MAKIKOKOBAYASHI
私がこの仕事を選んだきっかけなどを書いてみようと思います。 障がい福祉を目指したきっかけ中学2年生のとき、 学校でボランティア募集がありました。 他県のとある知的障害者入所施設に行くというものでした。 民宿に泊まり、一日ボランティア体験をするという内容です。 「友だちと泊まりがけででかけられる」 その思いで飛びつきました。 ただそれだけでした。 実際に行ってみると、 今まで全く知らなかった世界でしたが 不思議と緊張せずに過ごせました。 むしろ 「この方々と一緒に仕事を
我が子が塾のテストで100点満点のところ2点を取ってきて、 「すごいでしょ〜笑」 の一言。 その満面の笑みはある意味スゴいわぁ さすがに 「少しはへこたれないの?」 と聞いてみたところ、 返事は 「こんなもんでしょ〜」 これは、自己肯定感が高いと言って良いのか?! と思いつつ、 まぁ、 楽しそうだし 自分なりに勉強と向き合ってるし その部分を認めておきました笑 そして我が子は 最低レベルなので テストを受けるたびに成績が上がることに 「オレってすごい!」 と自信を持っ
子どもたちと一緒に活動している中で、 子ども自身が自分の思いをうまく伝えられない時があります。 自分の気持ちはわかっているけれどうまく表現ができない 自分の気持ちがよくわかっていない 自分の気持ちがコチャコチャになってしまっている 色々な場合があるようです。 そんなとき、 クローズドクェッションで確認していきます。 「この活動はやりますか?やりませんか?」 「このおやつは食べますか?食べませんか?」 「○○と□□のどちらが良いですか?」 子どもたちの様子、好きなこと
私が行っている事業所は、 私の夫が作った会社が運営をしています。 夫にとっては、とても思い入れのある会社です。 私が夫と出会う前に作った会社なので 私はそれがどれだけ大変だったかは分かりませんが、 会社を作り、軌道に乗せることは色々な意味で大変だったようです。 そんな会社で放課後等デイサービスや計画相談などの運営をしていますが、 仲間には 「私が守りたいものは会社や組織ではない。子どもたちとその家族の笑顔だ」 と伝えます。 ちょっとひどいかも(笑)?! まぁ、ここに“仲
私の職場は、 放課後等デイサービス 保育所等訪問支援 計画相談 を実施していますが、 その枠組みだけでは足りないと感じることもしばしばです。 その一つ。 高校を卒業した子どもたちや 思春期頃の子どもたち 複雑な家庭環境にある子どもたち にとって、 “食”と“居場所” を兼ね備えた場所があったらいいな と思うようになってしばらくが経ちました。 そしてとうとうスタートしました。 こども食堂ならぬ 「若者のためのカフェ」 です。 何の補助も助成金も法的根拠もない中ですが、 だ
私たちが活動している放課後等デイサービスは 子どもたちにとっての“居場所”です。 この“居場所”というのは ただ遊ぶ場所という意味ではなく、 “居心地のいい場所” “来たい場所” “安心できる場所” という意味です。 学校に行きづらい子、 家に居づらい子、 集団の中に居づらい子、 様々な子どもたちが私たちのところに来ます。 すべての子どもたちが ただただ笑顔で過ごせる場所 いつでも寄れる場所 おしゃべりをしたいと思える場所 そんな“居場所”が必要なのではないかと
久しぶりの投稿です。 最近、思っていること。 それは、 “言葉に責任を持つ” ということ。 子どもには、伝えることがあるかもしれません。 「言ったことはやりなさい」 「できないことを言ってはいけない」 「さっき○○って言ったじゃない」 「ウソをつかないの」 でも、大人はどうでしょう? 「忙しいから、後でね」 「待ってて」 と言ったあと、 ちゃんとそのことに向き合っているでしょうか? 「用事が終わったよ。待っていてくれてありがとう」 と伝えているでしょうか? 子どもに
放課後等デイサービスを利用していただくときには、 “どのような目的でどんな支援をするか” ということを本人や保護者と相談して決める 「個別支援計画書」 を作成します。 それに基づいて、支援を行います。 この計画書は、 最低でも半年に一度は振り返りを行わなければなりません。 これが、 「モニタリング」 です。 以前立てた「個別支援計画書」に沿って支援がなされているか 「個別支援計画書」が妥当であるか 「個別支援計画書」に基づいた支援で子どもはどのような様子か 保護者として新
