27.趣味の話⑮ 御朱印集め(3)
はじめに
はい、こぼば野史です。
数時間前に投稿をしたが、また投稿である。
まあ、先ほどは異なるシリーズであり、3日ほど温めていた投稿なので、連続で投稿できるのである。
今は文化放送「乃木坂46の「の」」、「日向坂46の「ひ」」を聴きながら作成している。何故だろう、このシリーズの投稿は2回連続でラジオを聴きながらの作成になっている。
それでは、早速本編に入ろう。
1.紹介する寺社仏閣
今回紹介する寺社仏閣は、千葉県香取市にある香取神宮である。
いつも通り、先ずは「香取神宮」公式サイトから、御由緒を紹介しよう。
鎮座地
〒287-0017
千葉県香取市香取1697
※平成18年3月27日佐原市・小見川町・栗源町・山田町が合併し、「香取市」が誕生。
(旧:千葉県佐原市香取1697)
御祭神
経津主大神(ふつぬしのおおかみ)
<又の御名伊波比主命(いはひぬしのみこと)>
例祭日
4月14日 6年に一度 勅祭
御祭神の神話
皆さんは、出雲の国譲りの神話をご存じでしょうか?
香取の御祭神 経津主大神(ふつぬしのおおかみ)は、この神話に出てくる神様です。
はるか昔、高天原(天上の神々の国)を治めていた天照大神(あまてらすおおみかみ / 伊勢神宮・内宮の御祭神)は、葦原中国(あしはらのなかつくに / 現在の日本)は自分の息子が治めるべきだとお考えになりました。
葦原中国は荒ぶる神々が争い乱れていたため、天照大神が八百万神に相談すると、天穂日命(あめのほひのみこと)がすぐれた神であるということで出雲国の大国主神(おおくにぬしのかみ)の元に遣わされましたが、天穂日命は大国主神に従い家来になってしまいました。次に天稚彦(あめのわかひこ)が遣わされましたが、天稚彦もまた忠誠の心なく、大国主神の娘である下照姫(したてるひめ)を妻として自ずから国を乗っ取ろうとし、天照大神の元に戻りませんでした。
このようなことが二度つづいたので、天照大神が八百万神にもう一度慎重に相談すると、神々が口を揃えて、経津主神こそふさわしいと言いました。 そこへ武甕槌大神(たけみかづちのかみ / 鹿島神宮の御祭神)も名乗り出て、二神は共に出雲に派遣されることとなりました。
出雲国の稲佐の小汀(いなさのおはま)に着いた経津主、武甕槌が十握剣(とつかのつるぎ)を抜き逆さに突き立て武威を示すと、大国主神は天照大神の命令に従い葦原中国を譲りました。
二神は大国主神から平国の広矛(くにむけのひろほこ)を受け取り、日本の国を平定して、天照大神の元へ復命されたのです。
御神徳
古くから国家鎮護の神として皇室からの御崇敬が最も篤く、特に『神宮』の御称号(明治以前には伊勢・香取・鹿島のみ)を以て奉祀されており、中世以降は下総国の一宮、明治以後の社格制では官幣大社に列し、昭和17年、勅祭社に治定され今日に至っています。
奈良の春日大社、宮城の鹽竈神社を始めとして、香取大神を御祭神とする神社は全国各地に及んでいて、広く尊崇をあつめています。
一般からは家内安全、産業(農業・商工業)指導の神、海上守護、心願成就、縁結、安産の神として深く信仰されています。さらに、その武徳は平和・外交の祖神として、勝運、交通 安全、災難除けの神としても有名です。
式年神幸祭
神幸祭は毎年4月15日に行われておりますが、12年に一度の午年には15・16日の両日に掛けて盛大裡に執り行われます。
元は式年遷宮大祭の名で20年に一度行われていたとされていますが、戦国時代以降、式年遷宮が行われなくなり、替わって12年に一度ずつ神幸祭を行うことになり今日に至ったとされています。
現在、15日は御神輿を中心として氏子数千余名の奉仕員が行列を組み神宮を出発し津宮へと進み、利根川沿いの鳥居河岸より御座船に移り船上祭、ついで鹿島神宮による御迎祭が行われた後、利根川を遡り佐原河口へ御上陸し御旅所に御駐泊。翌16日も同様に行列を組み、市内を巡幸し、陸路を神宮へ還御というかたちで斎行されています。
個人的に、壮大だな、と思ったのは楼門である。
自分が撮った写真がないので、ここに添付はできないが、楼上の額は日露戦争で戦果をあげた東郷平八郎の筆である。国の重要文化財にも指定されている。
また、特に言及はされていないが、楼門の脇にある「黄門桜」も素朴に立っており、春になれば美しく咲くのだろうと思われる。「黄門」の名がつくことから、徳川光圀(水戸光圀)公が関連しているのは間違いない。実際に訪れれば、確か看板があったはずである。私が訪れたのは晩夏だったので、葉が落ちるところであった。
2.紹介する御朱印
中心に朱印を押し、両袖に筆を走らせる。確か朱印の縁の文様にも意味があった気がするが、調べきれなかった。
右下には「下総国一之宮」と附す。
「一之宮」については章を変えて述べよう。
3.一之宮とは
学術的に裏付けされた定義ではないが、「一の宮巡拝会」というサイトにある定義を引用しよう。
「一の宮」は、平安時代から鎌倉時代初期にかけて逐次整った一種の社格です。朝廷や国司が指定したものではなく、諸國において由緒の深い神社、信仰 の篤い神社が勢力を有するに至って、おのずから神社の序列が生じ、その最上位にあるものが「一の宮」とされ、以下、二の宮・三の宮・四の宮と順位がつけら れました。しかし時代の変遷とともに変化もあったようで、一国内に二社以上の「一の宮」が存在するのはそのためです。
なお、「一の宮」の称は一国についてだけでなく、一郡・一郷の、また一社内神殿での一の宮・二の宮などという称も行なわれました。
近世までの行政区分である国・郡などによって最も敬われた神社ということだろう。
古くは『延喜式神名帳』などに出典があるらしい。
申し訳ないが、詳しくは私も知らない。今後、御朱印や諸国一之宮に関する図書を読んでみようと思う。
おわりに
若干文量が多い紹介になってしまった。香取神宮の引用が多かったか。
残念ながらアクセスはあまり良くない。
というのも、その方が土地を多く持つことができ、敬われるのだろう。
9月23日には、特別な御朱印を頂くことができるらしい。
手元に香取神宮や神道に関する図書がないので、詳細を述べることができなかった。詳しくは『国史大辞典』(吉川弘文館)などを参照されたい。
参考サイト
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