
同じラジオで深井さんは「理解しにいこうとするスタンスが大切。たとえ理解できなかったとしても。」とも語っていました。
(ちなみに深井さんのnoteも全部めちゃおもしろいです。)
TOKYO LITTLE HOUSEに宿泊して、色々な資料や写真集を手に取り、戦後の東京に想いを馳せてみたけれど、正直まだまだわからないことだらけで、自分の中でうまく言葉にすることもできないでいます。
それでも、少しだけ、その時代の空気感をリアルに感じられたような気がします。そしてなにより、東京という街を、もっと、ちゃんと知りたいと思うことができました。それは、戦後すぐのことだけに限らず。
東京が、あまり好きじゃなかった。
私が、職場の関係で"the都心"に住んでいたからかもしれないですが
どこへ行っても同じような顔つきをしたビルたち。次々と建つ高層マンション。大規模に行われる土地開発で失われて行く好きだった街並み。
散歩をしていても、地方の方がよっぽどわくわくして楽しい。
どうしてこんな見たくもない看板に溢れているんだろう。
どうして古いものをなくしてしまうんだろう。
もちろん、スポットスポットで好きな場所もたくさんあるし、そうじゃない街もあると思いますが、正直ずっとそんな風に斜に構えて、東京のことを見ていました。東京のカルチャーって、一体なんなの?と。
江戸から続く街並みが破壊され、廃墟になった東京。
そんな時代を乗り越え、多くの人の努力の上に、今の東京があると思うと、つまらないと思ってしまっていた景色も違った様子に見えてきます。
TOKYO LITTLE HOUSEには、他にも東京の新しい歩き方を教えてくれるモノ達がたくさんありました。というのも、この場所は、地図制作や出版・編集のお仕事をしている深澤さんと、その奥さん深澤さんの妹さんらで運営されているそうです。HPによると皆さんの会社は、「都市の歴史、地理、文化の新しい捉え方を提案」している会社だそう。
例えば、この本。
中沢新一さんの「アースダイバー」という、深澤さんも編集の一部に関わった本だそうで、縄文時代の土地の姿と現代の東京を重ね合わせ、時相的に街をマッピングした本です。(私も時間がなくまだ深く読み込めていないので、解釈が若干間違っていたらごめんなさい)
街がどのように変容してきたのか、文化と自然の相互作用を探るアースダイビング。まさに時空を超えた東京の街へ"ダイブ"するヒントをくれる一冊。こんな本を片手に街歩きをしてみたい・・・。
他にも、深澤さんの奥さんの貴美子さんは、大の地図好きだそうで。
地図に関する本を出版されていたり、他にも気になったのは、「壁の本」。(写真右)
4年間壁を取り続けた貴美子さんの写真とコラムが並ぶ本。街の壁を見るのが楽しくなるような、壁愛が溢れ出る一冊でした。
「東京のルーツ」をテーマに編集された空間には、街のまだ見ぬ魅力を発見できる、深澤さんたちの想いが詰まったコンテンツがたくさん用意されています。
私の関心の入りが少し重たい話題だったので、ここまで少しヘビーな内容ばかり書いてしまったのですが、実際は全然それだけではなく、色々な角度から東京のルーツを楽しめる場所です!書き方が極端になってしまい、すみません。
気になった方は、近くに行った際ぜひ足を運んで、東京を見る"新しい視点"を手に入れてくれたら嬉しいなと思います。
ホテルは、難しいテーマに向き合える場になる可能性がある。
いつもはとっつきにくいテーマにふれるきっかけをつくる。「泊まる」という行為を通じて、光と影の側面にとても自然なカタチで向き合える可能性があるのではないか、とTOKYO LITTLE HOUSEへ宿泊してみて感じました。
もちろんホテルでは、リラックスしたい、ただただ楽しみたいという方が多いとは思いますが・・・・。
だいぶ前ですが、WIREDの記事で『デザインの使命は「問い」を生み出すこと』と、海外のデザインスタジオの方たちが語っていたのを思い出しました。
ホテルもデザインと同様に、何かを投げかける場であり、何かを感じ取ってもらえる空間として、捉えてみる。
歴史に想いを馳せ、自分たち人間や過去の人たちのルーツを知り、さらに私たちの好奇心を刺激する。これだけ、多くのホテルがある時代、そんな「問いを生みだすホテル」があってもいいんじゃないかな、と私は思っています。
私も普段はホテルを作る仕事をしているので、
ホテルに泊まることが、自分の人生を見つめ考え思考する、そんなきっかけを作れる場所になったら素敵だな、なんて、ぼんやりと考えています。
最後はちょっと仕事の話になってしまいましたが(笑)
ここまで読んでくださった方は、少しだけ私と興味が似ている方かもしれません。ぜひ、お近くの方から、TOKYO LITTLE HOUSE、新しい東京の案内人たちの元へ、足を運んでみてくれたら嬉しいです。
最後まで、個人的なお話に長々とお付き合い頂き、本当にありがとうございました。
いつもは、ホテルの話はTwitterに書くことが多いのですが、このホテルのことは、140文字でホテル名とレトロな雰囲気の写真だけが独り歩きしてしまうのをどうしても避けたく...本当は、多くの人に知ってほしい気持ちはありつつ...
こんな長編になってしまいました(汗)
もし、少しでも何か感じていただける方がひとりでもいたら、幸いです。
※こんな状況なので、マスクを着用・少人数で、感染予防対策を十分にした上、職場やご自宅が近い方から、無理をせず、訪れて頂ければと思います。遠方の方は落ち着いたらぜひ・・・。宿側も換気や消毒液の準備など、色々な注意と配慮をしてくれています。
TOKYO LITTLE HOUSE
HP:http://littlehouse.tokyo/index.html
金額:一泊 25,000円〜 (5名でも同一料金)
※HPには、『5名様までのお客様に原則3泊以上からお貸しする中期滞在向けの宿泊施設』と書かれていましたが、今は一泊でも大丈夫のようです。
カフェだけの利用も可能です。
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