計画相談や放課後等デイサービスなどで活動をしていると、時々悩まされること。 それは 事業所の都合で主役の生活や人生が左右されてしまうこと。 計画相談では、本人の思いを実現するためにいろいろな調整をしています。 その中で、様々な“壁”にぶつかります。 支援者が見つからない 本人のために止めた方が良い 本人のためにこうした方が良い これ以上関わる人を増やさない方が良い それをしても、きっとうまくいかない などなど… 一番最初の“支援者が見つからない”というのは 現実的に人
人に関わることを仕事にしていることもあり、 活動をする上での心構えのようなものがあります。 それは、 “約束は守る” “どなたでも受け入れる” “たらい回しにしない” “一緒に考える” です。 “約束は守る”子どもに対しても 保護者に対しても 同じです。 何かしてほしいと伝えてきた子どもに どうしても待っていてもらわなければいけない状況のときがあります。 そんなとき、 「今、○○をしています。 ○○が終わったら行くので、 待っていてください」 と伝えます。 やって
放課後等デイサービスを行っていると、いろいろな課題が見えてきます。 事業所の質 事業所同士の連携 学校との連携 制度の問題点 人材の育成 などなど そのような課題が見えたときに、 私はつい行動を起こしてしまいます。 それは、放課後等デイサービスの域を超えているであろうときも度々。 そこで言われた言葉。 「なぜそこまでするの?」 確かに。 別にやらなければいけないことではないし、むしろお金にならず経営にはマイナスかもしれません。 でも。 誰もやらないからと言って、それ
仕事の中で関わっているご家族(子育てをしている親)がよく口にする言葉。 “ちゃんと”育てなきゃ “ちゃんと”した親でなきゃ “ちゃんと”しなきゃ “ちゃんと”って何でしょう? ものすごく漠然としていて、正解はなくて、でもよく使われる言葉です。 この“ちゃんと”を求めて必死になってしまう人が多いのです。でも、正解がないから、明確なものがないから、いつまでも必死なのです。 もうこれは、呪縛です。 得体の知れないものを追っている感じでしょうか。 一人ひとりにとっての“ちゃんと
私が活動している放課後等デイサービスでは、 子どもをありのままに受け入れることを意識しています。 そんな話をすると、時々言われる言葉。 「それって甘やかすってことでしょ?」 「そのままでいいと言ったら、何もしない子になってしまうのではないか」 「そんなことをしたら、子どもは楽な方に逃げてしまう」 本当にそうでしょうか?? ありのままを認めてもらって、初めて何かを頑張るエネルギーを得ることができるのではないか? 失敗しても、 思い通りにいかなくても、 安心して戻れる場所があ
今、障害福祉サービスについての報酬改定の真っ只中です。 まだ具体的な単価は出ていませんが、 ある程度の方向性は示されました。 そんな中で思うこと。 放課後等デイサービスは 前回の報酬改定で区分1,2という分け方をされるようになりました。 ざっくり言うと、 支援の手が多くかかる子どもの延べ利用人数が 全体の50%を超えたら区分1、 超えなければ区分2というものです。 区分2は区分1に比べて単価が安く、 スタッフの加配は区分1は2名までお金が出ますが、 区分2は1名までしか出
子どもの心を蔑ろにしないで 大人の都合で子どもの心を無視しないで 子どもの心に気づかないふりをしないで 子どもが出す小さな小さなSOSを受け止めて 子どもが出す小さな小さな心の変化を見逃さないで 子どもの心は 繊細で 敏感で 傷つきやすいから 笑顔の裏に 悲しみや 不安や 辛さや しんどさが 隠されているかもしれない まだ自分を守る術を知らない子どもを 傍にいる大人が守ってあげて 子どもが安心して思いを出せるように 聞く姿勢を持って 聞くことができる環境で し
子どもたちと一緒に活動する中で、 “子どもの心に寄り添う” ということを大切にしています。 “寄り添う”とは、どういうことなのでしょう? 子どもがなにか行動を起こしたとします。 それは、時には周りからすると良くは見えない行動であることもあります。 例えば、 お友だちをたたく。 ものを投げる。 人のものを取る。 なとなど。 そんな時、 私たちはどう声をかけ、 どう行動をするのか? 出てきた行動のみに着目して その行動を止めようとすると、 うまくいかないことが多くあります